ながい愛



「幸せ・・・」



彼女はそう言った。特に何をした訳でもない。横で台本を読んでいる彼女に、眠る前身体を温めようと、ホットミルクを作り、蜂蜜でマグを淵取って渡しただけだ。



ふ~と吹き冷まして口にした後、その一言を貰った。


「美味しい?」

「うん。」



腕の中の彼女はオレを見上げた。ストレートな極上の笑顔が返ってきた。そしてマグを抱えながら、また台本に夢中。少し傾いたマグに気づいて、それを取上げ、ガラステーブルの上に置く。彼女はオレを見上げて台本を閉じた。



「こぼすから・・・。」
「もしかして私子供みたいに扱われてる?」
「・・・?そんなに目を輝かせる事?」
「ふふ、”幸せ”なの。」
「何が・・・?」
「私のする事、気にかけて貰った事そう多くないから。」



笑顔でそう言った彼女の手をそっと取って握った。彼女が一体どんな子供時代を送ったのかを思い、今そうして「幸せ」と言う彼女を切なく思うのは、何かの同情なのだろうか・・・。


そして彼女はしばらくするとまた、「幸せ」、と言った。



「今日は何かいい事でもあった?」
「特別いい事なんて無いけど。」
「なんでそんなに幸せ?」
「しあわせだから。」
「キョーコちゃん・・・・。」
「ふふ・・・。」



彼女は、オレに腕を絡ませて、ただ微笑んでいた。
そっと口付けた唇は、ほんの少しだけ、蜂蜜の味がした。



ミルクで温まったのだろう・・・・腕の中で身を寄せていた彼女がうとうと、とうたた寝を始めた。滑り落ちそうになった台本を取り、横に置く。


彼女が寝付く直前よく指を絡ませてみる。まるで子供のようにオレの人差し指をゆるく握る。軽く熟睡すると、パタリ、とオレの指を握っていた手は太ももの上に落ちる。その代わり、もぞもぞもぞ・・・と身を寄せてくる。体温が下がり寒いのだろう。


彼女は台本を読みながらよくうたた寝をする。いつもソファに掛けてあるベージュのブランケットを取る。彼女と自分の身体ごとそれで包み、その眠るさまを見ている。規則正しい寝息。触れれば規則正しいゆっくりとした脈が感じられるだろう。



――なんでもない様が、体温が、なんて”幸せ”なのだろう・・・・・。







*****






深く暗い海の底に隠した、本音


水面はいつも穏やか・・・・





「シアワセナノ。」



「シアワセダネ。」




・・・・・・・?









ながい愛








幾度と無くこの腕に閉じ込めてきた彼女達も、オレを前にして、「シアワセ・・・・」と言った。愛を交わした後、けだるい体温の中、口付けると出てくる「シアワセ」。彼女達は微笑み、皆口々にそう言った。オレも「その状態」が「シアワセ」なのだと思った。


そして彼女達は皆その数ヵ月後には「私の方が愛しているわ」と言い、「私と居てシアワセじゃないの?」と言った。


オレは「シアワセだよ?」と言うのに、彼女達は何故か更に逆上した。どんな言葉が欲しかったのか全然理解できなかった。オレは彼女達を「シアワセ」にしてあげられていると思ったし、あの言葉は一体何だったのか、自分も「シアワセ」なのだと思っていた。


彼女が出来て、しばらくすると同じようにフラれる。しばらくして、仲良くなった子に「今フリーなの?」と聞かれ、「そうだね」と苦笑うと、「スキナノ」と言われ、今度こそは「シアワセ」にしてあげようと思った。腕の中で「アイシテル?」と聞かれ、言って欲しいと言われてそう囁き、「シアワセダヨ」と繰り返した。そうする事で、互いに愛を得ているのだと思った。それで心が得られていると思った。


しかし現実はそうではないらしい。最後の最後には、今回は半年持っただけいつもよりマシ・・・・という結論になり、仕事も忙しくなると、徐々にそういうものすら鬱陶しくなった。毎回同じ結果なら、「スキデス」という女の子の相手をするのが面倒になった。


結婚までたどり着くほかの男たちは、「アイシテル」「スキダヨ」以外に、一体どんな言葉を囁いて結婚までしたのだろう?・・・・・と。



確かにあの時々彼女達の言う「シアワセ」という言葉は本当のモノで、本当に「幸せ」でいてくれたからこそ、オレに「幸せ?」と問いかけていたはずなのに、オレは本当の意味で誰も「幸せ」にはしていなかったらしい。


「悩んでいるなら話して。」・・・・キョーコちゃんも言ってくれたけれど・・・・よく彼女達もそう言った。「無いよ、悩みなんて。」そんな彼女達に話せるような事など何も無い・・・・。



――アイシテイルナラ、スベテハナシテ。



そんな事を言う彼女達を鬱陶しく思ったのは、アイシテイナカッタからだろう・・・。本音を全て隠し気持ちも隠し、オレのことは一切話さず、ただ傍にいるだけの、まるで人付き合いのようなあたり障り無い恋愛なんて、彼女達は求めていなかった。



今この腕の中の優しい重みにそう振り返る。



そしてまるで彼女達の仕返しかのように、彼女達がオレに言った言葉をこの子に思う。



お願いだから、何も隠さないで。
君の中の全ての心を、身体を、オレに預けて欲しい。




たった一つの心が欲しいと願った。他の愛なんていらない。



彼女達がどれだけの切ない気持ちをオレにぶつけていたのかを知った。愛した方が負けだと誰か言ったけれど、そうじゃない、より多く愛した方が苦しいこの愛しい気持ちを得るのだと。



その答えは単純だったけれど、オレの全てをかけた気持ちをぶつけられる相手がそこに在ること、そして代替がきかない唯一無二のそれは儚く、どうしようもなく愛しかった。



最初・・・・いつの間にか初雪のようにはらはら降ってきたそれを、いつも通り振り払うつもりだった。触れれば溶ける。払えば無くなる。けれど「雪」は時間をかけていつのまにか心に柔らかく降り積り、時に激しく心の中で吹雪いた。隠していた本音はいつのまにか根雪と化していた。


初めて気づいた「愛」は、触れたら溶けて無くなりそうで、じきに怖くなった。今までどおり彼女が「幸せ」ならそれでいいと思うのに、心は苦しくて、今までのように容易に「愛している」などと、到底口に出来ず、初めて「愛してる」と口にした時、「幸せ」でも何でもなく、ひどく苦しかった。



誰にも渡したくない、見せたくない、触れさせたくない。
こんな愛しい表情を、乱れた声を、他の男になんてさせない、絶対に見せない。



彼女を抱いてそう思えば思うほど愛しくて、抱きながら、考えるでもなく自然に「愛してる・・・」と何度もその耳元に言い放った。けだるい体温の中彼女に口付け抱きしめると、「幸せ・・・」と言った柔らかく湿った吐息がオレの耳にかかった。


オレは「幸せ」なはず・・・なのに、まるで溶けて無くなってしまいそうなその「幸せ」に、なぜかひどく切なくなった。いつか、いつものように「サヨナラ」を言われ「彼女達」の中に埋もれていくのがイヤだった。どうしたらこの子の愛を繋ぎとめておけるだろうと、この一瞬の激しい愛が溶けないようにもう一度きつく抱き寄せて、激しく唇を奪った。



オレの中の真の「幸せ」は、皆が言うように穏やかでも何でもなく、激情に近かった。この子はそれをいつも照れながら笑って受け入れてくれる。オレの本音を全て見せても、彼女は微笑んだ。それがどれだけ嬉しいのか、どれだけオレが愛しているのか、どれだけ君を欲しかったか、君には分からないだろう。




彼女が、「しあわせ・・・」と言った時。
オレも「幸せ」になる。


そんな関係が永遠に続くといい・・・・。
そう祈る。



ぎゅっと身体を抱き寄せ、唇を吸うと、彼女は目を覚ました。

「蓮・・・。」


ほよほよ・・・・とまだ覚めない視線を彷徨わせて、彼女は柔らかく微笑んだ。


「あったかい・・・いつもありがと。」


温かいのは、オレの身体と心の両方・・・・。夜、こうして昔のように優しい・・・無垢な目を向ける彼女を抱きしめる愛しさは何にも替え難く、「幸せ」だろう。


「ねぇ、オレは“幸せ”だよ?」
「なぁに・・・?」
「いや・・・君がさっきそう言ってくれて嬉しかったから・・・。」
「ふふ・・・蓮が幸せなら・・・私も幸せ・・・・。」


同じ優しさを、気持ちを分け合える幸せ・・・・。互いに掛け合ったブランケットの中で抱きしめてくれた彼女の、柔らかな声が耳をくすぐる。すりすりすり・・・・と頬を寄せて甘えたになった彼女は、どうしようもなく可愛い。


「うたた寝すると全部包んでくれるから・・・起きた時嬉しくて・・・いつも甘えちゃう・・・・。」
「くすくす・・・風邪ひいても知らないよ?」
「大丈夫・・・熟睡する前に蓮が止めてくれるもん・・・・。」
「じゃあね、今度は君がオレを暖めて・・・・。」



今度は温かい毛布に優しく包んで、そしてゆっくりと君を暖めてあげる。
愛も幸せも、オレの素直な激しい心も・・・全て見せてあげるから・・・。




だから、どうか・・・ながい愛を・・・・・。














2006.10.20

1st.Anniversary SS として