大体九条君はすました顔をして、すぐに体を求める意外と野獣な性格だ。
今目の前にいてソファに座る九条君は、既に獲物を狙うような、恋をしたいような目でじっとこちらを見ている。しんとした部屋の中での視線はとても強く感じる。
互いに本を読み、くつろいではいたけれども、もうだいぶいい時間で、九条君が寝たいと考えるのも当然かもしれない。
でも、思わず視線をそらしてしまった。
今するのは嫌だ。もうこれだけそばにいれば全ての匂いをかぎ分けられているだろう。けれども、それでも夏は、シャワーを浴びたいと思うのは人間として当然ではないのだろうか。
外に出れば、夏は多くの人が汗ばむし、彼の嗅覚では倒れる程辛いのではないかと思う。
自分も例外ではないのではないだろうか?
「なんで、目をそらしたの」
と九条君は言った。お風呂に入りたい。歯を磨きたい。下着も変えたいし、匂いという匂いを消したい。そう思うのは、エチケットだと思う。
「シャワー浴びたい」
「うん」
と、九条君は言って、そして、
「一緒に入る」
と、言った。
それから、結果シャワーだけでは済まされず、お風呂を張り、ミルク色の入浴剤が入り、いい香りだと思っている間に体を探られ、体を泡で洗って、上がるまでに、何度か体を重ねた。
流し、またボディソープで体を洗い、体はその香りでいっぱいだろう。
あがる頃には少しゆだって、結果またソファでのびる事となった。
「あつい・・・汗を流そうと思ったのにまた汗をかいてしまったな」
「甘楽さんはいつもいい匂いがするから気にする事無いよ。気になる?」
「本の作業は力仕事だし、冷房をかけていたって九条君に触られたくないと思う程には汗かくし」
「それで嫌がったの?」
「うん・・・夏の時期は、九条君にはきついのかなって思って」
「真夏の時期はあまり花が咲かないけど、沢山の恋の匂いがするから、なんか」
「・・・え。大変、だね」
「そうだね、あてられるっていうのかな。ホルモンというか」
「どういう所へ行けば、そういう匂いってしないもの?」
「人が少ない所?でも、今度は場所の匂いがする。歴史の香りみたいなところは少し重たい」
「難しいんだね。どこへ行っても匂いから逃げられないんだ」
「・・・犬みたいなものじゃない?犬ってあれだけ鼻から情報を得ていて、よく、気が狂わずに、ニコニコ嬉しそうにご主人に仕えていると思うよ」
「・・・・・」
犬にとって主人の匂いは傍にいる喜びそのもの。
九条君は、犬というよりは、やっぱり綺麗な顔をした野獣だと思う、と、思ったことは、内緒にしておこう・・・。
「犬を飼ったら、いいのかな」
「今度は獣の香りで、少し落ち着かないかもしれないね」
「そっかあ・・・」
将来動物を飼うのは少し難しそう、とか、金魚位ならと思っている間に、九条君はまた手を添えて来て、
「動物も癒されていいけど」
そう言って、唇を重ねて、
「こっちの匂いの方が癒される」
そう言って、体の重みが重なる。
「今度、あまり人の匂いがしないところ、森林の中とか、海とか、行こう」
「うん」
「甘楽さん、リラックスしたんだね、よかった」
「・・・私、緊張、してた?」
「うん。久しぶりに会ったからかな」
「あのね、たぶん九条君は・・・すると思っていたし」
九条君はそれを聞いてまた唇を塞いで体を乗せて来て、
「したいと思っているのは、オレだけじゃないと、匂いでは、思ったけどね」
顔が真っ赤に火照るのが分かって、それを隠すために、ちゅ、ちゅ、と、何度か九条君の唇に触れた。
「もう、恥ずかしいから、今度から、香水つけてこようかな。九条君の鼻を壊そう」
「いやだ、甘楽さんの甘い匂いが好き。どんな香水を調合しても作れないんだから。正直に、触れたい、触れてほしくない、って言ってくれたらうれしい」
「・・・鼻を壊そうなんて、冗談よ?」
「うん、でも、壊れてしまったならいいのかな」
「・・・・・」
何と答えたら良いのか、どうすればいいのか、分からない。九条君はどうしたら楽しく生きたいと願うのだろう。とても悲しい気持ちがしたから、言葉にならない胸がいっぱいの気持ちの分、九条君の唇を再度塞いだ。
受け止める九条君の舌先はいつも繊細で、優しくて、壊れものに触れるようで、甘い。
「いい匂い」
結果いつもの通り、気づいたらベッドの上で、そして、朝だ。
ぼんやりとする中で、香りが遠くからする。
甘いけれど、どこかスパイシーで、深い森林の香りのような・・・。
九条君は香水をつけたらしい。
「甘楽さん、おはよう」
「どうして香水なんて。私が言った事は冗談よ?」
「試作品。自分用を調合してみたんだ。甘楽さんが言うとおり、仕事が終わった後、帰るまでの間少しは外の匂いがブロックできるかなって」
「・・・そっか、いい香り。森の、自然の香りが、九条君らしい」
やっぱり、九条君のままの匂いが良いと言ったら、やっぱりその香水も、破棄してしまうだろうか?
それをつけて帰ってきたら、帰路位は、リラックスできるだろうか?
「どう思う?」
「・・・九条君がその香りが好きで、リラックスできるなら使って。でも・・・」
「でも?」
「やっぱり、九条君と同じで、私も、九条君の肌の匂いも好きよ。だって九条君は、こうして触れたいと思うもの」
ベッドサイドに九条君は座って、一度頬に唇を置いた。
「この香水の中に、少しムスクを混ぜてある。ムスクは恋愛をしたくなる成分と言われているよ」
「会社につけて行かないで欲しい」
「当然香りものには気を付けているから大丈夫。でもスーツの袖口についたらやっぱり香りは残るね」
「そっか、そうだね」
「・・・じゃあ、うん、この部屋で」
「うん」
微妙な空気が流れたから、起きて、顔を洗いに立った。
九条君が使った香水の香りが立ち込めている。
「いいにおい・・・」
洗面台に広がる森林とムスクの香り。
でも、九条君には少し強すぎると感じるのだろうか?
「九条君、香水もいいし、お部屋用の芳香剤もいいかも」
「今度みんなに試作を作って聞いてみるよ」
「採用されるといいね」
「うん」
九条君は、ぎゅう、と、抱きしめてから、首筋に鼻先を寄せて、
「香水をつけていても、甘楽さんの香りはこうすればよく分かる。良かった」
九条君はホッとしたように、そう言った。
だから、鼻はこんな事では壊れないし、そして、そんなに強い香りがそばにあっても、自分を見つけ出してもらえる。
少しホッとして、
「良かった・・・」
と言いながら抱きしめ返して、
「九条君もとてもいい匂い」
と付け加えた。
きっと、この香りをかぐと、ある日の夏の甘い記憶を、即座に思い出せるだろう。
いつまでも、触れていたくなるだろう。
九条君を、思い出すだろう。
2019.8.10
「ふれるかおる(SHIHO著)」より。
趣味の香りもの、ハイセンシティブなお話です。
さらりとした肌感や繊細な距離感が最高に大好きです。
原作もぜひご覧ください。