電話を切った蓮は、ふぅ~・・・と長いため息を吐いた。
電話中に、一つ気になるものを見つけたからだ。どう考えても、これを作るのは「あの子」しかいない、と、本能か直感がそう言った。
蓮宛の荷物とプレゼントが山ほど届いているから覗いて来て、と、社に言われて、部屋に入り、幾つか手に取って眺めながら、単に自分の誕生日に、唯一声が聞きたい相手、キョーコに不要な理由をつけて、電話した。目の前にあったプレゼントに掛けられていたペン字で書かれていた難しく見えた「餞」という字、そんなものをダシにして。
誕生日プレゼント代わりのキョーコの声は聞けたのだから、ただたわいもない話でもして、また会おうとでも言って切るつもりだった。
話しながら、部屋の端に置かれたバラのようなものが目に留まって取り上げた。フェルトで作られたバラの中に、一粒だけ、紅い包みに入った、恐らくチョコレート。その形が、ローザ様だったのだから、蓮は、どう考えても、それを「知っている」のは、社とキョーコしかいない。社がこんなものをここに置くはずがないのだから(こんな器用に手作りされて置かれても困る)、残りは、とても器用なキョーコ、一人しかいない。
――なんで、直接渡してくれないのだろう・・・・
その袋を360度見回しても、差出人の名前が書いてない。蓮へ、と宛先さえも書いてないのだから、仕分けた人がいる訳では無い。そうなると、この部屋に入る事が出来る人間だけだ。恐らくキョーコが事務所に来て、ここに、これを置いたに違いないと思った。
もし自分がこの部屋の中に入っても気づかなかったら。
いや、入りもしなかったら。
そして、だから、キョーコの渾身のバラを、他の誰かが持って帰っていったりしたら。
――いらいらいらいら・・・・
――こんなに時間をかけて手作りしてあるのに。たぶん、すごく、考えて作ってくれたはずなのに
――声をかけてくれない事が、寧ろ何も無いよりも腹が立つ・・・
――次会ったらどうしてこんな事をしたのかハッキリ問い詰める
だから、「次に会う約束」を強引にした。
チョコレートを開けると、さらに、中に本当に小さな小さなバラの形のチョコレートが幾つか重ねられて、そのバラの形でクィーンローザの形を作っていた。まるでバラのマトリョーシカ。
――どんなに時間をかけたのだろう
と、その小さな小さな精巧な形を見るだけで思う。全体を一気に食べたって、殆どチョコレートの味はせず一瞬にして溶けるだろう。チョコレートだらけになるからこんなに小さなチョコレートで、という、キョーコの気配りのような気もする。以前だって、蓮のチョコレートの量を考えて、バラのグラスに入った手作りのゼリーだった。今回も、自分への気持ちで出来てはいないのだろうか。どうして、ここまで手をかけたのに、最後の最後、こんな所に。
フェルトのバラに縫い付けられた一粒のキラキラした石が、彼女らしい、と蓮は思った。
指先で触れると少し冷たい。
どうやら、本物の石らしい。
ふぅ、とまた長いため息が出た。
どう考えても、彼女しか思い浮かばないもの。
――こんなに、大事なのに
こんな雑多な所に置いておかないで欲しい。
この部屋の端っこは関係者以外からの贈り物が置かれている。
大事なキョーコの贈り物が、その他大勢に紛れて置かれているような気がして、蓮はとても腹立たしかった。渡してくれたら、どんなに幸せな気がしただろう。それを感じさせてくれないキョーコは、一体どうして。
――こんな、誰も気づかないところに名前も宛名もなく置くなんて、一体、何を思って・・・
――何を?そもそも何故こんな所に置く必要が?
蓮は、長い長い息を吐き出した。
バレンタインデー当日に、蓮はラブミー部室の外で、寄りかかって立っていた。キョーコはラブミー部室にて、何かの台詞の練習をしているようだった。入るべきか入らざるべきか。長い事この場に居たら、いつか社が遠くから可笑しそうに笑う姿を想像して、仕方なく蓮はその場を離れた。
社が蓮を見つけて手ぶらの蓮を見て意外そうに近寄り、こそこそ、と声をかける。社の手には、手一杯の紙袋の山が下げられている。
「あれ~『いつもの所』行ったんじゃないの?居ただろ?しばらく来ないだろうから、オレは少し休もうと思ったのに」
「・・・・台詞の練習をしていたので、邪魔しては悪いと思って」
「バレンタインだから会えたら良かったのに。だから何も持っていないんだ?」
「別に・・・」
社に、キョーコにはバレンタインデーだから会いに行ったわけでは無い、と言おうと思って、では何故会いに言ったのかと説明するのもまた面倒で、蓮は口を閉じた。
「あ、これ、蓮のヤツ。事務所の人たちから手渡されたけどどうする?」
蓮はそれに手をのばしてそのまま受け取った。すると、とたんに増える蓮の手の中。もう持てないだけの量になった所で、社が「手伝おうか?」と声をかけた。二人でも更に持てない量になって、一度、先日社が見ておいて、と言った部屋へ二人で向かう。その場に手持ちで貰った物を置いた。一つ一つ、とても凝った紙袋の中身。それらを手にして、蓮はじっと眺める。
「どうしたの?蓮」
「いえ・・・凝ってるな、と思って」
「みんな蓮が好きなんだ、本命にしても義理にしても義務にしても」
「義務?」
「今は義務チョコっていうのもあるらしいよ」
「そんなのもはや、渡す必要も無いんじゃ・・・好きじゃないけど仕方ないから義理であげます、なんて、義理チョコよりヒドイというか、失礼にも程があるというか」
「ほら、立場ってものをさ、大事にするんだろ、みんなさ。特に社会人になると。でも蓮の分は殆ど義務チョコは混ざってないんじゃない?」
「・・・・・・・・・」
名前のなかったキョーコのチョコレートは義務チョコの意味だろうか。
そんな事を思っている時に、ドアを叩く音と、キョーコがひょこ、と、のぞく。
「わっ・・・あれ?敦賀さん、こんにちは」
「あれ、キョーコちゃん、どうしたの~?蓮にチョコ~?ていうか、何か今日は雰囲気が違うね!ラブミー部員というより、とても綺麗なお姉さんて感じ。もしかしてバレンタインだから?」
社が捲くし立てる間に、背筋の凍るような気がするキョーコと、まったく表情が変わらない柔和な蓮は、互いに視線を合わせる事なく、挨拶を交わした。
「あ~・・・あのー・・・これは社さんに、それから、こっちは敦賀さんに・・・と思って、持って来たんですけど・・・・」
「え~!嬉しいな~キョーコちゃんありがとう」
社が正直に喜ぶ傍らで、蓮は変わらない柔和な表情のままそれを受け取った。 チョコレートの小箱。やはり袋のどこにも名前のないもの。
「・・・・・ありがとう、わざわざ」
「気持ちだけですけど」
「あ、蓮、ごめん、オレは書類、取って来るね。しばらくここに居て、この部屋はしばらく蓮宛の荷物専用の部屋だから」
「・・・・・・・」
社が気を利かせて出て行ったのは、蓮の目からは、みえみえだった。
社がドアを閉めたのを確認して、蓮はキョーコの方をしっかりと見つめる。
いつものキョーコとは少し違う服装に髪型、そして、化粧。ナツよりも大人っぽく、それでいてセツカより上品な。まるで見た事が無いようなキョーコにどこか複雑なものも感じる。でも、首元には蓮のクイーンローザが居る。それが、蓮の気持ちを少しだけ繋ぎ止めた。
「これからデートか何か?」
「いえ?」
「いつもと雰囲気が違うから。イメージチェンジ?」
「・・・・どうですか?」
「いいんじゃない?」
「そうですか・・・」
いいと言ったのに、キョーコはどこか静かに生返事をした。
「すごくいいよ!とか言って欲しかった?」
「そういう訳では」
「元気ないね」
結局次に会ったらキョーコを責め立てるつもりだったのに、キョーコがいつもと少し違うから、蓮はそれをできないでいた。しかも、チョコレートを貰ってしまっている。あのバラのチョコレートは、キョーコではなかったのだろうか。
「そんな事は、あ・・・・今日会えると思っていなかったので・・・お誕生日プレゼントを下宿先に置いて来てしまいました・・・・」
「そうなんだ?」
「せっかくお会いできたのに・・・・残念です・・・また今度、良かったらまた貰って頂けますか?」
「・・・・今日は、このあとは?仕事?」
「いえ、帰るだけですけど」
「じゃあ送るから、今日くれる?」
「え?はい、もちろん・・・」
「じゃあ決まり、仕度して、一緒に帰ろう?オレの部屋で食事でもする?それともこんな日はせめて外がいい?」
「は?え?あ?いえ?あの・・・?」
「今日はオレに付き合ってくれる?ってこと」
「ええ、もちろん・・・」
「最上さん、何か今日、変だね、本当にいつもの君らしくない」
「そんな事は無いんです!かっこいいお姉さんになったつもりで今日は一日!」
「ぶっ・・・」
蓮がそれを聞いて笑いをこらえきれずに吹きだすと、キョーコは真っ赤になりながら、笑わないで下さい、これも仕事のためなんですから!と、いつものキョーコらしく、言い訳がましく蓮に言った。
やはり言い訳をしながら社は仕事をするから、と言ってみえみえの言い訳と共に蓮との帰宅を拒み、蓮はキョーコと二人で帰った。キョーコはあまり車中で話す事は無かった。蓮は例のバラの話を切り出すタイミングが無くて、ただ、横に静かに乗るキョーコの、時々静かに吐き出す溜め息を聞いて聞かぬフリをしながら運転を続けた。
キョーコが下宿先に一度入り、戻ってくると、蓮の席の窓を叩いた。
「あの、女将さんが、良かったら寄って下さいって言って下さって。よかったら、あの、大将のお料理、美味しいんですよ・・・?私のお部屋で、召し上がっていかれませんか?もちろん、誰にも気づかれずに食事できます」
「・・・・・・うん、そうだね」
その誘いを喜んでいいのかどうなのか、蓮は車を置いてキョーコの案内するまま挨拶をして、部屋に入る。サングラスと帽子だけは被ると、すぐに誰かは殆ど分からない。どこか得体を隠した蓮を、もしかしたらキョーコの彼とでも思った様子で、夫婦は蓮に会釈だけをした。
キョーコが、和食の乗った膳を二往復して、部屋まで運ぶ。
和やかに食事をして、近況を伝え合った。
全てを片付けお茶を入れた所で、キョーコが部屋に置いてあった包みを蓮に渡した。
「あの、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう・・・」
「しばらくお会いできなかったので、遅くなってしまって」
「嬉しい」
蓮はそれをすぐに紐解くと、キョーコは慌てながら、今回もまた私の独断と偏見で・・・良かったらどうぞ・・・今ならもれなく返却も受け付けます、と付け加えた。
真紅のバラの花の形をしたクッション。
シルクだろうか。とても手触りの良い。
でも、この造形は、見ればすぐに『もう一つのもの』も同時に思い出す。
「やっぱり・・・」
「え?」
「・・・・・本当は、怒ろうと思っていたんだ。君に会ったら。こんなひどい仕打ちって」
「・・・・・・?」
「今日オレが居たあの部屋に、これと同じ形の小さなバラとチョコレート・・・・置いていかなかった?」
「・・・・・・」
「なんで直接渡してくれないのかな・・・・そんな薄い関係だったっけ、オレたち」
「いえ・・・・お会いできないと思っていたので・・・・最初に作ったバラは、きっと渡せても、もうずっとそんな期間が過ぎたあとになるだろう、と思って・・・。それに、無理にお渡しするためにお誕生日やバレンタインデーにご連絡してお渡しするのも、大事なお時間をお邪魔しては、と思いまして・・・」
「だから、そんなに、オレと遠慮するような距離あったっけ?セツカさん?」
「いえ、セツカと私は別物ですから。そんな恐れ多い。仕事とプライベートを混同して、厚かましくこんな大事な日のために会って欲しいなどと電話するなど、敦賀さんに怒られます。失礼です。それでです」
蓮はふぅ、と一つ息を吐き出した。
不用意に感情的になりそうだったからだった。
キョーコが公私混同をしない事をよく知っている。
そんなキョーコだからこそ、好きになったのだろうけれど・・・・
蓮は、カバンに入れていた、例の小さなバラのチョコレートが入ったものを取り出した。
それを見たキョーコが、「え?」、と言った。
「・・・・・どうしてそれを」
「だって、絶対君だと思ったから入れておいた」
「今日見たら、置いたはずのそれが無かったから、きっと、名前も書かなかったし、隅っこにゴミのように置いたし、もしかしたらスタッフさんに怪しまれて捨てられたのだと思っていました・・・。それで、他の人にあげるはずのチョコレートを思わず敦賀さんへ差し上げました・・・・」
「・・・・・・・・・・。オレ宛の荷物を置いてくれている部屋に、綺麗なバラがあると思って・・・手に取った。ちょうどこの間君と電話していた時だよ。この赤いバラの形、その中に紅い石を模したチョコレート。こんなのを作るのなんて、一人しか知らない。・・・・でもね、もし、オレがあの部屋にこなかったり、来たとしても気づかなかったらと思うと腹が立ってね。こんなに手をかけて綺麗に作ってくれたのに」
キョーコは蓮から手渡されたそのフェルトのバラを見ながら、少しだけ、目を潤ませた。
「よかった・・・・」
「・・・・だから、どうしてそんなに思い入れて作ってくれたなら、直接渡してくれなかったの。誕生日プレゼントはこうしてもらえたのに」
「・・・・・・いえ、これもそうですけど、バラのローザ様を模倣していたら・・・・凝り過ぎてしまって逆に恥ずかしくなってしまって・・・・今日敦賀さんとお会いしなければ、やっぱりこの部屋で、自分で使おうかとも思っていました。男性のお部屋に、バラのクッションって変ですし・・・・」
キョーコは、主人に怒られた犬のように、しょぼん、と小さくなってそう言った。
蓮はまた小さく息を吐き出す。
「そんな事?」
「そんな事です」
「お礼が言えなかったらと思うと怖いね」
「いえ、言ってもらおうなんて思っていませんから。目に留まっただけでラッキーだったと思っておきます、あんなに沢山のチョコレートとプレゼントの山の中で」
君のだからやっぱり気づいたんだ、と、蓮は言おうとして、やめた。
言いながら、一線を越えて手でも出しそうだ。
ここは自宅マンションの部屋ではない。
すぐ近くに、下宿先の人たちが居る。
「ありがとう」
といって、蓮は、キョーコの頬に、「今回も」、ゆっくり、唇を押し当てた。
キョーコは、小さく震えて、完全に息を止めながら、それを受け続けた。
そして、少しのハグ。抱きしめたキョーコの耳たぶは真っ赤で、腕の中のキョーコは蓮のなすがまま、半分気を失いかけているかのようだった。
「今日の綺麗なお姉さんバージョンの最上さんで、喜び勇んでカッコよくハグもキスも受けてくれるかと思ったんだけど」
「わっ・・・無理です。降参です、それは。まだまだ格好だけです。もうちょっとやり続けて設定入れ込んでみないと」
「そうなんだ?」
蓮が可笑しそうに笑うから、キョーコは真っ赤になって、
「もー!どうして毎回!」
「嬉しいから」
「それは分かりますけど!」
「一つ言っておくと、君はファンの子とも違うし、ただの後輩とも違う。だから、あの部屋に置いたのはヤダ。今度から必ずオレに手渡して」
「(ヤダといわれましても・・・・)・・・・・ごめんなさい」
「・・・・・大体、君は大概オレをバカにしているからこんな事ができるんだ」
「ええ!ちがいますっ!!」
「オレの事全然分かってない」
「そう、言われ、ましても・・・」
キョーコが口を尖らせていつものキョーコのように見えたから、ようやく蓮はにこり、と笑って、貰ったものを持って帰る仕度をした。
「でも、敦賀さんの事は本当に尊敬していて、大好きなんですよ?それだけは、知っていて下さいね?少なくとも、バカにしているからではないですよ?」
「え?」
――やっぱりオレの事なんて全く分かってない・・・・
――オレの事をバカにしているからそんな事をさらっと言えるんだ・・・・
と思ったけれども、最も欲しかった言葉を聞けたから、それはそれで、(少しばかり自分勝手ではあるけれども)自分へのご褒美かバースデープレゼントとする事にした。
「ありがとう」
思わず、もう一度、蓮はキョーコの頬に、唇を置いた。
キョーコが少し蓮の表現に慣れた様子で、「もう~」と言いながら、照れながら、蓮の口付けを、静かにやさしく受け止めた。
2015.2.10
Happy Birthday Ren!