仮)The Secret Garden

この作品は、2007年頃「Sous Le Masque」というメイド縛りの合同誌に掲載したものです。また、リクエスト@「スキビで蓮x男装女傑キョーコさん」というご希望から作られました。一部読みやすいよう、改行、改稿しています。以上、ご了承の上宜しければご覧ください。








*******



浜辺に倒れていた、一人の少女。
身につけていたのは、たった一つの輝く宝石だった。

 
仮)The Secret Garden

 
――バシンッ・・・・・・・・

 
派手な音を立てて、鋭い音が乾いた空気を割いた。


力強く頬を叩かれたその男は、立ち上がり、至極冷めた感情の無い目でその少女を見下ろしている。男は下半身に肌触りの良さそうな薄手の部屋着を身に纏ってはいたが、上半身は裸体。綺麗についた腹筋と、厚い胸板が目に入る。


その少女は、下半身に大ぶりのタオルを掛けられていたが、ほぼ生まれた姿のまま一切衣類を身に纏っていなかった。


少女に意識が戻り、目が覚めてすぐにその男がじっと顔を覗き込んでいるのが目に飛び込んできた。


そして男が息を吐きながら一言「よかった」と言った数秒後に、我に返った少女は、無意識だったのか女としての当然の行動なのか、自分の身体の上にいた男の頬を叩いた。


・・・・と言っても起き抜けの仰向けの位置からであるから男にとっては大した力ではなかった、が。


少女は唯一自分に与えられているそのタオルをぎりぎりまで引き上げて、ほんの少々赤くなった頬を一度撫でたその男を睨み上げる。


男は、ふぅ、と一つだけ息を吐き、傍にあった自分のバスローブを、まるで何もなかったかのように羽織ると再度振り向き、ようやく口を開いた。


「君は浜辺に倒れていたんだよ。死んでいたのだと思ったんだ。この数日ずっと身体は冷たかったからね。昨日ぐらいからだいぶ温かくなってきたからそろそろ目覚めると思っていたけど。まあ拾ってきた手前生きていて良かったよ。途中で死なれたら、せっかくの看病も水の泡だからね。」


起き抜けに、いきなり頬を叩かれた事を呪うでもなく、彼はそう言った。


彼が渡したもう一着のバスローブを羽織り、胸元を引き寄せて身体に巻きつけ、頬を真っ赤に染めて恥らった彼女は、彼との距離を取ろうと、ベッドの端まで逃げた。


「何か言う事は?」

「・・・・・・・。」

「まさか言葉が通じていない、などということはないだろう?口が利けないのか?」


彼女は、一つだけぎこちなくも深々と頷いた。


そして羽織るバスローブを更に引き寄せ自らを強く抱き締めて、今の自分の状況に、紅く頬を染め、目を逸らす。羞恥心を隠せない様子である。


彼の少々の紳士的な態度に、思い切り頬を叩いてしまった事を、ようやく彼女は申し訳なく思った。


数日前、浜辺で意識不明のまま倒れていたその少女を見つけたのは、この国の第一海軍指揮官であるレンだった。彼は見れば非常に端正な面持ちをしている。そして一般庶民には大変心優しい事で有名な軍人であり、誰もが認める実力の持ち主であった。この国の中で知らない者はいない。


しかし彼女は彼の顔を知らない様子なのか、彼を見ても、ただただ自分のおかれている状況を恥らうばかりで、その様子には、微塵も彼の立場に対してひれ伏す様子は無い。


しかし彼の立場を全く認識していない様子の彼女を、彼は特に気にする様子はないようだった。


「君の名前は?」


仕方なく、彼はベッドサイドのナイトテーブルの上に置いてあった筆記具を取り、身構えた彼女に手渡した。


『キョーコ』


彼女はただそれだけを書いた。


礼を述べるわけでもなく、ただ、問われたとおり、名前だけを書いた。


「キョーコ、ね。この世界にはありがちな名前だ。別に君が本当にキョーコでなくてもいいが、今日からオレは君をキョーコと呼ぼう。」


彼は歩いてクローゼットの前に立つとバスローブを脱ぎ、掛けてあった白いシャツを羽織ると皮のベルトを下げ、すぐに帯剣した。

彼女はその様子を黙って見ていた。そしてレンは一言付け加えた。


「女の子なのだから、そんなに筋肉質じゃなくていい。もう少し肉をつけた方が抱き甲斐があるんだけど。ここは食料の豊富な国だ。君はもっと食べた方がいいな。」
 

――この似非紳士・・・・・!!!!


もしこの時、彼女が言葉を話せたならば、それは大きな罵声が聞こえただろう、とある朝の出来事だった。

 
*****

 

「君は、しばらくレンの傍にいてやって欲しい。」


そう切り出したのは、この国の皇帝のローリィである。


得体の知れない拾い物の処遇について、もちろん側近達はこぞって捨てるべきだと申し立てた。


キョーコもその意見を述べる彼らの冷たい視線を、自分が同じ立場なら当然とばかりに、覚悟を決めていたのか、冷めた目で受け止め、折角あの男に助けてもらった命がいつ無くなるかの試算をしながら、交わされる言い合いを聞いていた。


レンは無表情で、熱くなる彼らを涼しい眼差しで一瞥した後、視線を天井に描かれている優雅な天使の絵に這わせ、当事者としてはその喧騒から外れていた。



ローリィはしばらく彼ら全員の様子を見守った後、彼女のため、というよりは寧ろ、レンが初めて自ら周りの反対を押し切ってまで、いつ死ぬかも分からない見ず知らずの娘を自らの部屋に置き、数日間殆ど部屋も出ずに看病し続けた彼の変化を、受け入れてみる事にした。


彼は普段あまり自分の事など考えず、良くも悪くも欲や執着というものに乏しかった。


だから、いつか国のためなどと言って、簡単に命を投げ出してしまうだろうと、心の底で彼の事を軍事力量的には完全に信頼しながらも、その役割以外の何かの不安を抱えていた。


あえて彼が好きなものを挙げれば、自然、鳥、花、自ら飼っている白い猫、そんなものだろう。


確かに軍人が何かに執着をしすぎていてはならない。


が、何にも執着しないが故に自分にも執着をしないのは困る。


だから、何か一つでもいい、彼が自ら心を傾けるものが出来ないか、その執着のために生き抜こうとしないか、と思っていたところに舞い込んで来た、レン自らの拾い物。


幸いにして、彼女が彼の事を知らなかった事もまた、ローリィにとっては好都合だった。
彼女は全く先入観無く彼を受け入れる事ができる。



もちろん、ローリィの決定に誰も逆らう事などできないから、キョーコはその日から、レンの傍に仕えることになった。


「君は、この国にとって異例の人間だ。君が今ここに座っている事情を知っているのは、この部屋に居る首脳陣だけだからね。一応レン付きのメイドという事で、世間には納得をして貰おう。君に与える衣類や部屋は用意してある。それを着て、日々レンの傍に仕えて欲しい。」



キョーコは戸惑い気味な表情を浮かべながらも、一つだけ頷いた。


ノーと言えば、容赦無く処分されると思った。


そう思っているだろう事を感じ取ったローリィは、「もし、この国から逃げたくなったらオレに言ってくれ。いつでも外に出してやる。しかし、それ以降の君の処遇についてオレは保障してやれないがね。」と付け加えた。



ローリィ皇帝の言う事が、全て親身と親切から来ている事をキョーコは感じ取った。



だから、おとなしくそれを受け入れる事にした。



レンは、その決定について、「しばらく彼女の体調が元に戻るまでは傍に置きますが・・・その後何かあれば即刻外して貰いますよ。」と、一言皇帝に告げた。





 
*****





 
普通のメイドたちと違い、キョーコはレン専属であるから、寝起きはレンの部屋の横にある部屋でする事、そして、メイドとしてレンの事だけを心配し、レンの為だけに働く事、それだけがキョーコに課せられた使命だった。



いきなりやってきて国じゅうの女性の憧れであるレン付きになったキョーコを、もちろん既存のメイド集は快く思わなかった。


が、キョーコはそ知らぬ顔でそんな視線や嫌がらせを受け流し、掃除、洗濯、レンの為だけに作る食事は尚更手際よく、完璧にこなした。


あまりの手際のよさに、自らの仕事の技量や立場も危うくなった彼女達は、「皇帝の引き抜きだったのだ。」という納得の仕方で、自分達の不満を鎮める事にした。


しかもキョーコが話せない事で、「あまり職の無い彼女への皇帝の温情なのだろう、そして蓮の興も移りにくいのだろうから」と言って、尚更自らに都合の良い会話を交わしていた。


 
*****

 
キョーコは普段、真っ黒でスカートの裾が長く、ほんの少しのレースの襞が付いた白いエプロンの紐をきつく締めていた。


そして何よりも目を引いたのは黒い額縁の眼鏡だった。
度は入っていない。


それも、ローリィが与えた物である。単に、新しい人間関係を気付く上で、少しの心のバリアを張る上で必要かと思って彼がそれを選択した。


もしかしたら単に、衣装にこだわる皇帝がファッションとして選んだに過ぎないかもしれないが、キョーコにとっては度無しであっても、何か心に一線を引くフィルター代わりにするには、確かにその眼鏡はありがたかった。


そして、レンが言うように、他のメイドたちに比べれば彼女は少々細身ではあっただろう。しかし、すらりと伸びた健康的な手足は彫刻のような造形美を醸し出し、重い小麦袋を軽々と持ち上げて運び、淡々と仕事をこなしていく。


男勝りな彼女の一面に対し、言葉が話せない分、微笑むぐらいしか出来ないその優しい微笑みを見せる一面のギャップに、一部のメイドたちの間で、「キョーコ様」と呼んで、憧れの対象にする人間が出てきた。


女の園ならではの事なのだろう。しかしキョーコはそんな事は一切気付いていない。慣れてきたせいで、何となく周りの処遇が良くなった、そんな程度の把握だった。 


この国の習慣や日々にだいぶ慣れた頃、キョーコはこの王宮の外に隠れた庭があることに気付いた。


普段どの部屋でも見えないそれは、レンの部屋からだけ見えた。


木々に囲まれて一見森のようで気付かないけれど、色とりどりの花々がその木々の間から見えていた。



――行ってみたいな・・・・



この国に来て、初めてキョーコの心に宿った欲求。


普段レン同様、殆ど何も欲求など無く、与えられているメイドの仕事をこなし、レンの身の回りの世話をするぐらいである。


この国に来た理由も、生きる理由すらもキョーコには一切無い。


今はたまたま生かされているが、もし先日皇帝が、即刻処分しろと言ったとしても、それはそれで当然のことだと思って覚悟を決めていた。


その日の朝の仕事を終えたキョーコは、昼食のサンドイッチをバスケットに入れ、その場を探す事にした。


木々を抜け、レンの部屋から見えた場所を探す。


しばらくすると、むせ返るような花の匂いで、その場所が近い事が分かった。


そして、最後の一枝を手で払った時、そこにはまるで天国のように花が庭一面に咲き誇っていた。オレンジ、赤、黄色、ピンク、紫、青・・・ありとあらゆる花が咲き、キョーコの表情には、この国に来て初めて心からの笑顔が浮かんだ。


丁度いい木の株に腰を下ろし、その一面の花々を見ながら昼食をとる。


普段、レンの言いつけで、レンの食事と全く同じものを食していたキョーコではあったが、自分で作ったものを食べて、初めて美味しいなと素直に感じる事ができた。


それはもちろん、この花々が、その周りに飛ぶ鳥のさえずりが、キョーコの心を和ませたのに間違いは無かった。


しばらくして、背後からふいに声を掛けられた。


「・・・・・キョーコ・・・・・?」


キョーコが驚いて身構えながら振り向き、声をかけた人物の顔を見て、更に身構える。


レンだった。


普段なら最初から身構えて会うから、不意に声を掛けられるとどうしても、身体が一瞬硬直する。意識が全く無かったとはいえ、出会いの日の失態を、自ら許す事が出来なかった。


誰かに付き従うメイドの世界でもそうであろうが、キョーコも小さい頃から、高潔で高邁で、至極清貧であるように、と言われ、そう生きるよう教育を受けてきた。


もちろん、男性の目の前で生まれたままの姿を晒すなどもっての他で、いつかもしかしたら普通の女たちのように結婚はするのであろうが、その日までシスターと同等かそれ以上に純潔清潔を守る事は、キョーコの見てきた世界では当たり前の事だった。


キョーコは女であるが、元々生きていた国では生きる手段に剣士として生きてきた。


死ぬべき場所もわきまえていた。


女の格好などついぞした事が無く、こうしてスカートを履くのすら、一体何年ぶりなのだろう。正直動きにくくて仕方が無い。


それでも今は、何の運命の悪戯なのか、女の格好をして生きている。


この場所には血もなく戦いも無い。

が、常に冷静に徹するように命ぜられ、全ては命令を遂行する為だけの集団、他人との馴れ合いを嫌い、命令が完了すれば別れる事が分かっている。

そんな人間達の中で育ってしまったがために、キョーコは殆どと言っていいほど他人というものに興味が無かった。


興味を持ってもすぐに別れる。


若しくは自分の技能向上以外に興味など持つ心の隙など作るな、という事もあっただろう。


だから日々何かの、又は誰かの話題で盛り上がり合う女の園の中で、そんなウィットに富んだ彼女達のおしゃべりには着いて行けず、やや遠巻きにその様子を見ながら少し異質な自分の存在に気付くたびに何となくの溜息が漏れて、やはり剣士に戻りたい、と思う事もある。


メイドに対し寛容な国であるし、皇帝によれば、愛があれば例えメイドと主人の主従関係であったとしてもが恋に落ちてもいいという。


実際夫婦になった例も多々あるし、キョーコに、「もう蓮様とお付き合いなさっているの?」と聞いて来るメイドもいる。


もちろんそんな男女関係など一切無く、聞かれるとキョーコは、自分の国のメイドと主人の関係に当て嵌め考え(そんな皇帝の意図を知らないせいで)不可思議な顔をして、その質問にやや腹立たしく思いながらもかわしている。


レンも普段キョーコを人としては扱うが、女の子、として扱う素振りは一切見せないし、話せないキョーコに、ただ、その日にあった事や、思っている事を、ぽつぽつ語るぐらいだ。


それをキョーコに聞かせてどうするのだろう、とキョーコは思うが、彼なりの気遣いなのかもしれない、とも思う。


ましてやそうして昼夜共にしたところで、男女として何があるわけでもないから、キョーコも「まだ」、幾分か耐えられていた。


そして何よりもこの男が普段鍛えている場を目の当たりにしたときに、「この男には敵わない」と、キョーコは先に気付いてしまった。


経験から悟った、に近いかもしれない。


それを悟れるだけキョーコの力もあるのだろうが、それでも男女ともに色々な同業の人間を見てきた。


にもかかわらず、この男の剣裁き、身のこなし、訓練量、集中力、どれをとっても、自分が会って来た人間とは桁外れに違った。


ふるり、と背筋が凍って、久々に冷や汗が流れ、身体が震えた。

天性の才を持つ人間というのはこういう人間を指すのだろうとも思った。


もし、レンの興が昂じてキョーコを女扱いし、今度出逢った日のように自分の服を剥いで、「まるで」女を扱うように不埒な事でもしようものなら、太ももに隠し持っているナイフで刺して、自らもその場で自決してやる、と思っていたが、それを目の当たりにした時、不意打ちであっても勝てないのは、もうやる前から肌で感じ取っていた。
 


*****



 
普段、レンが昼食時にいなくなる事は知っていたが、まさかこんな場所に来ていたとは、とキョーコは驚いた顔をレンに見せた。


「・・・よく見つけたね。ここは皇帝の庭だ。他のメイド達は存在すら知らないから・・・言わないでおいて欲しい。オレの唯一の休憩場所だ。」

キョーコはこくり、と一つ頷く。


そして、キョーコが座っている切り株を指さすと、「そこはオレの特等席なんだ」と穏やかに笑って言った。そのレンの表情に、キョーコの心臓がいささか変な動きをした。



――まさかあんな恐ろしいまでに鋭い視線で剣裁きする似非紳士が・・・こんなに穏やかな表情を浮かべるとは思いもよらなかったわ・・・・



あの訓練時の厳しい表情とも、部屋で浮かべる飄々とした表情とも違って、とても人間らしい表情だと思った。



キョーコの横に座り込んだ彼は、キョーコの作ったサンドイッチを食べ、美味しいよ、とまた、あの穏やかな笑顔で言った。



この男が唯一の休憩場所だと言い、穏やかな表情をする。


普段戦場の中で過ごす人間がする表情ではない。


花を見ながら、普段どんな事を考えているのだろうか、と、少々の興味がわいた。


「いいだろう?ここは。皇帝お気に入りの場所でね。オレが小さいときから全く変わらないんだ。周りにどんな争いがあっても、どんな戦いがあってもね・・・・・。」


ふっと笑ったレンは、咲き誇る花畑に歩いて行き、オレンジ色の花を一つ手折ると、キョーコに手渡す。

「君に。」

キョーコは、一気に全身が火照るのを自覚した。

おかしい、この男はおかしい、


そんな言葉が脳裏を駆け巡る。


生まれてこの方女扱いなどされた事がないし、花など貰った事も無いからどうしたらいいのかがわからない。


なぜ花をくれたのか、ありそうな理由を、一気に鈍くなってしまった脳が懸命に探す。


レンは、目を見開いたまま固まってしまったキョーコの姿に、くすくす、と可笑しそうに笑った。


また、その笑う姿を見て、キョーコの心は異常な動きをした。


「そんなに固まらなくてもいいと思うんだけど・・・。別に花一本で君を口説こうなんて思っていない。ただ、毎日世話をしてくれてありがとう、美味しいご飯をありがとう、の意味だよ。受け取ってくれないかな。」


にこり、と彼は笑う。オレンジ色のその花を受け取ったキョーコも、自然と初めて彼に向かって笑みが漏れた。


「笑えるんじゃないか。ねえ、何でもいい、笑って。その方が可愛い。」


何かの後光が射し込みそうな、神々しい笑みを浮かべた彼を見て、キョーコはもう、動く事すら出来なくなった。


「ねぇ、それからさ・・・その伊達眼鏡、取った方がいいと思うんだけど・・・・。」


すっと顔に直接手を出されて、思わず反射的に、キョーコはレンの手を薙ぎ払ってしまった。


訓練を受け続けてきた為に、身体に手を出された時の咄嗟の対処方法が、頭で考えるよりも先に出てしまう。

 
――そんなつもりじゃ・・・・!!!

 
そう思ったが、口には出せなかった。

レンも苦笑いを浮かべて、ゴメン、と言った。

キョーコは首を左右に強く振る。


今この場に紙とペンがあればと思った。


「急に手を出したオレが悪かったよ。眼鏡、取った方が、きっと可愛い。」


キョーコのおかしな心臓の動きは、もうどうにもこうにも止まらなくなった。


可愛い、なんていう言葉ほど、自分に縁の無い言葉は無いと思ってきた。

普段、人を人としては見ても、男女という括りで見ることは無い。

恋心などご法度。

自分を女だとか男だとかを思った事などない。

もちろん、男に敵わない点は多々自覚はあるが、心の目を曇らせるそれらは完全に心に封印してきたはずだ。

それなのに、なぜ、この男の言葉はこうもすんなりと、自分が女であると強く自覚させるのだろう。

心の鍛錬がやはり足りなかったのだろうかと、そんな事を思う。


キョーコは、仕方なく、レンに向かって、眼鏡を取った。

レンは、にこっと笑って、もう一本花を手折るとキョーコの手に無理やり収め、「やっぱりその方が可愛い」と言って、笑った。

ふい、と、キョーコはその視線を避けて顔をそむけた。

どうしても、この男の自分を見る目が、普通の女を扱うそれで、どう対処していいのか分からず困ってしまう。


「オレの部屋では、今後一切眼鏡は禁止。主人命令だよ。」

もちろん、首を縦に振るしか手段は無く、ノーとは、言えなかった。


花畑を前に、レンがそれ以上口を開く事はなかった。

キョーコも話せない以上、それ以上に会話が進むことは無い。

ぼんやりと二人は風に揺れる花々を見ていて、しばらくして、キョーコは目を見開いた。

 
――ピチュ、ピチュピチュ・・・


レンの肩に、一羽の鳥が止まっている。
そして、その手にも、鳥が一羽止まっていた。
彼はその様子を微笑みながら見ている。

――気配が無い。

――だから、不意に声をかけられて何度も身を硬直させる羽目になったのだ・・・・。
 
普段気配を読むのは、キョーコの生活にとって水を飲むようなものだった。


なのに、気付けばこの背の高い男は、今、完全に気配が無い。


だから、鳥も、木の枝同様止まりに来るのだという結論に思い至った。


その結論に思い当たるまでの数秒で、鳥は、ぱたぱたぱた・・・・と飛んでいってしまったが・・・。


「君が気を張るから・・・飛んでいってしまった。」


レンはそう言った。


この男もまた、普段から、気配を読み、自らのそれは消す訓練をしているのだと・・・そう歳も変らないレンの数知れない力を、キョーコは羨ましく思った。



「君は・・・元々、オレと同じような職業だっただろう・・・?」


「・・・・・・・」


「君の手は・・・オレと同じような場所にマメがある。それに・・・普通の生活を送ってきたような女の子の目じゃない。何か訓練が施された目だ。オレをいとも簡単に殺せるような、ね・・・。もし君がアサシンの訓練者で、いつかその血が疼いて誰かを処分したくなったら言ってくれ。まずはオレの命を差し出そう。」



レンがキョーコの髪に触れると、キョーコの腕はビクリ、と震え、しかし先程アザが出来るほど強く薙ぎ払ってしまった事を思い出してレンの手を払う事を思いとどまった。



レンはキョーコの手にしていた花をその手から取ると、髪に挿した。



「可愛い。そんな事今の君にはして欲しくはないけどね・・・。」


キョーコは、その大きな目を最大限に見開き、レンの手が頭を撫でおろした感触と初めての経験に、どうしていいのか分からず、この最近では本当に久しぶりに固まってしまった。



レンは、そんなキョーコを見て、ふ、とやや慈愛に満ちた表情を浮かべて髪をもう一度梳く。



「今、君に紙とペンを渡したら、一体何と書いてくれるのかな・・・・・。」


レンはキョーコの髪から手をどけると、キョーコの二の腕を掴み、立たせた。



「そろそろ帰ろう。・・・・君、ホント良く鍛えられているな・・・・男でもこんなに綺麗に筋肉付いているヤツ最近では珍しいだろう・・・メイドやめて、オレの下で騎士として働く?」

「・・・・・・・・・・!」

キョーコが、腕の筋肉を褒められ、見たことも無いほど凶悪な顔をしたのを、レンは笑いながら見ていた。



そしてすぐに飛んできたキョーコの平手を交わし、逆に腕を取ると、くるりと身体を回し、後ろをから羽交い絞めにした。



暴れるキョーコをその圧倒的な力で自分の身体に押さえつける。


そして、メイド服のスカートの上から、ある一点を押さえた。


キョーコが身体を硬直させる。


「まだまだだな・・・。精神訓練は受けているんだろうが・・・次に何の行動を起こすか、バレバレだよ・・・。」



キョーコの耳元でそっと囁くレンの声を避けるようにキョーコは顔を逆側に背ける。


普段は出来るポーカーフェイスも、無表情も、どうもこの男の前ではうまく出来ない。


押さえられた箇所をレンが逆さになぞり上げると、キョーコの足元に、ナイフが一本落ちた。


「いけない子だな・・・主人に仕える身の人間がこんな所に刃物なんて・・・。」


レンの耳へのささやきが止まず、キョーコはその低く優しくすごむその声に、どうにもこうにも身体から力が抜けそうになる。


なぜそんな反応を身体がするのかは分からない。


落ちたナイフを蹴り、遠ざけたレンは、キョーコに言った。

「オレの傍で訓練していい・・・ただし、男としてオレの剣の相手として振舞うんだ・・・。オレが引き抜いたことにする・・・。オレが君を鍛えてやる。いつか君が本当に誰かを処分したくなったとき、オレが手を施した君に殺されるなら、本望だよ。」


ちう、と耳の端を吸って軽く噛んでぺろり、と舐めてから、キョーコを離したレンに、今度はキョーコも容赦をしなかった。

 

――バシンッ・・・・・・・・・・・・・!!!!!


 
「全く毎度本当にいい平手だな・・・。ぶつ方も同じだけ痛いだろうに・・・。耳を噛むのはこの国の愛情表現の一つだよ。君も何ならオレのを噛んでくれてもいいけど?幸いにしてオレは君の主人だからね。何かの忠誠心を誓ってくれるならね。」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!(怒)。」



「本当に分かりやすくて可愛いよね、君は。」
 
 

キョーコは真っ赤に赤面しながらも、レンが避けられた平手を敢えて受け止めた事を、理解していた。




 
*****




 
――・・・・・・・・・・。パタン。
 
「どう?新作なの。」

「何のです・・・。」

「何って、次の映画の企画書のあらすじに決まっているじゃない。ファンタジー系♪」

「何で・・・オレとあの子の名前なんです、大田原先生。」

「・・・・・蓮ちゃん・・・・・?その業界名で呼んだらいけないと・・・・何度言ったら分かるのかしら?いい加減覚えてちょうだい・・・私のペンネーム、カナ♪」

「はいはい、大田原先生・・・・。」

「蓮ちゃん・・・ききわけが悪いと・・・・本当にこの企画書・・・・貴方と京子ちゃんで推して作るわよ・・・・?いいのかしら・・・・?この間の貴方と京子ちゃんの話している姿を見て閃いたのよ。宝田先生にもOK頂いているのよ・・・・うふふ・・・。さぁ、呼んでちょうだい、カナちゃん♪って!!」


――蓮様一時無表情にて固まる。


「あれ~~~~敦賀さんとカナ先生っ♪こんにちはっ♪」

「あら、京子ちゃん!京子ちゃんはいい子ね。可愛い子。誰かさんと違って・・・・・。」

「カナ先生、相変わらずお綺麗です。」

「うふふ、ありがとっ。そうそう、京子ちゃん、この企画書、今度送るわぁ~。もうぜひ京子ちゃんに主演していただきたいのっ!京子ちゃんじゃなきゃ、私この企画書卸さないっ♪」

「ほ、本当ですか?先生~~~~~~~~~♪」

「最上さん・・・・あのね・・・・。」

「蓮ちゃんは黙っていらっしゃい・・・・。」

「・・・(冒頭からして演技するなんて無理だよ・・・・・)。」

「京子ちゃん、コレが台本の一部。ちゃんとしたのを送るけど、先に読んでね!」

 
――バサリッ・・・・・・・・

 
「何をするの、蓮ちゃん!!」

「青少年の健全な育成を阻害する有害台本。」

「な、なんですってぇぇぇぇ!!!乙女の萌えを何て言葉で片付けるのかしらっ(怒)。」

「乙女?・・・君は見なくていい・・・。」

「敦賀さん?」

「蓮ちゃん・・・(最低音)。」

「はいはい、カナ先生・・・いいですから、コレはオレが貰います。」

「もし企画書で出さなければ、今度の夏のイベントの新刊に出しちゃうもの♪私今度芸能ジャンルで出るのっ。もちろん、蓮ちゃんと京子ちゃん萌えでっ♪」

「・・・・・(先生は一体何のイベントをするんだ・・・?芸能ジャンル?イベントに出ると燃えるのか・・・・?)」

「最近の芸能界でも多いのよ?「萌え」タレ。うふふ・・・・・蓮ちゃん・・・・貴方もしかして、もしかして萌えを知らないわね・・・・?カナ先生が今から教えてあげる。」

「・・・(ぞくっ・・・・)・・・い、いえ・・・遠慮しておきます・・・(あとで、携帯辞書を使えばいいし)・・・。」

「カナ先生ぇぇぇ・・・???敦賀さん・・・・?どうしたんです・・・・・??????」

「最上さん、コレは・・・君がやるには早すぎる。もっと違う役の台本を優先した方がいいよ。」

「京子ちゃん!!!コレは京子ちゃんじゃないとできないのっ。それと仕方が無いけど、蓮ちゃんとね!」

「カナ先生。」

「な、何かしら・・・?蓮ちゃん・・・?」

「それを企画に提出したらオレは今後一切主演断りますよ。」

「む、むむぅ・・・・。私のっ・・・私の夢がっ・・・!」

「敦賀さん、一体何のお話なんでしょうか・・・・?私がやるには素敵な台本すぎて、まだ演技力が不足していますか・・・・?」

「いいや・・・・?この台本が悪いんだよ。君は悪くない。さぁ、帰ろう。カナ先生は最近仕事をしすぎてどうもお疲れのご様子だからね。早く休ませてあげよう。だからこんな台本を作ってしまうんだよ。」

「・・・・・?はぁ・・・・。」

「蓮ちゃんのばかっ・・・・・。宝田先生に持って行っちゃうもの!!!宝田先生に自らお願いしちゃうものっ。」

「はいはい、どうぞ。」

「・・・お、乙女の夢だったのに・・・メイドな京子ちゃんと、ご主人様な蓮ちゃん・・・・。萌えるのに・・・・。」

「・・・・・・(怒)・・・・・・・。最上さん、さっさと帰ろう。変な病気がうつる。」

「は、はいっ・・・(ブルブル・・・触らぬ大魔王に崇りなし・・・)。」
 
 
――蓮様の美しいお顔が大魔王に暗転したため、終了。
 
 
 

 
 




2019.3.1


過去の眠っている原稿発掘シリーズ。

2007年夏ごろの作品です。




これはこれでカナ先生に全体を書いていただきたいような気もします。こぼれ話として、話せないのには設定も勿論ありましたが、アーキタイプとしての人魚姫にもかけたのだったと思います。コミックス総扉の、蓮と人魚姫キョーコさんも最高に大好きです・・・(うっとり)。