うーん、と、キョーコはタブレットの画面を眺める。
「この条件ではなかなかいいものはありませんね。少し条件を緩くしないと」
検索画面の条件を多少緩くして検索してみる。
指で画面をなぞりながら、何度も、うーん、うーん、と、つぶやく。
ソファで隣に座る蓮はキョーコのすぐ横まで移動して、
「何をしているの?」
と蓮も画面を覗き込む。
急に蓮の顔が近づいて、キョーコはほんの少し避けた。
「物件探しです」
「なんの?」
「住むところ?ですかね?」
「引っ越すの?」
「そろそろ何となく探してみようかと。あまりだるまやのご夫婦にご迷惑はおかけできませんし」
蓮はキョーコの代わりにタブレットの画面をスクロールして、キョーコが入れている条件に合う物件一覧を眺める。
「この条件がいいの?」
「え?」
蓮は若干引き気味にその物件の写真を眺める。
「一応芸能人が住むには危ないよ。芸能人じゃなくても危険な物件ばかりだ。女の子が一人ですむにはこの裏通りは危ないし、ここは絶対ダメ」
「予算的にも一人で住むにも十分な広さなんですよ」
蓮は条件を勝手に入れ直して、検索ボタンを押す。
「オレが思う最低条件はこっちかな」
「うわ〜」
今度はキョーコが若干引き気味に画面を眺めた。
何せ上限の予算を外してしまったのだから。
「それは無理そうですねえ。予算的に。もちろん理想的な条件ですけど」
「だって君の仕事ぶりから考えたら、そこまで予算を削る必要がある?何か急いで貯めなければならない理由でも?」
キョーコの仕事は蓮が言う通り、芸能人としても十分な程忙しくて、ほとんどだるまやに戻れない時があるほどだった。ホテル住まいが続く時もある。だるまや夫婦は別に気にしていないようだし、帰れる時に帰っている。そこまで足りないような仕事量ではないはずだった。
「もはやホテルでもいいと思う時があるんですよ。毎日綺麗にしてくれますしね。でも、一人で独立してみたい、という、人生の野望もあるんです」
「なぜ?」
「自分のためだけにお金を使うって、とても大人になったな、と。だるまやのご夫婦のご好意の中で甘えている部分もありますし」
「うん。でも彼らの喜びなんだと思うよ(特に大将のあの様子だと・・・)」
「そうですかね、そうだといいですけど。でも、出てみたいなあ〜と思う時もありまして。その・・・(いつでも気兼ねなくここに遊びに来られるとか、時には、ここよりはずっと狭くても、いつも遊びに来させてもらってばかりだから、たまには遊びにご招待したいなとか・・・)」
キョーコが何となくモジモジとし始めて、言葉を濁したたから、蓮は少し首をかしげた。
「だるまやにいるのが心苦しいなら、ここに住めばいいんじゃないの?それともここが嫌なら一緒に新しい所に引っ越す?」
「え!いえいえ、そういうために探している訳ではなくて」
「一人になりたいとか?」
「そういう訳でもなくてですね(あなた様を私の部屋と呼べる場所にお呼びしたいとかもきちんと思っているのですがそれはまず物件を決めて引っ越してからのことだから、口にするには時期尚早なことで・・・)」
16歳の頃に一度止めた恋愛の時間を、ようやく進め始めて、やっと、何かあの時のように、一人暮らしをして、誰かを招くような、誰かと住むような、心の中の恋愛の時計のはりを進めてもいいかなと思ったのだった。人生の中の仕事の時間は進んでいる。もう少しプライベートの時間も充実させたい。
蓮がタブレットの画面に入れた条件よりも、更にずっとずっと好条件な蓮の住まい。
嫌なわけはないけれど。
「そんなに独立して何か払わなきゃならないと思うなら、払ってくれればいいよ。」
「たとえば半分にするとして、どれだけ払うんでしょうか・・・(なんと恐ろしい条件なのでは)」
「500円とか?」
「は?500円?それは独立していませんね。水道代にもなりません」
「だって君が払いたいって言うから。1円でもいいんだけど一応一番大きい硬貨位が適切かと」
「貯金箱にお金を貯める訳でも、ワンコインランチに行く訳でもないんです!」
キョーコはぶうぶうと口を尖らせていい、蓮は、ふ、と、笑った。
「オレはきっと、どの条件のどんな好物件でもダメって言いそう。たとえ芸能人御用達の高級物件で安全面では確保できているとしても、その物件には芸能人の誰が住んでいて、あの人は手が早いからダメとか言いそうだし。ここに帰ってきて」
「何ですかその過保護ぶり」
「過保護なんじゃないよ。中々会えないから、会いに行く時間もすごく惜しいなと思って。ここが嫌なら新しいところ一緒に引っ越そうよ」
「ええ〜。そういう目的ではなくてですね、私は大人として独立してみたいと思いまして」
「一人暮らし、イコール、大人、なの?」
「・・・多分?そう思っている訳ですが・・・。とにかく時間にせよお金にせよ、私の仕事の都合とか、こうしてあなたに会いにきたりとかすればだるまやに帰らない訳ですし、よそ様にご迷惑をおかけしないように自分で働いたお金で自分の住まいを、と」
「オレは他人?」
蓮は美しく、にっこり、と笑っている。答えは彼に用意されたものしかないようだ。
「・・・」
じいっと見つめてから、もう、と言い、頬を膨らませて答えなかったキョーコに、蓮は腕を伸ばして、キョーコを腕の中に入れた。
「家族だったら、いいのかな?そうしたら、オレを頼ってくれるのかな」
あえて顔を見ない、見せないように、蓮は言って、そして、一度だけぎゅう、と、抱きしめて離した。
真っ赤な顔をしたキョーコは、
「そういう問題ではないんです!」
そう答えるので精一杯だった。
「どういう問題なの」
「・・・だから・・・その・・・」
「500円が高いなら、100円でいいよ?」
「そういう問題でもありません!」
「他の人ならいくら払ってもらっても入れないけど」
蓮はあえて答えに困っているキョーコの本心を聞きたいだけだったけれども、恥ずかしくて言えない何かの理由はきっと、いつも自分のためのものかもしれないと思う時もあって、それ以上踏み込むのをやめた。
「見に行きたい物件が決まったら言ってくれる?保護者としてついて行くから。あ、でも、さっき検索した条件以下の所は即却下だからね?いい?一応芸能人である自覚を持って選んでね?」
またにっこり、と、笑った蓮の顔を見て、キョーコは、一人暮らしへのハードルが敦賀山を越えなければならないことを思った。そして、だいぶ準備が必要だわ、と若干の諦めも含めて息を吐いた。
苦笑いで蓮の体をぎゅうと抱きしめた。
「あなたを、私の部屋と呼べる場所に呼びたいだけです」
「・・・」
今度は蓮が一度天井を見つめて、「うーん」と言った。
「あなたを呼ぶには確かに、あの条件では、狭くて、失礼なお部屋でしたね」
ふふ、と、腕の中で笑うキョーコに蓮は、
「狭いのは構わないけど。君の声が誰にも聞こえないような、防音設備付きにしてね?楽器OKな物件とかならいいかな?音大の近くならそういう物件はあるんじゃないかな」
そう言いながら、腕の中に収まっているキョーコの首筋を指で数度撫でた。
何度か髪をすいて、頭を撫でた。
腕の中でピクリ、と、体が動く。
「・・・」
「今、何を考えてるのかな?オレは、セリフの練習を声を出してする君を想像していたけど」
「・・・」
キョーコは何も言わず、顔も上げず、蓮の体をさらに抱き締めるだけだ。
「いつか部屋に呼んでもらえるの、楽しみにしておくね」
一生顔を上げそうにないキョーコの顔を蓮は両手で包んで上げさせて、正面から見つめる。
真っ赤な顔で視線を逸らすキョーコに、蓮は穏やかに微笑んで、
「オレを思ってだったんだね、ありがとう」
と言って、唇にそっと触れる。
すぐに離れたから、キョーコは思わず目だけ動かして、蓮を見上げてしまった。
まるで、その目は「もう終わり?」とでも言うかのように蓮には見えた。
「リクエストに応えようか?」
そう言う蓮に、キョーコは再度蓮の体にぶつかるように抱きしめて、顔を隠した。
「でも確かに、この部屋は割と広い方かと思うけど、こんなに使用面積は狭い、ね」
ぎゅうぎゅうと抱き締めるキョーコの髪を蓮は何度も手ですいた。
2023.2.18