「ぽけっとの中にはビスケットがひとつ~・・・」
彼女は聞いた事が無い歌を歌いながら、休憩中のオレに向かってにこりと笑った。
「はい、敦賀さんっ。差し入れ、まだ取ってないですよね?」
「うん?ありがとう」
サーバーから取ったコーヒーとその差し入れだというビスケット缶を傾けてくれた。一枚だけ取って、ありがとう、と伝えた。
「はい、社さんもっ」
「ん?ありがとっ。キョーコちゃん、お菓子係なの?気が利くね」
「いえっ、たまたま手が空いているだけですから。皆さんお疲れのご様子ですし。はい、社さんもコーヒーをどうぞ」
「キョーコちゃん、そのサービス精神本当にえらいよね。ありがとっ」
社さんと最上さんはにこにこしながら会話を続け、ビスケットを二人でつまんでいた。二人はしばらく話を続けていて、その間少しぼんやりしていたオレの頭の上から声が降ってきた。
「敦賀さん、少しお疲れ気味ですね。やっぱり撮影詰まってますから。もう一枚ぐらい食べて、脳に糖分だけでも送った方がいいですよ?きちんとご飯食べていますか?」
「ん?うん」
「社さんに、真実聞いてもいいですか?」
「ど、どうぞ・・・?」
妙に厳しい顔でにじり寄られて、とくにやましい訳では無いのに、引いてしまう。
「社さん?」
「えっ・・・だ、大丈夫だと思うよっ・・・?」
彼女は、本当に?と、訝しげな顔を続けつつ、もう一枚食べろと、缶を傾けてきた。
「ふふ、大丈夫だよ。一枚で十分」
「そうですか。じゃあ食べたくなった時はさっきの歌でも歌って、それを二枚にしてから食べてくださいね。」
「歌?」
「ぽけっとのなかにはビスケットが一つってやつ、知りません?」
「知らない、けど」
「叩くとビスケットが二つになる、そんなポケットが欲しいなって歌です」
「ふーん」
「言っておきますけど。私が考えたのではなく!歌ですからね?あくまで。またバカにしているでしょう?」
「いやいや。じゃあ叩いて二つにしてから、食べる事にするよ」
笑いながらそう言うと最上さんは、「もう敦賀さんにはビスケット、分けてあげません!」、と言って一度口を尖らせると、向こうの集団までまた歌を歌いながら行ってしまった。何の歌か知らないけれど、彼女が妙にご機嫌だとは分かった。
「蓮~~~~~」
「はい?」
「ね、キョーコちゃんさ、ホントご機嫌だよね。やっぱりさぁ蓮と撮影久々だからだよっ。あのドラマ以来でしょ」
「?」
「あぁキョーコちゃんがね、蓮のこと体調やらご飯やら気にしたりしてくれるだけでも、良かったなって思って。最初の頃からしたらさっ、雲泥の差だよね」
「・・・」
「久しぶりに長く一緒にいられて、よかったね。」
何も言わなければ無言の肯定になると、昔最上さんに言った事を思い出していたけれど、何も答えなかった。
そしてそのビスケットをとりあえず二つに割って食べてみたけれど。なんとなく彼女の歌に影響されたのかどうか、自分でもそうしてしまった事が可笑しくて、くすくすと笑みが漏れてしまう。
「敦賀さん、やっぱりビスケット足りなかったですか?」
もうあげないと言って行ってしまった彼女がもう一度こちらに寄って、気を遣って缶を傾けてくれたけれど。
「おや、分けてくれるの?」とまた笑って言ったら、「じゃああげませんっ。半分に割っていたから実は食べたかったのかと思って!」
そう言って、また口を尖らせた。でもしばらくオレがくすくす笑い続けていたら、一枚取って、渡してくれた。
「もう、欲しいなら欲しいって言ってください。ビスケットは半分に割ったって一枚なんですからっ」
――なんだかんだ言いながらも優しいよねぇ。絶対悪にはなりきれないタイプだよ。
そんな考えが頭をよぎって、また笑ってしまい、そして更に膨れられた。
「もう、もう敦賀さんにはあげませんっ。社さん、向こうで仲良くつまみましょう!!」
「う、うん・・・?」
社さんがちらりとオレを伺って、「行ってくるね?」と目がそう言っている。オレはまたくすくすと苦笑して、ひらひらと手を振った。彼女は社さんと並んでまた歌を歌って、ウォーターサーバーのある方へ歩いて行った。
それから彼女を送り届けた別れ際、彼女は袋に詰めてくれたビスケットを、オレに「どうぞ」と言って渡してくれた。口を尖らせながら詰めてくれただろう様子が思い浮かんで、また笑ってしまって怒らせた。
「もう!ちゃんとご飯食べてくださいね!食欲無い時はクッキーにミルクだけでもいいですからっ。絶対空腹にブラックコーヒーなんて胃に悪いです」
「何だかんだ言いつつ、さっきから優しいよね」
「敦賀さんが、ご自分の事は大事にされないのが心配なだけです」
「ふふ、そうかな」
「そうですよっ。でも、もしまた辛くなったら・・・言ってくださいね?」
本当に心配してくれているのだろう。ちらりと上目遣いでオレの反応を伺っていた。
「くすくす・・・ありがとう」
それだけ答えて彼女の肩を押して、止まってしまった歩を進めた。
「『叩いてみるたびビスケットは増える そんなふしぎなぽけっとがほしい』、小さい時本当にあるんだと思ってぽけっとを叩いてみた事、ありませんか?」
「な、ないよ」
「ええっ敦賀さんに子ども心はなかったんですかっ?」
「ははっ、ひどいな。でもそれは最上さんの、子どもの頃の話だろう?だからね、オレは歌知らないって」
「そうでした・・・」
「くすくす」
――きっとあの無邪気な顔で、にこにこしながら叩いたんだろう。
――そして崩れたビスケットに残念そうな顔をしたんだろうな・・・。
だからオレにももう一枚、分けてくれたのだろうか?
考え事をしている間に、彼女はまた傍から居なくなっていた。気付くと前方でスキップをしながらまたあの歌を口ずさんでいて、遠くからオレの名前を呼び、笑顔で振り返る彼女は本当に純粋そのものに見えた。
――何がその煌々としたあの子を作っているのだろう・・・。
その煌々とした光にもう少しだけ、触れてみたくなった。
「最上さん」
「はいっ?」
「君を叩いたら、二人にならない?」
「えぇっ、なりませんよっ。私ビスケットじゃないんですからっ」
「そう?」
ぽんぽんと、笑って彼女の肩を叩くと、彼女はまた不思議そうな顔をして、
「どうしたんですか?敦賀さん・・・・?」
と言って目を見開いた。
「いや、君が二人になったら・・・一人をオレのお料理当番にしてもらおうと思って」
「さては敦賀さん、やっぱりきちんと食べてないんですねっ?」
「い、いや、違うって。そうじゃなくて」
「もう、そんな事なら言ってくださいっ。今度作り溜めしてあげますからっ」
「ありがと。楽しみにしておくね」
「じゃあ今度のオフにでも行きますねっ?」
彼女のご機嫌で煌々した顔はとても綺麗だった。
そしてまたあの歌を歌って、向こうの方へ行ってしまった。
君のその純粋さがもう二度と傷つかないといいなと願って、オレも足早に彼女の後を追った。
煌々、煌々・・・・。
2005.11.15
2020.07.19 改稿