バラの融点7

バラの融点 7


『Under The Rose 1』


『バラは誇り高く美しく咲き、そして、いつか枯れる時が来る。沢山の誇り高いバラ達を育て、枯れて行く様を見守り、自然に送り出す。この世に咲く機会ができたのだから、できるだけ綺麗に咲かせてあげたいと思う。

・・・・(中略)・・・・

会えた時は彼女にその日咲いたバラを渡たしていた。それは枯れずに変わらないものがあるという事を伝えたかった。いつまでも僕は君が好きだという事を。

・・・・(中略)・・・・

小さな彼女は、引っ越す事が決まった。泣きながら、僕にさよならを言いに来て、僕に真っ赤なバラを一本くれた。「ありがとう」と言いながら。「ありがとう」という言葉がこんなに淋しかった事は無い。僕のバラを育てる理由は、彼女に求めたのに。もちろん彼女がいなくなったらバラを育てない訳ではない。が、僕の宝物を渡す相手がいなくなるのは、すごく淋しかった。

大きくなったら会いたいね、と、彼女の唇に初めて子供同士の幼いキスをして、伝えた。目をぱちぱちさせた彼女は、真っ赤になって照れた。そんな彼女を抱き締めてさよならをした。バラを花束にしてプレゼントして、それを抱える彼女を腕いっぱいに抱き締めた。「バラを見たら僕を思い出して」と言った。彼女も、うん、と言った。

バラをあげても泣きやまなかったのは、この時が最初で最後だった。僕と別れるのが嫌で泣きながら帰る彼女の背中を見ているのがとても辛かった。しばらくして、僕は彼女がいつも握っては待っていた柵に咲いていたバラを枯らした。僕の寂しさで、バラが枯れてしまったのだと思った。その柵にバラが咲くことはそれ以降無くなり、ママのアイビーを代わりに這わせた。

引っ越してすぐに彼女から手紙が届いた。たどたどしい字で、「また会おうね」と書いてあった。「いつでも遊びに来て」と返事をした。会いに来る事は一度も無かった。それからは両親に育てたバラをプレゼントする事にした。

・・・・(中略)・・・・

いつしか彼女の事を忘れ、オレも大きくなって小さな恋を重ねた。彼女達にバラをプレゼントする事が出来なかったのは、バラは特別だったから。だから彼女達にプレゼントするのはいつも違う花になった。いつかバラを渡したい相手が見つかるといいと思っていた。

・・・・(中略)・・・・

そしてついに自分たちも新たな家に引っ越す事になった。父はバラを移植する事を願ったが、オレは断った。どんなものでも、いつか枯れる時が来る。次の人の手に渡った時の運命に委ねよう、そう言った。長い間大事にバラの世話をしていたオレがそう言ったのがショックだったのか、父はそれについて返事をする事は無かった。

父はオレに内緒で、新しい家にオレの育てたバラを全て移植した。バラがあることに驚いたオレに、「いつか枯れるならオレの手元で」と言った。そう、バラをオレに預けたのは父だった。幼い時の自分に。バラは自然に属しているのだから、環境が変われば、手をかけてもらえなければ、枯れていく。移せば育つ。

バラのことなら何でも知っている。育てたいように育てられる。優雅で立派なバラを咲かすことが出来る。庭の隅には可憐な小さな野バラも育てられる。土作りさえすれば、移植しても綺麗に咲く。咲くのに。

自然の理を自分の庭に持ち込んでいるのは自分なのに、いつか自分がバラの運命を決めていたような気がしていた。父がバラを心から大事にしている事を忘れていた。バラ達に対する背信。あんなに大事にしてきたと思ったのに。

バラの番はしばらく出来そうにないと、父にバラの世話を返した。 』


*****



台本読み合わせが進み、蓮やキョーコもいよいよ撮影開始に入ろうとしていた。クランクインから数日は幼少風景を撮っていたから、蓮やキョーコの子供時代役の子だけが呼ばれ、蓮やキョーコは呼ばれていなかった。

キョーコは倦まず弛まず蓮の家で食事を作り、役作りをした。そして、原稿を書く姿を見守る。蓮の自由時間は殆ど無い。そんな彼を静かに見守るにつけ、「なぜ自分はここにいるのだろうか?」という疑問が湧いた。かつてあんなに手痛い気持ちを覚えたのに。ここにいた所で別にラブミー部のハンコを押してもらえる訳ではない。蓮を利用しているのか、と、奏江が言った事を思い出すが、そんなつもりは無い。無いが、台詞合わせをしたり、作品に対するイメージを互いに深めているのだ、という理由付けそのものが、それなのだろうか。


「敦賀さん」

キョーコはソファでうたた寝をしている蓮の元に立った。眠ってくれるならベッドに移動しないと余計身体が疲れてしまう。呼んでも起きないから、蓮の肩を揺すった。

「起きて下さい、風邪をひきます」


ふっと・・・蓮の持っている本に目が行った。英語で書かれたバラの本。海外の庭の写真が載っている。本当に育てているのかしら、と思うもこの家に土は無い。作品のイメージを膨らませるための資料の一冊だったのだろう。横には映画用の台本が落ちている。落ちていたページは、主人公の男が、バラを再度育てようと決心する場面だった。


「おーきてくださいー」

キョーコは再度肩を揺する。目を開いた蓮の手がキョーコの手を覆った。

「おきてる・・・」

まだ意識がぼやぼやしている蓮は、キョーコの手を握り、再度目を閉じた。


まるで子供のような蓮。もちろん人間なのだから眠りもすれば、ぼんやりする事もあるだろう。そこにはただの身体の大きな人間が一人、というだけで、世界の敦賀蓮の姿では無い。

なぜそんな姿まで見せてくれるのだろう。そもそも、自分の本当の事をキョーコに知っていて欲しかったという蓮の意図はキョーコには少しも分からない。そんな弱みまでさらりとキョーコに見せてしまう蓮は、キョーコに救って欲しいと望んでいる訳ではないし、本当は強い気がした。


蓮の姿を見守りながら、自分がこの空間に居続ける理由を思う。こうしてうたた寝する蓮の姿やぼんやりする仕草を見ながら、まるで恋をしているかのように愛おしいなどという感情が溢れ出て来るのは如何なものか。愛情にも似たこの愛しいという気持ちは一体何なのだろう。これが所謂母性本能というものなのだろうか。


キョーコは蓮の暖かい手を振り払うことができずに、どうしよう、と、蓮の目の前で正座をしたまましばらくの間固まっていた。が、どうしようもないから手を離そうとした。

「・・・起こしてもらうの・・・いいよね・・・」

蓮はあまり声に力が入らない状態で声を出した。
キョーコは、なんだ、起きていたのなら言ってくれれば・・・と思った。

「・・・風邪ひきます・・・」
「・・・・一人だと、うたた寝しても誰も起こしてくれないから・・・」

蓮はそんな状況を楽しんでいるとしか思えない。ふぅ、と、息を吐き出し立ち上がったキョーコは、蓮の両手を握った。蓮はようやくしっかりと目を開けた。キョーコは蓮の身体を自分の体重で引いて起こした。

「もうっ、楽しまないで下さい、私ももう寝ようと思います」
「くすくす・・・ゴメンね、ありがとう」

蓮も立ち上がると、キョーコを軽く抱きしめた。寝不足気味の自分に、この柔らかさはやや刺激的で危ないな、などと思いながら。

キョーコも毎晩の挨拶とはいえ、海外の親しい人間との挨拶というそれは、未だにどうも慣れない。キョーコが蓮を抱きしめ返さねば、それは終わらない。キョーコも蓮の背中をそっと、抱きしめた。一言を付加えて。

「日本ではこんな挨拶しないんです」

キョーコがついにそう言うと、蓮は至極当然かのように「そうだね」と言った。なんだ知っていたの、と、さらっと流した蓮をやや恨めしく思う。一体何を自分に求めているのか。

「じゃあ・・・」
「・・・ぬくもりが欲しい時が、誰にでもあるだろう?」

――いえ、ありませんが・・・?

と言ってしまっては話が終わる。蓮に抱き締められた所で、それがいいとか悪いとか、心酔するとか心地いいとかの感想は無く、更には抱き締めたいとか抱き締められたいとか、男に甘えたいとか、そういった蓮が求めているだろう感想は無かった。寧ろ、怖い。

「・・・今度、抱き枕を買ってきますね。某癒やし系クマの等身大抱き枕がこの間発売されていましたが、いかがでしょうか・・・・」
「(・・・なぜそんな感想になるかな・・・)・・・あったかい君の方がいい」
「・・・・・・?」

キョーコは口をぱかん、と開けて、マヌケな顔で蓮を見ていた。

「・・・こらこら、未来の大女優を目指している子がそんな顔をしない」

蓮はキョーコの唇を指で閉じて、再度腕の中に入れた。見下ろしながら、固まったまま動かないキョーコに蓮もさすがに苦笑いを浮かべて、「ごめん、友達だと思って、悪ふざけが過ぎたね」、と言って離した。

「友達・・・?ってどういう・・・私と敦賀さんは・・・」
「作家と、仕事を言い渡されているラブミー部員?それとも、事務所の先輩と後輩?・・・まあ・・・どんな関係でもいいけどね。オレが君に感じている感情と、同じとは言わないけど・・・何か親しい感情を持ってくれているから、ここに居てくれているのだと思っていたんだけど・・・違った?」

蓮は、ソファに座って、足を組み、軽く微笑む。キョーコへの気遣いからか、ややラフな雰囲気を作ろうとしているのは、キョーコにも伝わった。

「お友達とは、呼べません。先輩後輩・・・という程の経験も知識もきっと欠けていて、こうしてそばで勉強させていただけるだけでも嬉しいなって・・・そう思っています。でも、映画でお客さんが見る時は、一切関係なく対等ですから・・・。映画を、良い物にしたいのは、分かっています。雰囲気作りなら、お気遣いしてもらわなくても大丈夫です・・・から・・・」

キョーコは蓮の目の前で、だんだん声が小さくなった。蓮の気遣いは嬉しい。感じた通りに言い表すならそうだ。けれど、まるでプライベートまでも恋人らしく、なんて、やりたくない。でも、蓮の腕の中は暖かい。堂々巡りのような思考回路に入る。蓮を見れば、自分をまっすぐに見あげる蓮の視線。絡む。逸らせない。

キョーコが先に視線を逸らした。嫌だ、という気持ちの方が強かった。教えてもらっているのは、恋ではない。蓮に恋心など、抱かない。

「人として傍にいるんじゃだめですか・・・?お友達でも何でもいいです。でも、お、男の人・・・と・・・意識するのは怖くて・・・意識しないから、こうしてこの場に、今、いられるんです・・・・」

キョーコは床に、ぺたり、と座った。蓮のまっすぐな視線から、逃げた。

「ゴ、ゴメンなさい・・・何言っているんでしょう、忘れてくださいっ・・・」

キョーコは慌てて言葉を否定して、耳まで真っ赤になって目をつぶり、首を左右に勢いよく振った。

「・・・なぜ?君がオレを、男として意識したいのに、怖くて出来ない、と言ってくれているんだろう・・・?」

蓮はやや、残念そうにそう言った。むしろ、男として意識して欲しいと、遠まわしに言われているのではないかと、いや、そんな大それた勘違い・・・と、キョーコはもう苦しいぐらいの胸の動悸がして、めまいがしそうだった。

「でも・・・オレは男で、君は女の子、生まれも育ちも考え方も全然違うし、四つも違う。でも、今、目の前に居る。それは、どこまでいっても、どんな事があっても変わらない」
「・・・・・・・」
「・・・君がオレに望むのが、いい先輩、というのであれば、それでおしまいだし、君がオレに友情や愛情を感じてくれるのなら、それでもいい。所詮男と女は本能的に恋愛するように出来てる。君が今、こうして居てくれる理由は、何?何の情なの愛情?友情?それとも、仕事でいい点数を取りたいとか、義務感で居てくれているの?」


――『男女の間に友情なんて芽生えないわ。あるのは恋愛感情か利害関係だけよ』


そう言った奏江と全く逆の事を言う蓮。蓮はキョーコを利用している訳ではないらしい。


――強いようでいて、とても寂しいって、敦賀さんの心は言っている気がするんです。だから・・・


心ではそう思っているが、当然ながら口に出す事は出来ない。蓮の心の寂しさや辛さを感じる。慰めてあげたいからそばに居るなどというのは、友情や愛情に似た何かの気持ちの押し付けのような気がした。


でも、そばに居続けているのは・・・。


「・・・・敦賀さん、もう一度、抱き締めてみてください・・・」


口にした自分に驚いた。何を言ったのか、一瞬自分でも理解できなかった。追い詰めに追い詰められて、出てきた言葉がそれとは。


「いや、あの、ごめんなさい、一体、どういう感情なのか、確かめようと、いえ、ちがうんです、あの、」


笑いながらもちろん、と言って立ち上がり、蓮は目を回すキョーコを抱き締めた。先程と同じように、そっと、やさしく。


「どう思う?」


笑い続ける蓮を抱き締めると、笑う蓮の上半身の振動が伝わってくる。

「よく、分かりません。でも、あたたかいです」
「抱き枕もゲストルームにご用意しましょうか?お嬢さん」
「いりません!」


抱き締め続けていたから、離れた。確かにあたたかい。ドキドキするような気もする。でも、蓮が言う、ぬくもりが欲しい、というのは、どういう感情なのか。


「私のぬくもりでよければ差し上げますが、私ので、いいのでしょうか?他の方に、怒られませんか?」


と、言ったキョーコの言葉に、蓮は吹き出した。


――あーあ・・・見事だよね・・・・


「・・・・いや、ゴメン・・・」


蓮はしばらく笑い続け、意味が分からないキョーコは尚更困り果てた。


――直球じゃないと、この子には通用しないみたいだ・・・


とはいえ、蓮は、自分の持っているキョーコへの感情を表にまだ出すつもりは無かった。こうしてゆるやかな時間を過ごすのも悪くない。相手が自分であれ誰であれ、キョーコは恋愛をしたいとは思っていない。


「オレへの感情がどんなものでもいいけれど、オレは君におやすみのハグをしたいからする。それだけだよ。君の、ぬくもりを・・・・」


蓮はもう一度キョーコを抱き締めた。今度は少しだけ強く。腕の中にキョーコの身体全体を入れる。キョーコの頬が蓮の身体に押し付けられる形になった。目を見開いたキョーコは、固まったまま、一体何を考えているのだろう。

蓮は、キョーコのこめかみに、今までよりも少しだけ強く、しかしはっきりと感触が伝わるように、唇を押し当てた。











2008.11.3