バラの融点26

『仮面舞踏会』、とタイトルの付いた久遠レンの新しい本が並んだのは、その年の十二月も半分を超えた日の事だった。

「最上さん、はい、これ、久遠先生からクリスマスプレゼント。バラも一緒に入っていたよ。あ、あと、今日工藤先生のトコ行くなら、もって行ってくれない?頼まれていたらしくて、久遠先生が聞いて、工藤先生にって・・・」

椹が紙袋の中から本を二冊取り出して見せた。
しばらく書かない、と言う前に書いた最後の作品の本だろうか。

キョーコ用の本にも、工藤仁への本へも、前と変わらない久遠レンのサインが入っていた。
本を見ても、バラを見ても、心があっという間にざわつき、締め付けられるような気持ちがして、「ありがとうございますと、先生に伝えてください」、と、それだけを言った。

「あのさ、それからさ」

と、頭をかきながら、少し遠慮がちに椹が切り出した。

「その~なんだ、久遠先生、なんで書けなくなったか、書かなくなったのか、最上さんなら理由を聞いてないかなって・・・」
「いいえ何も。しばらくお会いしていない間に、この本の執筆もなさって、お決めになったみたいですので・・・。私も残念です」
「・・・そうか・・・聞いてないのか・・・。君にだけは話しているかと思ったんだと。社長は本人が休むと言っているならそれでいいじゃないか、と、あっさり認めてしまったから。今懸命に引きとめている所らしいんだけど・・・」

キョーコは「そうですか」とだけ言って、椹に一礼して、部屋を出た。
社屋を出ようとしたところで、入り口のドアをくぐって来た工藤仁に会い、挨拶をして、

「この袋、先生の所にお渡しに行くように頼まれた所だったんです」
「お、そうなの?ちょうど良かったね。オレ、これから少し打ち合わせがあるんだけど、三十分か一時間ぐらい待ってもらえる時間ある?あるならそのあとで食事でもしよう。たまには外もいいよね。ごちそうさせて」
「ええ、もちろん、これから先生の所に電話をおかけして、お時間が良かったら寄ろうと思っていたんです」

工藤仁と並んで廊下を戻ると、廊下の端にはいつものように「カタマリ」氏が座っていて、キョーコは思わず会釈をした。相手もそっと会釈をしたような雰囲気を読み取って、なぜか少しだけホッとした気持ちで廊下を進んだ。

その先で蓮と社に会い、心の、素直すぎる程素直な挙動を押さえようと必死になった。懐かしさと、会った驚きを出来るだけの平静を装って会釈をして、それだけで流そうとして、しかし社の方が「キョーコちゃーん!元気~?」と手を振ってキョーコに声をかけた。

蓮がにこやかに工藤仁に会釈をして「はじめまして」と言い、社も「はじめまして、マネージャーの社です」と挨拶をした。

「こんにちは、はじめまして。キョーコちゃん、紹介してくれる?」
「あの、敦賀さん、こちらは作家の工藤仁先生です、今、ちょっと一緒にお仕事をさせて頂いています。そして、先生、こちらはこの間まで映画を一緒に共演させて頂いていた敦賀蓮さんです」
「そうなんだ、映画、久遠先生の?」
「はい」
「じゃあ、もしオレのがドラマ化とか映画化とかあったら、よかったら」
「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」

にこやかに答える蓮を、キョーコは内心変な汗をかきそうになりながら見ていた。
蓮に、本を貰った礼と共に、何か言い訳でもしたい気持ちだった。

「じゃあ、そろそろオレは時間だからいくね。敦賀さん、お会いできて嬉しかったです。また今度ぜひ改めて話させて下さい。キョーコちゃん、どこかで待っていて。終わったら電話するから」

はい、と答えたキョーコの顔は、出来るだけ普通にしたつもりだった。
鋭い工藤仁が、何かキョーコの変化を読み取ってしまったかもしれなかった。

「最上さん」と、蓮に名前を呼ばれて、はっとして蓮を見上げる。

「少し時間、あるの?」
「はい、工藤先生をお待ちしている間だけ」
「お茶、しよう。社さん、どうします?」
「あぁうん、二人で行ってきて。オレは帰るよ。明日も早いしね」

社は二人を気遣って退散することにして、廊下を入り口方面へ去っていった。その背中を目で追いながら、同時に同じ通路奥ではまだカタマリ氏が静かに座っていて、皆が避けるようにして廊下を曲がっていた。今の会話も全て、彼は聞いていたような気がした。

*****

社内のカフェに辿り着き、蓮がコーヒーを、キョーコが紅茶を頼んで、改めて向き合ったところで、「久しぶりだね」と、蓮がにこやかにキョーコに話しかけた。

「今日椹さんに、コレ、頂きました。ありがとうございます」

キョーコは袋をちらりと見て、蓮に言った。

「どういたしまして」
「あの・・・」
「何?」
「どうして、書くの・・・お休みしてしまったんですか?」
「聞きたい?」
「・・・・・・・はい」
「今度うちでね。ここではやめておくよ」
「はい。そうですね」

会話が途切れて、しばらく二人とも無言だった。視線のやり場にキョーコは困って、テーブルの上に置かれた蓮の手の指をじっと見ていた。トントン、と、何度か指がテーブルを叩いた。そこに飲み物が運ばれてきて、二人はウエイトレスの様子を見守り、飲み物が置かれると会釈をして、見送った。

蓮は一口コーヒーを口にして、言った。

「今は何をしているの?」
「今は、工藤先生のお仕事のお手伝いと、あと、ドラマの端役を少し。それから・・・もっと雑用でも何でもいいので、とお願いして、色々な裏方の仕事をしています。ありがたいことに時間だけはすごく早く過ぎてくれて」
「忙しそうだね」
「敦賀さんもとても忙しいでしょう?コレ、いつ・・・」

再びちらり、と袋に視線を流して、蓮を見た。

「映画の撮影が終わってからかな」
「そう、ですか」

また一人でホテルに篭ったのだろう。ろくな食事もとらなかっただろう。
キョーコは喉がつまり、それ以上気のきいた言葉も出て来ず、蓮の顔を見ることすらうまく出来ずに目を伏せて、紅茶を口に含み、その息苦しさを飲み込んだ。

「本当はね、持って行ってもらっていた事、元々は宅配便なんかを使っていたし、ネットでもそのまま送れたり出来たんだよ」
「え・・・?」
「怒る?」
「いいえ・・・?」

確かに初めて仕事を依頼された時はそんな事も思った。宅配便でも何でも使えば良いのに、と・・・。

ぽかん、と少し口をあけ、その言葉の意味をどう捉えようかと目をしばたくキョーコを見ながら、蓮は、そっと微笑んだ。

「だから、最初から、君がいてもいなくても良かった、って事。君を利用していた、と・・・ここまで言われたら、怒るだろう?」
「いいえ、だって、それもお仕事のうちでしたから・・・」
「そう?本当に?」

何かの感情を飲み込んでしまっているのか、蓮もそれ以上を言わなかった。
キョーコはその言葉の意味を、あれこれと考えながら、蓮が何を本当は言いたいのか探ろうとして、うまくいかなかった。ただ、何か、彼が望んだ返事ではなかったのだろう、とだけ思った。

「敦賀さん」
「ん?」
「今も」
「うん」
「・・・・・いえ、やっぱり、いいです」
「なに?気になる」
「あの、あれ・・・あ、ちょっとすみません」

言いかけて、キョーコの携帯が震えたからそれは遮られてしまった。
工藤仁とカフェの入り口付近で待ち合わせると、キョーコは携帯をしまった。

「もう、時間だね」
「はい」

キョーコが立ち上がると蓮が、「払っておくから先に行っていいよ」とキョーコに行くよう促した。

「すみません、ごちそうさまです」
「工藤先生によろしくね」
「これ、渡しておきますね」
「うん」
「敦賀さん」
「何?」
「冷蔵庫は、もう、空っぽになってしまいましたか?」
「そうだね、殆んど食べさせてもらったよ。おかげでそれができた」

と、蓮は袋を指差しながら言った。

「そうですか、良かったです・・・」

今度また作りに行きますね、それを言いたく思って、でもその言葉も飲み込んだ。それ以上は、今の蓮には特に関係ない人間にとって、ただの余計な世話にしか思えなかった。

「君に・・・まるで家政婦みたいな事をさせて、本当に悪かったと、思ってる。仕事だと割り切れていたなら少し救われるけど・・・また男に使われてとか・・・傷が疼きながら、屈辱的に思いながら作ったんだろうなって・・・。一人で食べながら、後で反省したよ」

蓮が「ごめんね」、と、すまなそうに言ったのを見て、キョーコはただ、首を左右に振った。
半年近くの間、一人で様々思った事がまとめて頭の中に戻ってきて、言葉も出てこなかった。

「キョーコちゃん」

工藤仁がにっこり、と笑って、正面からやってきた。

「あ、すみません!迎えに来て頂いて」
「これから食事にでも、と言っているんですけど、敦賀さんもご一緒にいかがですか?」

工藤仁が蓮にそう声をかけたが、蓮は「いえ、せっかくの二人の時間、お邪魔しちゃ悪いですから」と、にっこり笑って首を振り、それを断った。

「じゃあ、また今度改めてご一緒させてください」

工藤仁も少し微笑み、会釈をした。

「これ、今貰ってきた僕の新しい本なんです。よかったら」

工藤仁が蓮に本を一冊差し出して、蓮が、「嬉しいです」、と言って、少し驚いた顔をした後、頭を下げた。本をテーブルの上に置いて、言った。

「最上さん、これはいいから、行くといいよ」
「すみません、ごちそうさまです。じゃあ」
「またね」

軽く手を上げた蓮に頭を下げて、キョーコは工藤仁に続いた。

一人残された蓮は席に座ったまま、しばらくの間動かなかった。社を伴わずに一人でカフェにいる事など無いから、気付かれれば色んな人間に声をかけられて、ようやく席を立ち上がった。

*****

社屋を出るまで、キョーコも工藤仁も黙っていて、車の後部座席に乗り込んでシートベルトを締めたところで、ようやく工藤仁のほうが先に口を開いた。

「もう少し打ち合わせ長かった方が良かったかな」
「いえ、そんな事」
「彼からオレが奪い取ったみたいで悪かったかなってね」
「?」
「彼が勘違いしていないと良いけど。君が・・・何もかもを許した相手って彼じゃないの?」
「あの・・・・」
「そうなんじゃないかな、とは思っていたんだけど、久遠先生とどっちかな、と思っていたから。一緒にいるところを見て、二人ともまるで付き合いたての恋人同士みたいだったよ。割り込むのが躊躇われるほどね。クリスマス、彼を誘ってみたら?その前に、本当の事を告げるべきかな?」

違います、と、否定しようと思いながら、鋭い工藤仁には、何も隠し通せない気がして、ただ、目を伏せる事でその会話を続けるのを躊躇った。

視線を逸らしたキョーコは、横の袋の中に入った真っ赤な紅いバラの花をただただ見つめていた。




2010.05.08