きれいな愛じゃなくても





「だからね、これは無理、とか、これは違う、とか思わないで、色々経験しておくほうがいいと思うんだ」


蓮はキョーコにそう言った。
キョーコと久しぶりに会ったから、テレビ局内のカフェでお茶をしていた。

「結局、自分が経験してこないと、そこにリアリティは出てこないから、いい事もとんでもなく苦しい事も、みんな、ね。泣いて欲しいなら心から泣かないと全くの違和感でしかないから・・・」


蓮は手にしているコーヒーカップを持ち上げ、くるり、と中身を一周させる。

演劇論を養成所で学んだというキョーコに、蓮自身も過去学んできた演劇理論と、自分の経験との言葉を口にした。誰かに泣いて欲しいなら、心のそこから悲しかった事を思い浮かべて演技すればいいと。キョーコが、今まで無意識にそういった事は出来ている事は感じているが、言葉にされると逆に意識しすぎる可能性もある。喜怒哀楽を自由に引き出せるキョーコには、実は得意な分野かもしれない。


「たしかにっ!モー子さん、たった一秒で涙が流せるんですよ~。それがまた素敵なんです」

と自分事のように自慢するキョーコに、蓮は微笑みだけを返した。

「多分、君のキャラクターを一新させたい監督も出てくると思う。そうしたら今までのキャラクターとは全く別の性格もやらなければならないし、恋に恋するような女の子をやるのかもしれないね。そうしたら、最上さんは、一体どんな記憶を引っ張り出してやるのか、それが楽しみ、かな」

恋に恋した記憶など、キョーコの中に、たった一つしかない事など、蓮は十も承知である。その記憶を塗り替えたいと思いながら、そんな言葉を口にした。

キョーコは困ったように俯いた。
つん、と、キョーコがマグカップを指先でつついた。
それがどういう意味を表しているのか、蓮には分からないが、ただ、何と答えたらよいのか少々考えあぐねているようだというのは分かった。


「恋に恋するバカ女・・・きっと、誰よりもうまく出来ると思いますけど・・・」


目を伏せ、少々寂しそうにキョーコは言った。


「まだ、その記憶は塗り替えられていないんだ?」


その質問は卑怯かな、と蓮は思う。


しかしキョーコは、もう一度、つん、と、コーヒーカップをつついた。


「・・・・そう、ですね・・・・・」


目を伏せ、下を向きながら。何かを考えながら。
だから今までの言葉の裏にはまだ何かあるかもしれないと思う。


蓮も一瞬黙り、大きく息を吸い、長く細く息を吐いた。


「ラブミー部、いつまでたっても出られそうに無いですねっ」

蓮の吐き出した長い息に気付いたキョーコは、自分のせいで蓮が怒ったのかもしれないと思って、気遣って無理やりの笑顔を作った。
蓮もその気遣いに気づかないわけでは無い。
でも、蓮自身は、キョーコに気を遣って欲しいわけではない。
キョーコの本当の言葉を、ずっと、待っている。


「嘘の言葉も、ちゃんと嘘だと通じるんだよ?メソッドで習わなかったかな。目の動かし方、視点の置き方、視線の流し方・・・。目は口ほどにものを言う、って言うだろう。リアリティは口以外の感覚器でも十分伝わる。意識して動かす訓練も必要になってくる」


ドキリ、としたのは、キョーコだ。
自分は何か、蓮を不機嫌にさせたらしい。
本当の事を言っていないのを、どうして分かるのだろう。

少々の間、沈黙が流れた。
蓮はコーヒーを口にすることで、その沈黙から抜け出した。
キョーコは、蓮の次の言葉を待つことで、その沈黙を終わりにしたいと思った。ようやく視線を上げて、蓮を見つめた。

「・・・・・・」
「どの部分が嘘だったかは、聞かないことにするけれどね」
「あのっ・・・・」

と言ってしまったからには、次の言葉を告げねばならない。
蓮の瞳は、まっすぐにキョーコを見つめている。
この強い瞳には、人を見抜く力と、人を惹き付ける強い力がある。
そんな視線をまっすぐに浴びせられたのでは、キョーコはひとたまりも無かった。

「新たに恋に恋することなら、してるんですけど・・・ただ・・・一生叶わない恋なので・・・やっぱりそんなバカ女を演じるのも、きっと、上手に出来ると思うと・・・そういう意味なんですけど・・・」
「どうして恋に恋するのがバカなの?なぜ、いけない事なの」
「復讐を心に決めている人間が、恋なんてしたら・・・・」
「葛藤、してるんだ?」

こくり、と深くキョーコは頷いた。まるで罪人のような顔をして。
責め立てる警察官のようだな、と思った蓮は、「いいんじゃない?」とだけ、言った。

「苦しいだろうし自分が嫌だろうけど・・・それが、引き出す強い要素の一つになるって、昨日、学んだんだろう?」


じっと蓮を見つめたキョーコは、また一つゆっくりと頷く。
ようやく自分を一つ許せたようだった。

「一生叶わない恋、叶わないと自分で思っているから、叶わないのかもしれないよ?」

「いえ・・・。相手には、もう、好きな人がいるんです。入り込む余地がないぐらいに。もしその人が私を好きになってくれる事があったとすれば、その相手がこの世界からいなくなった時ぐらいしかありえませんから。だから、大丈夫です。一生恋なんてしないと決めた自分には、恋するのにちょうどいい相手なんです。すごく、すごく好きで、でもその人が幸せだったらいいとも思うので・・・・変な愛し方ですけど・・・。だから、恋が叶うなんていう演技や、幸せな結婚とか、幸せなカップル像なんていうのは一生身体で体得できないかもしれませんねっ」

にこり、と笑ったキョーコを見て、蓮は何と言っていいのか分からなかった。
自分の言葉など、とうに届かない、心の奥底に強い覚悟がある。
恋に恋しないこと、恋しても恋を達成しない事、それでもいいと思っている事。


「最上さん」
「はい」
「・・・・・」


蓮は俯いた。

今度はキョーコがそんな蓮を見て、「何でしょう」と先を促す。

「いや、ごめん。これはオレの勝手な気持ちだからね、いいんだ」

強い葛藤。
きっと、いつか、自身の演技にも役に立つ日が来るだろう。
愛していると告げ、腕に抱き、心から愛し合いたい衝動。
それを身体の内に留めなければならない葛藤。
自分が愛を教えたい、人間的本能に負けそうになる。


「そういう意味なら、オレも、一生叶わない恋をしているのかもね」

蓮は、それだけ、ようやくキョーコに告げた。

「敦賀さんに限ってそれはありません」

断言するキョーコに、蓮は、

「保証してくれるの?」
「敦賀さんが好きだと告げて、好きにならない人なんているんでしょうか」
「最上さんは?」
「は?え、あの、ハァ、好きですけど・・・」
「くすくす・・・残念だな。そんなに動揺しなくてもいいのに」
「やめてください。私で予行演習しても」
「君がオレを好きになってくれるなら、オレはどんな女の子でも落とせる気がするんだけど」

蓮がにっこり笑って、面白そうに告げると、キョーコは、

「・・・・・もう」

と言い、可愛らしく頬を膨らませて照れた。


――可愛い・・・・・・


自分がキョーコで遊んだつもりで、返り討ちを食らった蓮は、少々マズイと思った。


――ヤバイ、本当に連れて帰りたい・・・・・

こんな衝動もいつか役に立つ日が来るのだろうか。


蓮とキョーコは、自分の気持ちを相手に告げてしまいたくなった。
そんな衝動を隠したくて、二人は同時にマグカップに口をつけた。










2009.6.21