今では・・・今なら・・・今も・・・






「次は不破尚さんです。今回も第一位おめでとうございます」

テレビがそう話すのを、キョーコはひどく無感情で眺めていた。まるで昔の自分を見るような女の奇声が上がり、ふぅ、と一つ息をつく。

その声のする方向にちらり、と視線を流し、軽く微笑んで見せた不破尚は、司会者に身体を向けるとさも当たり前のように軽く会釈を返す。今回の曲のイメージやレコーディング風景などの裏話を話す不破尚は、時折足を組み替えている。

「今回の歌詞はどういうイメージなんでしょうか?」
「そうですね・・・敢えて言うなら、どこか懐かしい思い出、でしょうか」
「懐かしい思い出・・・?恋愛の曲ですよね。過去の不破さんの実話だったりしますか?」
「恋愛という括りだけには括ってないですけど、まぁ・・・懐かしい場所、のイメージです」
「そうなんですか?」
「ホラ、あるじゃないですか・・・思い出すとどこか、和んでしまってふと笑みが出るってこと・・・。そんなのを拾い集めたら、こんなタイトルと歌詞になっていました」
「そういえば京都ご出身でしたね」

司会者はにこやかに頷きながら、カメラの向こうのスタッフが示すボードに視線をちらりと移し、そして尚に歌の準備を促した。ゆったりと立ち上がって司会者と周りのアーティスト、そして観客に向かって、三度程軽く会釈をした彼は、画面から消えた。


――「京都」

――珍しいわね・・・いつももっとイメージ重視な歌詞を書くのに・・・実体験を書くなんて・・・。


不破尚が歌った歌は、ゆったりと見覚えのある風景を歌っている。「京都」と名づけられた歌。

どの風景を歌っているのか、どの想い出を歌っているのか、すぐに目の前に浮かぶ。懐かしい、懐かしい心の中の風景。歌詞に出てきた言葉は、正直な尚の思い出だというのはすぐにわかる。尚が描き出した世界は、キョーコの懐かしい記憶にそのまま重なった。ただし、尚がどんな意味をこめたのかまでは汲み取れず、キョーコの考察はそこまで止まりだったけれども。



――『昔からそのコトバがオレを強くしてくれた』



「女将さんの事かしら・・・?」
「キョーコちゃん、お夕飯できたよ」

だるまやの女将が部屋の入り口から声を掛ける。
キョーコはビクリ、と大きく身体を震わせて、声のした方に返事をした。

「すみませんっ!!全然お手伝いもしないでっ!!!」
「いや、いいんだよ。それにしても珍しいじゃないの。キョーコちゃんが我を忘れてテレビに見入るなんて。やっぱり部屋にポスター貼るぐらい、好きなんだろう?えっと・・・なんだっけ・・・その彼。・・・・あぁ、そうそう、不破・・・」
「尚、です」
「そうそう、それそれ。何だかそのポスターの頃に比べると随分と男らしくなって・・・キョーコちゃんと同じくらいの歳だろう?若い子の成長は早いねぇ」
「はぁ・・・」

キョーコが生ぬるい返事を返すと、女将は一瞬不思議そうな顔をした後、「冷めるから」と言って促した。手を合わせている間に、女将が居間のテレビを付ける。

「いただきま~・・・」

す・・・と言いかけて、目はまたテレビから動かなくなった。静かな食事が進む中、キョーコはテレビから目を離さない。

「おや、この子も随分といい男だよねぇ。キョーコちゃんと同じ事務所なんだろう?会った事あるかい?」

女将がそう言う彼はもちろん敦賀蓮。キョーコは、首を縦に動かした後、テレビに映る彼に再び見入る。

「・・・さっさと食え」

だるまやの大将が一言だけ口を挟む。

「やだよ~。もしかして普段私たちが芸能人の話なんてしないからかい?そんなに不機嫌にならなくったって。女なんだからいい男の話ぐらいしたっていいじゃないか、さっきの不破尚だって敦賀蓮だってどっちもいい男なんだから。だろう?キョーコちゃん」
「はぁ・・・」

再度キョーコは生ぬるい返事をした。今見入っていた理由は、先程尚に見入っていた理由とは少々違う。蓮が主演しているドラマ、その技術を盗もうと躍起になっていただけである。

不破尚の時にしても、敦賀蓮の時にしても、いい男がどうした、などという比較は一切していない。

「にしてもさ・・・この相手の女優さん、いいよねぇ。相手が敦賀蓮ってだけでも仕事、はかどるんだろうねぇ」
「・・・・・」
「最近多いじゃないか。『共演して以来交際して結婚しました』っていうカップル」
「はぁ・・・」
「キョーコちゃんもそうなるかもしれないし」

女将がそう言うと、だるまやの大将がお茶を音を立てて啜り、会話を邪魔する。
キョーコも、けらけらけら・・・と笑った。

「いやですよぅ。そんな事あるはず無いじゃないですか。仕事ですから」
「そうかい?でもほら人間どんな巡り会わせがあるか分からないだろう?一年後、この彼と彼女が付き合っています、なんて報道があるかもしれないし」
「・・・・・・・・・・・」

キョーコは蓮の事情を少しだけ知ってしまっているから、敦賀蓮に関して「それ」はない、と心で否定しながら、この女優は確実に彼に「恋の幻想」を抱くだろうと思う。

そして「結婚することは無いだろう」と思いながら、どこかでそれに安心している自分にも気づく。

更には、いつか自分が共演する事があった時、もし何かの甘い感情にとり付かれたとしても、幻想だと言い聞かせられる安心感も、同時に持ち合わせていた。


蓮がその相手役の彼女を引き寄せる。
身体を強く抱き締める、見つめる。
相手役の潤んだ瞳と震える唇がアップで映る。
影が、重なる。

「おや・・・まぁ・・・」

女将が照れて声を上げる。
キョーコは顔色も変えずそれをじっと見つめていた。

CMに変わってからようやくテレビから目を離し、箸を見つめた。

「・・・・・食え。冷める」
「は、はいっ・・・」

相変わらず厳しい表情を続ける大将は、再度茶を啜ると、先に席を立った。

「明日の仕込みをしてくる」
「はいよ~」

テレビでは、泣く彼女が蓮を強く抱き締め、共に支えあっている。
このドラマも佳境。もうすぐ終わるだろう。
そしてこの女優の幻想も、もうすぐ終わる。
この女優の恋も、もうすぐ終わる。

――相変わらず可哀想な共演女優さん・・・。

他人の恋心に半分同情しながら、もし自分も同じ立場なら誰かに同情されるのだろうと思い、ほんの少しだけ心が鈍く痛んだ。そして、恋なんてしないと更に思い直し、尚の顔が思い浮かんで、恋の事など考えている自分の思考をどこかに追いやるべく、首を左右に強く振った。

「あの人、こういう甘~いドラマは苦手なんだよ。どう反応したらいいのか分からないみたい。気にしないでよ、キョーコちゃん」
「は、はいっ。気にしていません」
「こんなにいい男とこんなに可愛い子がこんな風に抱き締めあったら、互いに夢見てしまうんだろうねぇ・・・。共演して結婚したカップル、結構別れるじゃないか。キョーコちゃんも、芸能人なんだから、気をつけなきゃいけないよ」
「だからイヤですよ~~~結婚なんて~~~~」


ドラマが終わり、女将がテレビのチャンネルを無作為に移動させる。

「おや不破尚、まだ出ているよ、キョーコちゃん。番組、こっちにしておいてあげればよかったね」
「いえ・・・」


――アイツも何だかんだ頑張っているし・・・

――そして敦賀さんも・・・・


「おい」
「ハイっ???」
「部屋で電話が鳴っている」
「はーいっ」
「おやキョーコちゃん。「そういう」事だったりしたら先に言っておいてね。くれぐれも明日急に「結婚します」なんて言わないでおくれよ?この人が倒れると困るから。徐々に慣らしてくれないと」
「いえ、だから、あの・・・」
「人を待たすな。早く行け。片づけはしておく」
「すみませんっ・・・用意もお片づけもしないで」

キョーコは階段を勢いよくかけ昇り、電話に出た。

「もしもし」
「こんばんは、オレだけど」
「あ、こんばんは・・・。別の部屋で夕飯を食べていましたから携帯が無くて・・・出るの、遅くなってしまってゴメンなさい・・・・」
「なんだか、声が冴えないけど」
「そ、そんな事はっ」
「・・・・・・・」
「?」
「元気ないね。どうした?」


キョーコは、蓮が何の為に電話してきているのか分からないまま、ただ自分の事を心配してくれる事に何とも申し訳ない気がした。


「何に悩んでいるか分からないけど・・・大丈夫だよ。きっと、解決する」
「・・・はい」



――幻想に巻き込まれるのは、次は私?

――でも・・・・・


――『昔からそのコトバが、ワタシを強くしてくれた』


不意に尚の歌の歌詞が頭をよぎった。
蓮のコトバはいつもキョーコを強くする。
壊れてしまいそうな何かをそっと救ってくれる。

小さな頃、京都で、林を抜けた川辺で見た、魔法。
芸能界の強い光の下で見る、魔法。
恋の魔法。
そして、蓮が今かけた新たなコトバの魔法は、キョーコの心を更に強くする。


しばらくたわいも無い話を続けた後、特に用事があるのだか無いのだか分からない電話も終わりに近づいた。


「元気、出た?」
「はいっ・・・もちろん」
「うん。じゃあね、ゆっくりお休み」
「おやすみなさい」


電話を切った瞬間、心が軽くなっているのに気付いたキョーコは、ドキリ、とした。


――共演なんてしなくたって、幻影に巻き込まれるのね。

――気をつけなくっちゃ・・・・。



尚・蓮・キョーコ。
3人の心の奥に固く封印されている恋の魔法。
全員のそれが表に解けて出てくるのは、もう少しだけ先のこと。









2007.08.24