VOCALISE 5



 
 
 蓮とセイは、人形師の最後の方で合流するから、撮影に入っても、あまり会う事は無かった。人気俳優と人気アイドル、スケジュールは出来る限り彼らに合わせる形で進んでいるようだった。

だまってただ、人形の姿をしている。愛する男性の情事を見届ける。
徐々に、人形なのかキョーコなのか分からなくなる瞬間が確かにある。目力だけで、人をどうにか出来そうな気さえする。肩口にいる怨キョが、時々その負の憎悪のエネルギーに嬉しそうに顔を出す。

西洋人形のための、一切瞳孔が動かないカラーコンタクトが入っているから、キョーコの実際の目の動きはカメラに写りはしないものの、監督はそのキョーコの集中力の高さと、人形としての確かな理解力を高く評価していた。

 呼吸も瞬きも、機械のように一定の速度でする事にだいぶ慣れた。

「いいね、京子」

 そんな声が時々聞こえたけれども嬉しく思うような気持ちを遠くに感じながら、ただただ、人形として、傍観しながら憎悪を募らせるような時間がだいぶ長くなった。

 撮影も中盤に入り、蓮が合流した。蓮は西洋人形のキョーコを見て、「とても可愛いね」と言った。育ちの良いお嬢様、ふわふわの長い髪、人形のようなメイク、中世時代のふわりとした洋服。下着も中世の頃のかわいらしいコルセットをはめている。キョーコ自身も、内容はおいておいても、その様子はとても気に入っていた。

 ありがとうございます、と言いながら、蓮がまるで穏やかに神々しく言うから、内心照れたキョーコは、その赤面しそうな気持ちを隠す為に「これからすっごく残虐なシーンのリハーサルですけど、役ですから、気持ち悪く思ったり・・・その・・・嫌いにならないで下さいね?」と言って、笑った。

 蓮も「オレは君を心から愛する役だから、君の怖いシーンの間は見なかった事にして、目を瞑るよ」と言って笑った。

 社は蓮の隣で可愛く笑うキョーコを見て、「ああ、やっといつものキョーコちゃんみたいだ」と、心の中で涙を流す。
 
 
 
その日、セイも途中から合流する事になっていた。

キョーコが残虐な場面のリハーサルをしている時に、セイが入ってきたらしい。

「わっ・・・」

 という声が聞こえ、リハーサル中だと気づき、声を抑え込んだ様子も肌に感じた。

 キョーコも、セイが来たのだ、と思った。声の方を目が振り返りそうになった。でもキョーコは人形。でも、久しぶりに聞いた声にキョーコの心が動いた事が画面に出たらしい。ストップがかかった。

「京子ちゃーん、分かってるよね~」

「すみませんっ、集中します」

「監督、おはようございます。・・・オレが、久しぶりに見たキョーコにびっくりして声を出してしまったせいで、集中を途切れさせてしまって、本当にすみません」

 すぐにセイが近寄り、監督に深く頭を下げた。

 キョーコが驚いて、頭を振る。

「セイ君、京子ちゃんと友達で可愛いからってダメだよ、そうやってかばって甘やかしちゃ」

「違います、本当に怖くて声が」

 セイは、悪戯をする少年のように、可笑しそうにキョーコを見て笑った。スタッフも確かにそう思っているのか、笑いが起きて、キョーコが「ありがとうございます」と、褒められたのに申し訳なさそうに照れた。

「まあまあだろ?」

 監督は、自分の見立てをほめられて気を良くしたのか、ニヤリ、と笑う。

 改めて同じ場面のリハーサル準備に入る。

 セイはキョーコに、「ごめんね」と口の形だけで言いながら、両手を合わせて謝罪のポーズをして、ウィンクを送った。

 キョーコはセイが監督の苛立ちを抑えるため、自ら間に入り、助け舟を出してくれたのだという事を理解していた。雰囲気を一気に明るく戻してくれたセイに感謝しながら、首を振って、アリガトウ、と、やはり口の形だけで返事をした。
 
 
その様子を、社と蓮が見届けて、社が、蓮に言った。

「本当に仲いいんだね、キョーコちゃんとセイ君。それにいい子だね、セイ君」

「そうですね」

 蓮は急に心に思う。

いつもキョーコが自分に作る一枚の壁のような物を。

キョーコとセイの間に、自分が感じるソレが殆ど無いように見えた。

明るく、素直で、仕事もトップの道を歩み、まるで怖いものが何も無いようにさえ見える素直なセイが、心を開いて接しているキョーコに一緒にいて欲しいと言ったら、さすがにキョーコは考えるかもしれないし、そばにいる事を選ぶかもしれない。

確か彼は今、何かの芸能人のランキングでもかなり上位に食い込んでいたはずだ。まさか彼女が何かのランキングや顔で人を選ぶ事は無いとは思うが、かつて復讐を誓った相手に見劣りはしないだろうし、仕事だって最もできる人間の一人に違いない。

初めてだという彼の映画の仕事も、驚くほど誠実に、美しくこなす。非の打ち所が無い。

キョーコが作る蓮への壁は、歳の差なのだろうか。それとも、仕事上の先輩と後輩という遠慮もあるのだろうし、何かの経験の差だろうか。

仕事、という以上に、友達、という枠なら、キョーコはそんなに他人にすぐ心を許すのだろうか。先輩だから?信仰している? 

それが、一体何だと言うのだろう。

だから自分の事を裏切らないとでも思って、キョーコの言葉に甘えていたのではないだろうか。

彼女が言う、「誰も好きにならない」という言葉を最も信じて、その言葉に甘えていたかったのは、自分だったのではないだろうか。

その言葉に、彼女自身の時間を止めていて欲しかったのは、自分じゃないのだろうか。

なんてひどい。とても、腹立たしい。

 敦賀蓮なんて、やめてしまいたくなる。
 

 別にキョーコは、共演者の一人と、仕事上の会話をしているだけ。キョーコの心を思って、全く動く事も手を出す事もできずに来たのは自分なのに・・・。

急に彼女の中に入り込んできて、引っ掻き回さないで欲しい。何も事情を知らないからこそ、あんなに真正面から行けるのだろう。
 
そうして仕事に私情を挟みこむ自分の心にも、とても腹立たしかった。

 そして、キョーコを振り向かせることすら出来ない自分の力量の無さと不甲斐なささえも・・・。
 
 
 もはやイライラが募り、何もかもが、腹立たしく思う。
 ふぅ、と蓮が深く息を吐き出すから、社は、
 
 
――蓮の恋の病はもはや重症だよキョーコちゃん・・・いつものキョーコちゃんみたいにさ、いつでも蓮のそばで明るく笑っていてよ・・・せっかく久しぶりに一緒の現場で、蓮がキョーコちゃんを愛するなんてすごいいいチャンスなのにさ・・・

 
――だって、『敦賀蓮』は、例外ない共演者キラーで有名なんだから・・・。お願いだから、初めての例外にならないでよね・・・(・・・でもキョーコちゃんのプロ精神なら有り得る・・・すごいあり得るよ・・・(涙)・・・)

 
と、半ばすがる様に、心の中で思った。








2014.12月作成
2019.1.23掲載