「はぁぁぁぁぁ・・・・・」
と、ラブミー部の部室でキョーコが沈み込み大きなため息をもらして、机に突っ伏しているのを、奏江はうっとうしそうに見つめた。
「何よアンタそれ、なんでそんなに落ちてるの」
「・・・・もう敦賀さんに会いたい・・・・」
「ハァ?ノロケ?じゃ、帰るから」
「イヤだ、イヤだあ、モー子さぁん・・・・せっかく会えたのに」
「本当のことを言いなさいよ。アンタが恋愛ボケの話でこんな所でため息付くなんてあり得ないわね」
奏江はキョーコの本心を見抜いている。
「そんなに弱る理由は何?本当に敦賀さんがいない事だけ?」
「・・・・・・・・・・・・今、二人の男の人に、その」
「あ~・・・ハイハイ。やっぱり色ボケ話なのね、じゃあ帰るわ」
「まって、まって!お願い・・・もう話しないから、一緒にいて」
キョーコが奏江の腕をつかむ。
奏江は息を吐き出して、席に座る。
「・・・もう・・・アンタがそこまで落ちているのが気に食わない。端的に話して」
「・・・共演した俳優さんに、好きだと言われた。あと、カメラさんには、結婚して欲しいと言われた」
端的も端的、キョーコは現在の状況しか言わなかった。
「・・・・・・・・よかったわね、モテて。おめでとう」
奏江は全然心の篭らないような様子でキョーコにそう言う。
「良くない、全然」
「最初から答えは出てるんでしょ?何を迷うの。どうしたいの。どうなりたいの」
「・・・・・なんて言えばいいのかって」
「相手を傷つけずに、いい思い出にでもしてもらおうって?無理でしょ」
「そうではないんだけど・・・・お仕事と同じで誠実に正面から向き合いたいと思うだけ。私は仕事の相手は仕事の人だから、次仕事で会った時だって、仕事の人として会いたいの。でも、その、相手はそうじゃないし、私だって・・・・好きだと言ってくれた俳優さんとはまた仕事をしなければならないし、カメラさんとは何度も一緒にお仕事をしたから・・・またあるかも、しれないし。それに付き合ってもないのに、それを飛ばしてもう結婚して欲しいって言われても・・・」
「・・・・それは本人に聞かないとわからないけど・・・。それに、アンタが思うほど相手は重く思ってないかもしれない。相手が待っているのは、アンタの本当の気持ちでしょ。そのまま言えばいいじゃない。私はあなたのことは好きになれないけど、仕事では今まで通り楽しくやりたいんだけど、って」
「・・・・・・・・そんな」
「もしアンタが断ってから、あとで仕事で一緒になったとき、裏で他人に色々言う男だったり仕事をやりづらくするようなら、やっぱりそれまでの男だったって事でしょ」
奏江はそれを想像しただけで、イラッとした様子だった。
キョーコはパチパチ、と、拍手をして、経験者は語るって感じ、とキョーコが言った。
「別に経験じゃないわよ。どんな相手でも人としてどうかでしょ?じゃあもう本当に帰る。相手に期待させたって何もいいことないんだから。敦賀さんがいない間にさっさと処理しちゃいなさいよ」
・・・処理。そんな不要な書類をシュレッダーする訳ではないのだから、とキョーコは思う。キョーコは、ただ、その相手の真剣さに誠実に向き合おうとしただけだ。あまりその上手な対応をあまり知らないし、何と言えばいいのか迷っていた。
それに蓮も沢山の仕事の相手から様々な恋愛を持ちかけられているのだろう。それはキョーコが全く知らない所で・・・―言い方を使いまわせば―・・・処理、している。
蓮のそのような様子をたまたま見かけるだけで少し嫌な気持ちのようなやきもちを焼くと言うのに、一つ一つもし聞かされたら、やきもちを焼きすぎて黒焦げになってしまう。
だから、キョーコは聞かないし、蓮も言わない。
互いに互いを信じている、という言葉を二人は信じている。
だから、蓮に信じてもらうためにも、一人で乗り越えねば、と思う。
でも、パワーチャージに蓮に会いたい。
しばらく蓮には映画の撮影で、1ヵ月半近く会えていない。
それでも毎日電話をしてほしいと蓮は言ったから、声だけは少しだけ。
蓮だって仕事だと分かっている。
でも珍しく、仕事と分かっていても、会いたくなった。
キョーコは再度、正直に、大きなため息をついた。
*****
キョーコがラブミー部の部室内で落ちこむ一ヵ月半近く前。
キョーコはドラマ撮影のため、しばらくの間東京から離れていた。
撮影終了間際、何度も共演俳優に「付き合って欲しい」と言われた。
そして、撮影終了後、改めて、「本当に好きだ、付き合って欲しい」と、正面から正式に言われた。
仕事を終えた安堵感と、とても有名な俳優さんに、何度も好きだと言われて、更にダメ押しのように改めて好きだと言われ、ぼんやり、と、控え室にいた。するとしばらくして、スタッフの一人、カメラさんの一人が入ってきて、ドアを閉めた。何事かと驚くキョーコに、言った。
「京子さん、結婚して欲しい」
「え?あの?ええ?けけ、結婚?」
キョーコは驚きすぎて、言葉が出てこなかった。
「なぜ?え?これは、何かドッキリ企画ですよね?どこかにカメラ・・・」
「違う、本当に」
「いえ、あの、」
「理由が知りたいなら、言う。オレはカメラ専門だから、オレだけに見える部分もあって、あなたから見えるものが、とても、好きだった。僕達の見る世界は、俳優や女優の、実績でも過去でも無い。以前仕事が一緒だった時も今回も、あなたは、色々な事がある中で、どんな時でも、女優として仕事をし通した。その姿がカメラを通して見えていたから、すごいなと思った。過去の仕事を見直しても、その姿に変わりは無くて、きっと、この先も変わりが無いだろうと思った」
「・・・・・・ありがとう、ございます」
「あまり見ないタイプの女優さんで、女優さんと言う部分を削っても、人として、本当に結婚をしたいと思ったので」
と言い、彼はキョーコに、紙を手渡した。
「いきなりだから、考えておいて欲しい。連絡を、下さい」
と言った。
キョーコは、驚きすぎて、「好きな人がいるんです」と言う事さえも、出来なかった。
その晩、キョーコは久しぶりに会った蓮に、久しぶりに会ったから甘えさせて欲しいと願った。蓮は、蓮にべったりとくっつき、そんな事を言うキョーコを珍しく思った。
久しぶりに会ったからだろうか、と思いながらでも、普段も時々しか会えない時でも、こんなに無言で、ただただべったり、なんていう事はあまりない。
そして、ふとした瞬間に見せる表情が何かを心の中で葛藤しているように思えて、極め付けに視線がどこか遠くへさまよい、「ふぅ」と息を吐き出すから、理由はわからないけれども、蓮はキョーコを一晩何も聞かないままただ甘やかした。
それでもキョーコがいつもより蓮にすがるから、蓮もさすがに心配になって、「仕事大変だった?」とだけ声をかけた。
蓮に言い出せない何かがあるのかもしれないと思った。
「頑張った・・・と思う」
「そっか」
「明後日から、敦賀さんはお仕事で遠いし、またしばらく会えない・・・」
「そうだね」
「・・・今日はあれにする」
キョーコは帰宅した際に持って帰ってきた大きな荷物の中を探る。
蓮が、「何?」と言うと、キョーコが、「この一ヶ月撮影で使ってきた香水です」と言った。
一ヶ月、撮影用につけていた香水を手にした。資生堂Vocalise。清楚で官能的、という二面性のある主人公に合わせて使っていたものだ。
一ヶ月これをつけて、他の男性を、仕事で愛し、愛された。
キョーコが相手の中に置き換えたのは蓮の姿だったけれども、相手はキョーコを本気で愛した。その情熱を、役の中では受け止められても、仕事を終えてしまえば、その熱も、感情も、香水同様時間と共にふわりと消えていく。
もし、彼に何も言われなければ、きっと、何も思わず、この香水も最後まで使えただろう。
でも今は使えそうに無い。
この香水での情熱の記憶を、書き換えてしまいたい。
キョーコが自ら蓮の唇を探す。首に腕を回す。
蓮、と言いながら、恋愛に誘う。
いつもと違う、不思議な香り。
情熱的で大胆で、まるで恋愛玄人のようなキョーコに誘われることを、心のどこかで嬉しく思う部分と、どこか違和感を覚える部分と。そういった役柄だったのだろうか。
きっと恐らく、キョーコの中の何かの葛藤がそうさせているのだろうと、蓮は分かるから、蓮はキョーコの髪に手を入れて、何度も頭を撫でて、口付け続けた。
「いってらっしゃい、お気をつけて」
キョーコが数日後蓮を見送るとき、蓮はしばらく・・・キョーコにとってはかなり長く、黙って抱きしめ続けた。
「しばらく会えないから毎日電話して。もし出られなかったらかけなおすから」
蓮は珍しくキョーコに電話をかけるように言った。
そして、キョーコが持っていたVocaliseの香水を蓮が「次の役に良さそうだから貸して」と言って持って行き、蓮のプライベートでいつも使う香水をキョーコに預けた。 しばらく会えない代わりに。
「え?でも」
「持ってて」
「・・・うん」
キョーコはおとなしく頷いて、手の中の香水を見つめた。
蓮はキョーコの髪をわしゃわしゃ、と混ぜると、
「帰ってきたら、少し時間があるから、どこか旅行に行こう」
と言った。
キョーコはもう一度、「うん」とだけ答えた。
2015.1.17
資生堂Vocaliseは既に廃盤になっております。今はコレクター商品となっているようでした。香りはフローラル系の爽やかでほとんどトップからラストまで香りの変わらない香水らしい香水でした。
先日Vocalise(ラフマニノフ作・クラシックの曲名)という本を作り、調べている間に同じタイトルの香水がある事に気づき、HPのみご覧になられる方のために作りました。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。