バラの融点19

『Under The Rose』


二人で過ごす穏やかな日々が続いて、春が回り、夏が過ぎ、一年たって、二人でケーキを作って食べた。


大学を出てセージは大学院に入り、さらにバラの研究に没頭していた。
家に植えるべく新しい苗を持ち帰り、「全く新らしい種なんだ」と興奮気味に言った。

「すごい!」

とカエデは嬉しそうに目を見開いた。


「これがうまく咲いてくれたら・・・・」


とセージは言いかけて、「なんでもないよ」と、笑った。

「何?うまく咲いたら、プレゼントしてくれる?」
「もちろん。一番にね」




そう言った年は、残念ながらうまく咲かなかった。
ほんの少し落ち込む時間があって、その後すぐに咲かなかった理由を調べる為にまた研究の日々が続いた。肥料、土、太陽の量・・・・。


セージは、新しいバラにとり付かれた。
カエデは、花の育て方やバラの育て方はよく分からなかったが、花屋に就職して、花の知識を少しでも増やそうと努力していた。



ある日セージの家をカエデが訪ねると、そこには見知らぬ女性の姿が庭から見えた。セージと二人で、新種のバラの周りで何か作業をしているようだった。
雑誌の取材中などだとすれば、邪魔はしてはいけないと、気付かれないように部屋に入り、湯を沸かし、茶を三人分いれた。


ちょうど呼ぼうとしたときに、二人は部屋に入ってきた。


「あれ、来てたんだ」
「うん、真剣にやっていたから、声をかけなかったの。あ、はじめまして、カエデです」


と、カエデは見知らぬ彼女に笑いかけ、声をかけた。


「こんにちは、おじゃましています。ミカミです。二年ほど前から大学で彼のアシスタントをしています」
「あの、よかったら、手を洗ってもらって、お茶、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」


ミカミも、バラの研究に没頭した一人なのだと言った。
そして、ミカミは、カエデに、セージとの関係を聞く事は無かった。
苗字を名乗らなかった。
妹、だとでも思っただろうか、と、カエデは思った。


花屋では華美な化粧は禁止されている。
対して美しく目元を縁取ったミカミの、容姿端麗な姿。
カエデは珍しく不安な気持ちがした。


二人は、気付くとすぐにバラの話で真剣に議論を交わしていた。
一体それがどういう話の内容なのか、一つもわからない。


ただ、二人を見守った。


そうして、ミカミは頻繁にセージの家へ来るようになった。
次の春が過ぎ、夏が過ぎて、また一年がたとうとしていた。


ミカミはたまに来るカエデの事は、やはり妹だと思っていたようで、ある日、ミカミはカエデに言った。妹だと思っていたから言えた、本当の言葉だったのだろう。


「彼とは、昔、付き合っていたんです。今は、違いますけど。あなたのお姉さんに、なりそこねました。でも、今でも、本当はとても好きで・・・・」

「そう、ですか・・・」

と、カエデは、そう言うのが精一杯だった。

「内緒にしておいて下さいね。じゃないと、彼は真面目だから、きっと、アシスタントでそばにいる事すら、変えられてしまいそうですから」

ふふ、とミカミは少し悲しそうに笑って言った。

二人が一緒だったのはいつの話ですか、とか、セージのアシスタントを続けているのは、バラが好きだからではなくて、彼が好きだからですか、とか、聞きたい事は山ほどあるのに、とっさに口の中が渇き、喉が枯れて、声が出てこなくなった。


「喉が渇いたから、お茶をいれてきますね」


と、その場から逃げ出すので精一杯だった。




セージは、カエデをそばに置いていたが、かつてのように、友達かまるで本物の兄妹かのように、ハグをして少しのキスをする以外は、何をする事も無かった。


ミカミが来るまでは、カエデは、それで、十分幸せだった。
そばにいるだけで、十分幸せだった。
セージの優しい気持ちは、十分すぎるほど伝わっていたはずだった。


しかし、きっと、ミカミが言った、付き合っていた、というのは、今の自分とはまた違った深い意味も含んでいるだろう。自分ではまだ得た事のないような時間を、きっと、たくさん共有した事があるだろう。


全ての話が、かみ合う二人。
バラの話も、二人なら、一つ言えば十わかる。
自分には分からない。


その居場所の無いような劣等感が、カエデを長い事追い詰めていた。


もしかして、自分がいるから、セージはミカミとの関係を戻さないのだろうか。
もし自分がいなかったら、ごく「自然に」、二人は元の二人に戻るのだろう、と思った。


気付きたくないことに気付く、身体から一気に血の気が引く瞬間は、確かな寒さを覚えた。


セージのために食事を作り、そして、まだ話が続いていたミカミの食事も正面に並べた。


カエデは、その日、庭のバラの花を何本も切った。
バラのうち、子供の頃からよくくれた、最も気に入っていたバラだった。



今まで、カエデがセージのバラを切った事は一度も無かった。
セージは、バラは切るためにあると言った。
しかし、セージが心をこめて育てているバラ、切りたいと思ったことは一度も無かった。


小さな花瓶に入れ、食卓にも飾った。
真っ赤な赤い色は、湯気の立ち上るスープの金色に映えて、なんて綺麗なんだろう、と思った。


「大事にしてもらっていたのに、切ってごめんね」、と、カエデはバラに話しかけた。


カエデは、二人に声をかけることも無く、家を出た。


外から部屋を見ると、明るい部屋は、外から良く見えた。
セージとミカミが寄り添い、何かの資料を真剣に読みあっている姿を見る事ができた。


カエデは、切ったバラのうち、一本だけ、持ち帰った。


子供のとき、お別れをした日以来、久しぶりに泣きながら、一人暮らす部屋に、歩いて帰った。





*****





「うぅっ・・・・敦賀さん、女の子を泣かせるなんてひどいです・・・・」


と、撮り終えたキョーコは、泣きながら蓮に文句を言った。
それは、台本に対して、どうしてこんなものを作るの、と、いう意味も含んでいたが、周りは単に、セージの事を言っているのだと思っていた。

周囲は、がやがや、と、片付ける音が続いている。

蓮は「はいはい」と言いながら用意されたタオルをキョーコに手渡し、「悪かった悪かった」と言って頭を撫でた。涙は当分の間止まりそうに無く、キョーコは嗚咽をさらにいっそうひどくして、蓮と美玲がキョーコの背中を撫でた。


「キョ、キョーコちゃん」、と、社も涙をにじませて、うぅ、と言いながら、そばで涙をぬぐった。


今日の最後、キョーコが一人で歩いて帰るシーンを一発でオーケーをだした新開は、そんな様子を見守りながら、二人に何か進展でもあったかな、と、静かに思っていた。


この数日、キョーコがする表情が、まるで理想的なカエデの姿になっていた。
少し、彼女の仕事人としてのプライドを揺さぶっておいたのがよかったのかもしれなかった。


実際、蓮とキョーコがどういった関係になろうと新開には関係は無いが、画面上の表情だけは本物になってくれないと困る。


プロゆえの意地なのだろう、と、明らかに蓮への気持ちを切り替えてきたキョーコに、少しの賞賛を心の中で送った。











2010.02.27