いつくしむ 19.5

展示会場のための映像を撮る日に久しぶりに全員がテレビ局に集まった。

終わった後に、ハルに挨拶に部屋に入ると、ハルは、ただ一人だけ状況を知っていたようで「おめでとう」と言ってきた。

「やっぱりきちんと伝えるって、すごく大事なことだろう?言わなかった後悔とか行動しなかった後悔は、一生引きずる」とキョーコに言った。

ハルから渡されたDVDを見た感想を、貰ったのだからきちんと言うべきか迷って、キョーコはただ、「DVDを見ました。ハルさんの、演技だと分かっているのに泣きました」とだけ伝えた。

「泣いてくれたんだ」とハルは言い、キョーコは静かに頷いた。

「あのDVDが無かったら、もしかしたら私は大事な人に大事なことを伝え損ねていたかもしれません。敦賀さんと一緒に見させてもらったのですけど、演技だと分かっているのに、ハルさんの後悔の涙と、泣いている声に、私、すごく追い詰められてしまって・・・それで」

「伝えたんだろ?聞いたよ。アイツに。大事な人には、本当に大事な人だと伝えないとね、恋愛でも友情でも、家族でも、仕事仲間でもね。失ってからじゃ伝えられないから」

「ハルさん、ありがとうございました。大事なことを教えて貰いました」

「もしアイツの手の中から零れ落ちたらオレの所へおいで。話を聞くよ」

「は?え?どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。アイツに告白してうまくいかなくて、アイツと仲のいいオレにいつも相談が舞い込んできてなぜかオレが次の相手、っていうパターンが多かったから」

「そう、なんですね?」

「といっても、アイツにぶつかる子は全員ダメだった。でも京子ちゃんは、本当になにかが違ってた。アイツ自ら人を牽制したのを初めて聞いたから。珍しいなと思ったけど、もしかしてオレは絶対に君に触れちゃいけなかったんだと、あとから思ったよ。アイツに大事にされていると思っていいんだろ?」

「私は、大事にしてもらっていると、思っています、が。ハルさんに話をしに行かない日が、一日でも長いといいなと、思います」

「アイツ、どんな恋愛するの。興味あるな」

「え?どんな?」

「世間的なイメージで言えば、アイツのことだから、すごい優しいとか、ものすごい激しい恋愛をするとか、意外とマニュアル通りで全然つまらない、とか?なんだろう?あれだけ恋愛を拒んできたアイツが京子ちゃんだけは違ったから、すごい大事にはされているんだろうなとは思うけど。恋愛が絡むとアイツ何か変わる?」

「優しいです、けど。いえ、私がまだ、全然準備ができていなくて。待ってもらっていて。まだその、恋愛の一歩目くらい?しか、到達していないので・・・」

そう言うと、ハルはキョーコの顔をじっと見た。

「なにか、あの、私、変な事を言いましたか?」

「いや。もしかして、愛される準備ができていないとか、アイツに劣るとか、仕事のレベルがとか世間がとか思って、もっと何かしなければならないと思ってる?」

「正直、そんな感じで・・・。本当に私でいいのだろうか、とかは思ったりします」

「アイツ、京子ちゃんの仕事の姿が好きなんだと思う?それとも君の収入が好きなの?」

「どう、でしょうか?聞いてみたことはありませんが・・・収入に関しては今のところ私が敦賀さんにかなうはずもなく」

「いや、渡したDVD見た時、アイツ何かオレの恋愛について言ってなかったかな」

キョーコは少し言いにくそうにして、うつむいて、一つうなづいた。

「少し伺いました。ハルさんが、あの相手の方とお別れしてから、恋愛の方法が少し変わった、と」

「あの日、どうして、手を離したのか、オレは手を離すべきだなんて思ったのか、いまだに後悔することがある。さっき京子ちゃんに言ったのはオレの昔の記憶。仕事がとか、レベルがとか、世間がとか、愛される資格など無いとか。その時オレはまだ未成年だったし。自信が無くて。愛していたのに山のように後悔したことがある。他のヤツの方が幸せになれるんじゃないかとか。色々。愛していたのに。他のヤツが幸せにすることがいいことなのかなと一瞬思ってしまった。幸せにしたかったから、『オレなんて小さな器の中にいなければ、もっと世界に羽ばたけるのに』と手を離した。仕事の事を思うと、幸せにできる自信がまだなくて。でも本当は色々な事が、想像だけですごく怖かったんだと思うよ。もっと本音を話せばよかったと思う」

ハルは少し笑い、両肩を上げて、ストン、と落とした。

「後悔先に立たず、後の祭り、だけどね」

「そう、ですね、と、言っていいのでしょうか?」

「相手がアイツなんだとしたら、同じように色々思うことも多いかなと。思っただけで」

「・・・その、我慢した気持ちは、今は、その」

「もう過ぎたことだからね。ときどき思い出すだけ。恋愛の方法が変わった訳ではないと、オレは思っているんだけど・・・蓮にはそう見えるらしい。でも、愛したい愛されたい、幸せにしたいと願う相手は意外と多くないんだなとは思うよ。他の誰かなんて関係ない、だから、自信をもって愛したらどうかな、と、オレは思うんだけど」

キョーコは何度も小さくうなづく。

「二人で過ごす日がただ穏やかで・・・。優しく過ぎる時間が、どんなに幸せなことなんだろうって。まだその段階で」

「いいね、いいんじゃないの。アイツが京子ちゃんのタイミングを待ってるんだろ?」

「はい、もう、本当に申し訳ないのですが」

「アイツ、本当に京子ちゃんを好きというか、愛してるんだろうな。オレは待てないもん。英嗣じゃないし」

そう言ってすぐにハルはけらけら笑う。

「待てる相手が出来たら、それは、きっと愛したい相手なのかもしれませんよ?」

「お、言うね?たしかに。そうかも」

「そうですよ。ハルさんですもん。口ではそう言っていても絶対待ちますよ。優しいですもん」

「ありがとう。きっと、そういう所、なんだろうな。蓮が京子ちゃんを好きなの。オレも好きだったけどね。蓮の深さには敵わないんだろうと思うよ」

ハルはそう言うと、置いてあったバッグを取りに行く。背中を向けたまま、

「ま、何かあったら言いに来なよ。一応アイツとは仲がいいから、オレの所に京子ちゃんが来たなんてなったら、アイツ目の色変えて迎えに来ると思うから。取られると、心配してくれるよ」

そう言って少し笑う。

キョーコも少し笑って、

「いつか何かがあって、甘えすぎて私が飽きられるとか、捨てられるとかになって、いつかお別れして、もし話をしに行く日が来たら、聞いてください。たぶん、あまりに辛くて、涙が止まらなくて、顔が顔ではなくなって、肉まんみたいに腫れているとは思いますが、そんな顔でもよければ、哀れな私をかわいそうに思って、腫れた目にキスでもしてください。それで、私は、フラれたばかりの私にそんな事をするなんてヒドイと文句を言って怒って、それで忘れる儀式としますから」

それを聞いたハルは笑い、そして、キョーコの背中をぽん、と、叩いて、

「その未来はきっと永久に来ないだろうね。本当にアイツに大事にされていて、君も愛しているから出てくる言葉なんだろう?おめでとう。色々したことは悪かった。気にしないで。でも、結果、よかったんじゃない?」

ハルはそう言い、「あ、そうだ、忘れてた」と言って、

「これ」

ハルは、ジャケットのポケットに手を入れた。取り出した透明な四角い小さなケースをキョーコの手の中に置いた。いつかの日に振っただろうコインなのだろうか?四つ葉のクローバーが金色のメダルの様なものの中に彫られている。

「これはオレが蓮に誕生日に渡そうと思って作ったの。色々迷ってそうだったから。渡しておいてくれる?でも京子ちゃんが使ってもいいよ。え?ああ、これはオレが頼んで作ってもらったの。蓮に何が好き?って聞いたら、四つ葉のクローバーって言ったからそれで。あ、もちろんプロのオーダーに出したよ?オレの手作りではないから、本当に蓮へのプレゼント」

金、すごい金色ですけど、ハルさん、これは本物の金のメダルでは、どうしよう、プロの彫金が施してあるなんて、更にはハルさんの名前が載っているなんて、市場価格グラムウン万円みたいな世界なのでは、と、思う間に、ハルはもう帰る支度は整ったようだった。

「仕事も、恋も、迷ったら、いつでもこれを振ればいい。すぐに自分の心の奥底の本当の声が分かる。伝えたいことは、本人にきちんと伝えてね。ちなみに表も裏も出るから安心して」

と言い、「じゃ、おつかれ」、と言って部屋を出ようとドアに歩いて行く。

キョーコはいつもの礼儀正しい御辞儀で送り出す。

キョーコは慌てて思い出して、ハルに近づき、それから、

「ありがとうございました、大事な人です、ハルさんも」

というと、ハルは笑って、

「はは、早速にどうもありがとう。その調子でね。蓮にもそう伝えてあげて」

ハルは手を差し出し、握手を求めた。

キョーコもそれを両手で軽く握る。

「ありがとうございました」

キョーコは握手をしながら深々とお辞儀をした。

ハルはキョーコの手を解いて、背を向けた。

廊下で合う他の俳優に声をかけて、遠くへ歩いていく。キョーコは見えなくなるまでお辞儀を続けた。顔を上げるともうそこにハルはいなくなっていた。

キョーコはなぜハルが蓮からこぼれた女性の多くが恋に落ちてしまうのか、少しだけ分かるような気がした。不思議なカリスマ性のような何かを持っていて、そして強く自分を気にかけてもらえているような気がして嬉しいのだろう。

そして、キョーコははっとして、ふるふる、と、首を振る。

キョーコも次に挨拶をする俳優の部屋に向かった。


2021.2.25