京都で撮影を終えた蓮を待ったキョーコは、随分と京の町からは離れた山奥にいる。寺の境内のさらに裏道、紅葉の赤や銀杏の黄色の葉の絨毯の上を、蓮とキョーコは散歩をしていた。
元々は寺の人間が使う道、誰も通ることも無く、二人は秋の日のオフ時間をすごすことにしていた。
「ここを少し外れた奥に石があって、そこに座ると、下の景色が見えて・・・とっても綺麗だったはずなんです」
キョーコが蓮を手招き、道を外れようとしたから、蓮が、
「大丈夫?迷子にならない?」
と言った。
「あ、あれあれっ。あれです、敦賀さん」
キョーコが指差した先にはまるでしつらえたような、休むにはちょうどいい石が二つ。
座ればちょうど、京の町並みが遠くに見えた。
「綺麗だね」
と蓮がいい、キョーコが「でしょう?」と誇らしげに言った。
子供の頃女将が話していた、かすかな記憶に残っていた、京の町を一望できる特等席の話。
たまたま二人とも京都での仕事が重なり、それを知った蓮がオフ時間を共にすごそうとキョーコを誘ったから、出身のキョーコが京都を案内することにして、でも、蓮と自分の立場も考えてこうした誰も来ない静かな場所を選ぶことにした。
その記憶と女将が幾つかもらしていたキーワードを頼りに、何とかこの場を探し出した。
寺の裏道のため、事前に連絡が必要だったが、それは案内役のキョーコがひそかにしておいたのだった。
「この場所に来ると、何にでもなれる気がする、と、昔の人も言っていたそうです。本当に、特別な、特等席だったんですって」
「へえ。それはすごいね。何にでもなれるなんて」
「京の街並みをみおろせて、まるで神様か仙人にでもなった気分だったのかもしれません」
蓮は少しだけ身を乗り出して、山の下に見える街並みをしばらくじっと眺めていた。それは東京でみおろす風景とはまた違った趣だった。
こうした自然の大好きな蓮とキョーコは、ただ、黙ってその風景の一部になる事も得意だった。
二人の間を、秋の少々肌寒い風が通り抜けた。
「教えてくれてありがとう。いい気分転換になったよ」
「あそこが、私の育った場所で、そのちょっと右側にある林を抜けた所にある川辺で、コーンと会ったんです」
コーンのことを唯一知っている蓮には教えてあげてもいいとキョーコは思って、そう告げた。それを聞いた蓮は、
「今度、そこにも招待してね」
と言った。キョーコは、もちろん、と言って、
「そこにも、特等席がありますよ!夏は暑いので、来年の春か秋か・・・・それとも今から見に行きますか?そこも内緒の場所なので、ほとんど人は来ませんから」
その場を思い浮かべ、まるで今でもそこに『彼』がいるかのように目を輝かせた。蓮は、随分と神々しく穏やかな笑顔を浮かべた。
「次の楽しみに取っておくよ。今日はこれだけで十分。また、二人で行こう」
「う、は、はい。特等席、ご案内します」
蓮の神々しい笑顔を真正面から、しかも至近距離で見つめてしまったキョーコはすっかり神様にでもあった後のように清められてしまって、語尾を濁した。
蓮は大きく伸びをして、気持ちがよかった、と言ったあと、帰るべく立ち上がった。
「そろそろ行こう」
「そうですねっ、社さんもきっと心配してます」
「大丈夫だよ、きっと、ホテルの部屋で羽を伸ばしてる」
「社さんって、一体どんな趣味をお持ちなんですか?」
「将棋?囲碁?どっちだったかな、そんなのだと言っていたよ?」
楽しそうに話す蓮とキョーコの間にまた風が吹き抜けて、ざわざわ、と、キョーコの横の竹が揺れた。それに視線を流したキョーコが、上まで見上げて、
「この竹も背が高いですね~」
と言って、ぽんぽん、とその幹をたたいた。
そして、立ち止まったキョーコは蓮も見上げて、
「思い出しました、敦賀さん」
「何?」
「敦賀さんって、本当に神様に愛されていて、すごいなって思うんです」
「なに、いきなり・・・・どうしたの?」
「人間が、モデル体型になれる遺伝的確率って・・・全世界でもたった1%にも満たないと聞きました。しかもその中でもモデル体型になれただけではトップモデルになれませんし、大きなブランドのメインモデルになる事なんてさらにもっと・・・・。だから、ものすごい確立の中で敦賀さんはお仕事をしているんだなあって・・・。日本ではもちろん敦賀さんと同じような人はいませんし、70億人近い人たちの中でも、最も神様に近い所にいるんだなって思って・・・この背の高い竹を見て、そんな事を思い出しました。だから、敦賀さんになれないものなんて、きっと、何も無いんです」
「・・・・・・・・・ありがとう」
蓮は冷えたキョーコの手をとって握ると、それを自らのジャケットのポケットに入れてしまった。
驚き、えっ、と言ったキョーコの声は風に流されて、
「寒くなってきたから、少しの間だけ、手をつないで歩こう」
と言い、蓮も竹を見上げた。
「もしオレが神の手に選ばれているとしたらとても嬉しいことだけど・・・もし70億分の1の確立でこの手に選ばれたら、怖いものなんて何も無くなるんだけどな」
そう竹にそっと呟いた蓮の声も、秋の涼やかな風に消えてしまった。
温かな手だけ、繋いで・・・・。
秋のさわやかな帰り道、蓮の温かで優しい気持ちの心うちとは裏腹に、繋いだ手にキョーコの頬はすっかりのぼせて紅葉して真っ赤になって、照れて照れて下を向いて歩くことになった。
そんな表情も、蓮にとっては愛しく、抱きしめたい感情にとらわれて、だから、さらに蓮の大きな手は強くキョーコの指をさらい、蓮は70億分の1のとても小さな世界・・・・ポケットの中の幸せを、その散歩道の間だけ、握り締める事ができた。
2009.10.19