ミキサーを前に金色の髪をした男は首をひねった。
チャリ・・・とアクセサリーが擦れる音がする。
「なんか違う」
しかし何が納得行かないのかが、分からない。
ただ漠然と、「何かが違う」と思う。
「不破君の耳は一音もごまかせないな」
苦笑いを含んだアレンジャーの声がする。
「魂かけてる仕事ですから」
沢山のつまみに割り当てられた音の山。 一つひねると不破尚も首を一つひねる。
ミキサーの音の洪水に埋れて、不破尚はいつしか目を瞑っていた。
「これでいこう」
そう言ったのは、ミキシングを始めて三日目。
スタッフに、ほっとした表情が浮かぶ。
三日間、不破尚は首をひねり続けた。
野生の感がイエスと言うまでにそれでも3日で済むのだからマシだと尚は思う。
「三日も籠りっきりで誰にも連絡取らなかったけど彼女とか大丈夫なの?」
「いないですよ。ミキシングよりもいい女を選ぶ方が難しい事です」
「君が選ばなくても、向こうには選ばれているだろう」
プロデューサーがさらりと返した。尚は伸びをして続けた。
「向こう側は関係ないでしょう」
「そりゃそうだ。それにしても、心から満足するミキシングの音の組み合わせと、 心から満足する女に出会う確立、どっちが確立高いのか・・・君の場合は、心から満足する音の方が確立高いだろうな。なにせ君はトップアーティストだ。むしろ君は女に満足してない方がよほどいい歌詞が書けるんじゃない?」
ミキシングのように、自分の心も相手の心も自由に開いたり閉じたりできたらどんなにいいだろう。
「『愛してる』なんて連呼する曲は書かないかな。なんかうそくせぇ。 誰かに心底惚れて満足するなんて」
「でもきっといつか書きたくなる日がくるんだよ。 例えば疲れて帰った夜、眠っている娘の顔を見たときとかにね」
「じゃあ一生満足しなくていいです。オレは一生歌を歌って生きたいですから」
「君の彼女もオレがプロデュースしようか?いい子いっぱい知ってるけど」
「遠慮しますよ」
「さあ今日はもうお開きにしよう。オレは、娘の顔を三日ぶりに見たいんだからね」
「はいはい・・・分かりましたよ、名アレンジャー先生・・・」
2007.09.18