雲路の果て

キョーコがそっと甘えた。
蓮の腕の中で、心の中で。




雲路の果て



蓮はキョーコを心から甘やかしている。
自分の腕の中で・・・。
そして甘やかしているようで、自分も甘えている。


キョーコはしっかりしていながら、時にとても危うく感じる。
何でも努力で乗り切れてしまうから、寄りかかる事を知らなかった。
寄りかかり方を知らないから、寄りかかって欲しいのに、寄りかかる事が出来なかった。

力の抜き方を知らないし、前を向くことしか知らない。
前を向くしか、無かった。


互いに、心は、どこにも、帰る場所が、無かった。
後ろに、振り返ることが出来る場所が、無かった。


彼女を心配しながら、まるで自分の事のようで、甘やかしたくなる。


だから、そっと、抱しめて、「大丈夫」と、言う。
ここに心が帰れる場所を、作る。


振り返ることが出来る場所を、作る。


「何もかも、捨ててきたつもりで、何も捨てられなかったんだ」


蓮はキョーコの背中を抱しめながら、耳元で言った。
何かの所有物を指してそう言ったのではないのはキョーコも分かっている。
何か、言葉にしてうまく言えない事が、あるのだろう。


もそもそ、と、蓮がキョーコの首筋に顔を埋め、甘えた。
がさがさ、と、シーツと、上掛けが擦れる音が、する。


温かい体温、埋めた髪から、やわらかい花の香りが、する。
キョーコは、蓮の腕を自らの腕で抱き締めた。
身体が更に密度を増し、蓮の足が、キョーコの足に絡んだ。


「どこにも、心が、帰る場所が、無くて、どんどん心の感度が鈍くなって、君を、好きだと・・・大事にしたいと思うのにさえ、気付くのに、時間がかかった・・・」


ゆっくりと話す蓮の言葉を、何もかも自分の事のように、キョーコは感じ取っていて、今こうして抱き締めてくれる事の意味もまた、何かの淋しさだと、分かっていた。


「君の心が、このベッドの上に、帰ってきてくれれば、それで・・・。それで・・・・オレは救われる・・・」


れん、と、やさしく、キョーコが、名前を呼んだ。

「何・・・」
「いつも・・・待っていてくれて、ありがとう・・・・」
「それは、オレも、同じだよ・・・」


キョーコは、蓮の心の闇も、痛みも、苦しみも、よく知っている。
普段あまり言わない、だけで・・・その輝きの裏に、それと同じかそれ以上の闇と陰と、そしてそれを克服した努力がある事を、よく知っている。


「蓮の・・・心の中で流し続けた涙の跡に導かれて・・・惹かれて・・・・」


キョーコは、くるり、と身体を蓮の方へ向けた。
目が合って、互いに、少しずつだけ、微笑んだ。


がさがさ、と、シーツと、上掛けの音が、再び、する。
少し、下に移動して、キョーコが、蓮を、抱き締めた。
頬を、その広くあたたかい胸に押し付けた。


「私が帰る場所は『ここ』にあるから、もし、いつか二人で・・・おうちに住めたら、せまくて、いいからね?ずっと、一緒に、いてね?」
「・・・うん・・・・くすくす・・・」
「・・・・・・でもベッドは小さいと蓮の足がはみ出ちゃうから、大きいのじゃないと、ダメだけど・・・くすくす・・・」


蓮は、キョーコを自分の視線と同じ位置まで引き上げると、額を合わせた。


「君の、帰る場所は、オレの、中」
「蓮の、帰る場所は、私の、中」



共に包まれた無限のやさしさの中で、二人は、互いの涙や苦しみ、辛さを飲みこみ、二人で、互いの涙を、抱き締めあった。


柔らかな唇を食みあって心を溶かし、舌を絡めてそれを伝えて、言葉では愛を紐解いた。


「いつまでも、そこに、いてね・・・」


切ないまでの、二人の、たった一つの、ささやかな願いごと。


『帰る場所は、ここにあるから』


「だから、おねがいだから・・・ここに、いて・・・・」


心の涙が悲鳴をあげているかのように身体を駆け巡り――・・・その心の居場所で・・・――甘えたくて甘えたくて、互いに互いを引き寄せた。


互いの境界線を取り払おうとして、ガサガサ、と、シーツと上掛けが擦れて何度も音を立てる。


長く、長く抱き締めあいながら、蓮が囁く甘い言葉の応酬に、キョーコは素直に甘えた。
小さく、甘く、かすかな呼吸が漏れる。
探るように蓮の唇がキョーコのうっすらと開いた唇に口付けた。
そっと目を閉じ、互いの唇を、肌のやさしさを、感じ取る。



身体中に巡る、淋しさに、酔い、愛しさに、溺れる。



どうして、どうして、こんなに、愛しいのに。


心の根底にある、何かの淋しさが、溢れ出てくる。


必至に、必至に愛をつなげているような気がして、「こんなに愛し合ってるのに、なんだかおかしいね」、と、二人は笑った。


「おやすみ」


互いにそう言いあったあとも、ずっと蓮はキョーコを背中から抱き締め続けた。


会話もなく、眠れずに、キョーコも蓮の手を握る。
蓮がキョーコの指を撫で始める。


何だか、愛しい・・・と、そんな気持ちだけが、ゆっくりと心を覆ってきて、温かくなった体温に、キョーコもいつしか、眠りに落ちた。


蓮は、そんなキョーコをぎゅう、と抱き締めた。
起きるかな、と、心配しながら・・・・。


「いつでも、ここに帰っておいで」


蓮は、キョーコにそう言うと、全く意識の無い寝ぼけたキョーコは蓮の声に、素直に、うん、と言って、にっこり笑うと、またすぐに夢の中に戻っていった。


当然次の日の朝には覚えてはいなかったけれど・・・。



『いつでも、そこに、いてね』



たった一つの、二人のささやかなお願い事の、お話。





2008.10.25


旧サイトのリクエストでした。
リクエストはタイトルどおり、Cocco姫の「雲路の果て」の雰囲気で、です。
リクエストどうもありがとうございました♡