自分にとって、できれば向き合いたくない不都合な真実を、いつ、どうやって人は忘れていくのだろう。そうして忘れた真実を、いつ、どうやって人は再度思い出し、受け入れていくのだろう。
体の中に渦巻く、見たくない現実や過去。いつどうやってそれをその暗い場所から取り出し、向き合って、光の元へ返していくのだろう。 誰もが直面する永遠の課題。
不都合な真実(前)
痛みを二度と感じたくなくて、自分自身につき続けているウソ。目を背けている部分。それと同時に 蓮につくウソ。見せない部分。見せられない部分。それは全て、純粋な、蓮への気持ちだけでできている。
蓮と久しぶりに会い、会話をしていた時。
蓮がキョーコに言った。
「できれば・・・オレには、本当の事を話して欲しい」
「・・・?何の事でしょう」
「さっき、君はオレに何かのウソをついただろう?違う?」
「そんな事無いです!」
「そうかな」
蓮は、あえて、それ以上を言わなかった。
言えない キョーコを、慮ったのだろうか。
蓮はキョーコの心の中の動揺を見抜いただろうか。
キョーコも俳優として、瞳の動きも、調節できるようになってきた頃だった。キョーコの動揺も、実際は分からなかっただろうか。それとも、目は口ほどにものを言っただろうか。
キョーコが蓮に隠し続ける、真実。 蓮への気持ち。
言った所で当たり障り無く返される事も重々分かっている。 坊として、彼に好きな子がいる事を聞いてしまった事を除いたとしても、容易に想像できるその言葉を、まだ、聞きたくない。まだ夢の中にいたいなどというのは、向き合う勇気が無く、弱いからだろうか。ケリをつけてしまいさえすれば、スッキリするのだろうか。言った方が後悔するのか、言わない方が後悔するのか・・・。 言わなければ、傷つかない。でもそれは逃げであり弱さでもあり・・・・。
続けていたいのはその関係性。だれかとの縁は蜘蛛の糸のように綺麗に織られ、完璧で美しい。そして、いつでもすぐに壊すことができる。人の縁とはその程度の強度だ。
答えの出ない真実。それでも。
不都合な真実を、蓮にあえて正直に言う必要はない。まだ、このささやかでとても大事な感情さえも失うのはもう少し先でも。いつか、この感情と強制的に別離しなければならない日が来るまで・・・。
こんな現実を見る事を、長い間拒み続けて、自分自身にウソをつきながら、そして、蓮にもウソをつき続けている。
全てを求めないから、蓮と、ただ、ただ、過ごしていたい。 蓮に気持ちを預けたいと願ってから、いつでも蝶のようにキョーコの心の中をふわりと舞い、そして時には風のように乱していく。 蓮への恋心と、仕事への認めて欲しいような欲求と・・・蓮に認められたなら、その風波に乗って何だってできてしまうような気がした。 恋心と仕事と、自分と蓮と、様々な感情が入り混じり、これではいけないと、ブレーキをかけるような声がする。
仕事を評価するのは、見てくれた人がする事だ。監督が可を出しているのだから、少しは良いとする人も、そして、不可、とする人もあるだろう。
それ でも、少なからず、キョーコの中の、演じる事への「欲」を引き出したのは、ある日の蓮の演技だった。それが第一歩で、全てだった。 手探りで自分の道を作り、見えない闇の中を掻き分けながら新たな道を進むには、とても大きな光だった。
――あなたのプライベートの一番ではなくていいから
――せめて、仕事でだけは
――いいえ、一番でなくていいなんていうのも、ウソです
見なくてよい不都合な真実と向き合うときは、自分の心にもウソをつく。
心に痛みが生じる。 本心の言い分と、それを制御しようとする頭。
「あ~~~~~~~~~~~もう!いやっ」
キョーコは、ポカポカポカ、と、両手にこぶしを作って、頭を叩いた。
「どうした」
驚いた顔をして蓮がキョーコを見て、そして、見たことも無いような無邪気な顔で笑った。
「くすくすくす、ホラ、やっぱり、オレにウソをついたんだ。それは何か・・・良心の呵責なんだろう?」
「いえ・・・・・・・ごめんなさい」
「で?何をウソついたのかな。オレに正直に言ってごらんなさい」
「イヤです」
「それはウソじゃ無さそうだ」
「はい」
キョーコは、蓮に向けて、割と無邪気に、悪戯っ子のように笑った。蓮にとってはある意味、手を出してしまいたいような毒のような。
キョーコの本心の笑みである事を、蓮も読み取って、蓮も、ふ、と、いじわるそうに、笑った。
「いい根性だ」
「ですです。私は良い根性の持ち主であります!」
不都合な真実に蓋をして、自分自身にウソをつき、蓮にウソをつく。当たり障りの無い会話をして、その場をやり過ごす。仕事仲間だから、信頼に足る会話ではないと分かっていても、付き合ってくれる。仕事の延長だからだ。
蓮だってキョーコの事を本心ではどう思っているのかは、キョーコにも完全に知る由も無い。少なくとも、それ程は嫌われてはいない仕事仲間というだけだ。
「ほら、本当の事を言いなさい」
「え~・・・・」
――敦賀さんが、大好きです
――あなたの、愛が、欲しいです
――私の愛は、一生分差し出しても構いませんから
――・・・・わぁ~重っ・・・
――一生に一度でもこんなの口にするの大変恥ずかしいのですが・・・
――今だけは、あなたに、認めて欲しいだけじゃなくて・・・人として好きでいて欲しいなんて願う事を、許してください・・・・
キョーコは、蓮の目を見ながら、心の中だけでは正直に、伝えた。
言葉にしなくても、気持ちは、通じるという。
蓮には、何が通じただろう。
「今、心の中で、最大限に言葉にして言いましたので、敦賀さんのスーパーパワーで、読み取って下さい。ウソは言っていませんでした」
「・・・・・」
蓮は、無言だった。
何を読み取ったのだろうか。
「なんで口に出来ないの」
「言葉に・・・形にしたくないからです」
「・・・・そっか」
「ご納得いただけましたでしょうか」
「いや?納得はしてないけど、口にしたくない言葉がある事は、理解はするよ。大人は、ウソをついて、きれいな言葉を並べて、ある程度その場をやりすごすものだからね」
しれっとした態度の蓮の表情は、創ったものか本心か、少し嫌味っぽい。
「なぜ、お怒りになられていらっしゃるのでしょうか・・・と、恐らく原因が私なのに、聞くのも、変な話なんですが・・・・」
蓮がついにイラッっとしたのか、冷めた目で、じろり、とキョーコを見下ろした。
こんな顔を仕事以外でさせられる自分の芸も、ある意味でオハコ、と、言っていいのではないだろうか。他の九十五パーセント以上の人は、蓮の穏やかでにこやかな顔か、演じた中での険しい表情しか知らないだろう。
「わぁコワイデス!ツルガサン!」
「君がオレにウソをついた上、教えてくれないからだ。残念だよ、オレは君の信頼に足る人間では無いようだ」
重ねて嫌味を言う蓮の本心は、ただ、キョーコの中の、『真実を知りたい』。おそらく、それだけ。
でもキョーコにとって、その不都合な真実を、今は、口に出来ない。
「ええええ!!そんな、そんな!私はあなたを信じている最も近しい人間の一人です」
「じゃあ、早く言うといい」
「・・・・・・・・・・・」
「最上さん」
「・・・・・・・・・ごめんなさい、許してください、敦賀さんにも言う事が出来ない、女の事情というか、恥ずかしいものが、ありまして・・・・」
「・・・あ、ゴメン、トイレにでも行きたかったの?」
「・・・は?え?トイレ?」
キョーコは、蓮の言葉に、おかしくてクスクス笑った。
蓮も諦めたのか、「しつこく言ってごめん」と言って、少し、笑った。
キョーコにとって、蓮と会う時、自分の中の、不都合な真実は、最大限に輝いている。
蓮と別れる時、自分の中の、不都合な真実は、ひりひりするような感情と共に、また、「忘れるべきだ」と言って、心の中の箱の中にしまわれる。時々、痛みのような、甘さのような、様々な余韻を伴って・・・。
そして、一人になるとき、その不都合な真実は、とてもあたたかな感覚だけが、残る。
この心の中を分かち合う事は、いつか、できるだろうか。
それを、光の下へ出す事は、できるだろうか。
日の目を見る時は来るだろうか。
不都合な真実を、一生抱えて生きていくのだとすれば、キョーコは、ただただ、願う。
――彼が、こうして、自分の言葉を、いつまでも、本心から聞こうとしてくれますように・・・
――お互いに、信頼に足る会話が、出来ますように・・・
仕事で会う蓮の、プライベートな部分や彼の恋愛事情を、キョーコは自分でも思っている以上に恐らく、何も知らない。坊として仕事をしていなかったら、キョーコに話すことも無いから、何も知らなかっただろう。そうだとしたなら、この不都合な真実は、もっと滑稽な形になり、無謀に膨れ、投げつけられて、既に玉砕していたのに違いない。
本当に、大事な人はどこにいても作れないのだろうか。
それを知っていても、蓮のそこへ踏み込みたいという、不都合な真実・・・–恋心–・・・・は、誰にも話す事は出来ない。
――だって、あなたは、私が見つけた、光、なんです
「あれ、最上さんのそれ珍しい。それ・・・・爪。綺麗だね。キラキラしてる」
蓮は、キョーコの、髪をかきあげた指先を指差してそういった。
「爪?あ、これ・・・」
小さな小さなストーン。右手の薬指にコーン石に似た色を、左手の薬指にローザ様を乗せてあった。外で石を見られなくても、手を見るたびに思い出して頑張れる。
「宝石箱みたいだね。光っていて」
「えへへ・・・撮影が無事終わったので・・・自分へのご褒美に。しばらくは撮影も無いですし・・・付ける事ができる間だけ・・・」
「・・・・なんていうか・・・」
「?」
キョーコの素直な疑問の視線に気づいた蓮は、言葉を続けることなく、ただ首を振って、言葉を切った。
「敦賀さんも、私には、思ったこと、本当のこと言っていいんですよ?これ、私の選択でこのキラキラを付けたので・・・。もちろんネイリストさんが綺麗にまとめてくれましたけど・・・なんか変、とか、似合わない、とか」
「まさか。そんなこと思ってない。すごくよく似合う。可愛い」
にこにこ、と、屈託のない視線を向けられてしまうと、キョーコの思考は停止状態、全てのどうでもいい小さな声の考え事など吹っ飛んでしまう。
蓮はキョーコの中の不都合な真実について全く知らない。 その言葉が、どれだけ嬉しく、どれだけ、胸の痛みが増し、そして、どれだけ、その真実を表に顔を出そうとしてしまいそうになるのかも、きっと、分からない事だろう。
「・・・・ありがとうございます」
キョーコは、素直にそれを受け入れて、はにかんだ。
蓮が、そっと、微笑む。
少しの静けさが戻る。
二人にしか理解し得ない、長いような一瞬の間、その間に全てが理解しあえたような、居心地の良い不思議な間。キョーコが先に口を開いた。
「さっき敦賀さんが気にしていらした事・・・・細かい内容は・・・恥ずかしいので言えませんけど・・・。頭の先から、爪の先まで、もっと仕事も、プライベートも努力をして磨かないとな、と、思っていたんです。爪は・・・見たら思い出すための一つの決心の結晶です」
「そっか。そのままで十分だと思うけど・・・でも君は、女の子、だもんね」
「ありがとうございます。まだまだですから」
「・・・信じるよ。半分ね。君はもっと深刻な顔をしてた。誰かにもっと磨けと言われて落ち込んでいるわけでもなさそうだし・・・オレはやっぱり男だからかな。琴南さんならきっと、全部教えてもらえるんだろうな」
「・・・モー子さん?ですか?」
いきなり奏江の名前が出てきて、キョーコはきょとん、と、した顔をした。
「うん」
「・・・・あの・・・?・・・モー子さんだから話すとか敦賀さんだからとか、無いですよ・・・?」
「・・・そうかな。隠したこと、いつか教えて」
蓮と、キョーコは、愛おしいような切ないような感じのするその柔らかな空気を、ただただ、楽しんでいた。
しばらく遠くを見て二人は黙っていた。
「あのさ」、と、蓮が切り出して、キョーコが、「はい?」と蓮の目を見た。
「これから時間ある?明日は?」
「え?今日明日は完全オフですけど」
「オレも今日はこのあと何も無いんだ。じゃ、これから、つきあってくれない?疲れたから、紅葉と滝が見たい。ドライブに行こう」
蓮はにっこり、と笑って、有無を言わさないような雰囲気でそれをキョーコに言った。珍しいと思った。
「は?」
「すごくいい場所所があるんだってスタッフさんに教えてもらった」
「えっ・・・いえいえいえいえまずいです敦賀さん、なぜそんな人なかに」
「薦めてくれるって事は、たぶん誰も居ない所かもしれない。・・・・時には人として生きてもいいだろ?」
「・・・・そうですけど・・・・じゃあせめて、別人に変装しましょう!敦賀さんの余計な記事が出てしまっては申し訳ないので」
蓮はくすくす笑って、別にいいんだけどな、と、心の中に思った事・・・・不都合な真実は、心にしまった。
キョーコも、思わず一緒に行ける事になったドライブ・・・・いえ、お供・・・・と心の中で言い直して、にょきっと這い出してしまいそうになる不都合な真実をしまい込んだ。
「何着るのがいいかな。君なら・・・(シンデレラとか?)何だろう、お姫様とか?俺は・・・・何着ようかな・・・合わせて王子様とか?」
「敦賀さん。仮装じゃないです。変装です。」
「ああ、ごめん、そっか・・・・あはははっ・・・」
「・・・・?」
機嫌よく心からおかしそうに笑う蓮を、キョーコは不思議に見つめて、そして、だから、キョーコも笑った。
「敦賀さんご機嫌ですね」
「時には、もう一切何もかも考えずに、ただ人として生きたい。十分仕事したし十分我慢したんだ」
「(敦賀さん・・・何かあったんでしょうか・・・・)・・・分かりました、お供します。でも、一つだけお願いします。安全運転だけ。はめを外す敦賀さんなどあまり想像はできませんが・・・・」
「隣に誰かを乗せて安全運転しない男なんて男じゃない」
「ならよかったです、まさか何かヤケになっていらっしゃるんじゃないかと」
「ヤケなら酒だろ。ヤケじゃないよ。ただのオレになって、綺麗な絶景が見に行きたい。気分転換に行きたいんだ」
こんな蓮を見ることはあまりないから、その妙な強引さに引っ張られて、キョーコは蓮に付いていく事にした。
2015.12.4
10周年記念前後編です。