キスの温度

ラブミー部の部室で、キョーコは奏江と奏江のドラマについて話をしていた。先週末に放映されたドラマで奏江はキスをしていたのを、キョーコは、素直に褒めた。

「モー子さんのラブシーン、ドキドキしちゃった!綺麗だった!」

当然、という反応なのか、興味が無いという反応なのか、照れ隠しなのか。奏江は、キョーコがその部分について言った事について、特に返答をしなかった。

「照れてる?」

にっこり、と笑うキョーコに奏江は、

「いいえ。女優として当然の事よ」

と、本心なのか冗談なのか、そう答えた。二人以外誰もいない部室。それでも奏江はキョーコに近づき、キョーコの耳にそっと囁いた。

「敦賀さんと、自宅では毎日濃厚ラブシーンのくせに」

キョーコにからかわれたのを、奏江はやり返した。

「なっ・・・!」

何を想像しているのモー子さん、と、言い返したかった。そんな事ないもの、と、言い返したかった。しかし、照れたキョーコの頬の鮮やかな紅色のほうが、言葉よりも早く真実を伝えた。

奏江が、「それこそ、敦賀さんに、教えてもらえばいいのに」、と、にっこり、それは面白そうに笑って言うから、キョーコは、

「そんなの、教わらないもの!!」

と、半ば意地を張って答えた。キョーコ自身、毎日蓮の傍にいるだけで必死だというのに。

「そう?」

奏江は返事をすると、すっ、と、キョーコの首に、腕を回す。

「敦賀さんとアンタじゃ、背の高さに差があるから、しにくくない?敦賀さんが、相当屈むかアンタが背伸びするか・・・」

奏江は、少しだけ、首を傾けて、まるでキスでもするかのような体勢をとった。

「そ、そんな・・・」

奏江の大人びた表情に、くらくら目を回した。演技派女優奏江は、恋愛大根演技娘に対して、

「ダメよ、そんな受身じゃ。もっと、首を、傾けて・・・」

キョーコの首を、そっと、傾けた。

キョーコは、奏江の手の導くまま、奏江を見つめていた。まさか、キスされる事は、無いだろう。ただ、それでも妙な気分ではある。

「この、首の角度が重要なのよ・・・」

奏江は言った。首の角度だけでも、気持ちは表せる、と。

「ソフトなのか、激しいのか・・・愛してるのか、挨拶なのか・・・。とても、強く愛しているなら、首は傾けて・・・キスを待っているなら、そうしてまっすぐ立って、相手の男がするのを待ちながら、首は傾けなくていい・・・。男がかなり傾けて、女は傾けない方が、静かで清楚な雰囲気は、出るわね・・・」

奏江の表情は、一切変わらない。ただ、淡々と、キョーコの首を支えながら、言葉に合わせて、マネキンのようにキョーコの首を、こう、こう、こうして、と、動かしていく。

「・・・首の角度で、相手の気持ちも、自分の気持ちも、全て分かってしまうのよ・・・」

キョーコはまるで奏江の魔法に掛かったかのように、静かに奏江の言葉を聞いていた。

そして。頬に、ほんの触れるかふれないかだけの、柔らかな唇の感触がした。

最大限に、首を傾けた、奏江。

先程のように、心から面白そうに笑って、離れた。

「・・・・・・・・・・・・!」

キョーコはあまりにびっくりして、言葉を失った。

「・・・キョーコちゃん・・・?!」

――どさり。

とんでもなく驚いた社の声が無かったら、キョーコは我に返ることも出来なかっただろう。社は、持っていたバッグを落としていた。

「・・・おもしろいわね」

と、奏江は、軽く笑った。そしてキョーコが、

「モー子さん????」

としか言えない間に、社が全て、キョーコの言葉を代弁した。

「こ、琴南さんって・・・その・・・・あの・・・キョーコちゃんのことが、好き、だった、とか・・・・?」

「当たり前じゃない」

その言葉を喜んでいいのか、悪いのか。普段のキョーコなら飛び上がって喜ぶだろう言葉を、奏江はさらりと口にした。が、今は気が動転していて、それどころではない。

「のぞき見するなんて、野暮」

奏江は、心から面白そうに笑っている。キョーコと全くと言っていいほど、同じように気が動転している社は、落とした鞄を拾う事も出来なかった。蓮が拾いあげ、渡した。

「社さん、からかわれているんですよ」

蓮が苦笑いで部屋に入ってきた。

「敦賀さんが、そこに迎えに来られていたのは、知っていたので」

さらり、と、事も無げに奏江が言った。

「さあ、お嬢さん、帰ろう」

ぽかん、と、魂が抜けたような、それはマヌケな顔でキョーコは入り口を振り返った。蓮を視界に捉えても、ぺこり、と、頭を下げるだけの、それは気の無い挨拶をした。

「ぶっ・・・」

蓮は吹き出して笑った。

「琴南さんの色気に、酔った?」

「敦賀さん。モー子さんに、キスされてしまいました」

キョーコは、自分の左頬を、人差し指で押さえた。

「見えていたから、知ってるよ」

「ウワキジャ、アリマセンヨ?」

普段あまり口にしないような事を口にするのを、蓮も奏江も本当に可笑しそうに見ている。

「オレが外に立っているのを知っていたから、琴南さんがからかったんだよ、社さんと、君と、そしてオレを、ね」

「そうなの?モー子さん」

「・・・よ、よかったぁ・・・余計な心配しちゃったよ」

奏江は薄く笑うだけ。

「彼女の耳元で、何を囁いたか、教えて差し上げましょうか、敦賀さん?」

「・・・?」

「や、やめて、モー子さんっ!!」

毎日蓮と濃厚ラブシーン、などと、そんな恥ずかしい言葉を披露されるのは、勘弁願いたい。

「ふふ・・・あー面白かった。さ、帰りましょ。アンタにキスするなんて、もう一生無いから安心して」

奏江は、ロッカーから荷物を手にして、じゃあね、とキョーコに言い、蓮と社に「お疲れ様でした」と挨拶すると颯爽と出て行ってしまった。

どこか魂の抜けかかっているキョーコに、コートを着せて、バッグを蓮が持ち、引きずりながら帰ったのは、いうまでもない。

*****

「琴南さんにキスされて、そんなに、ショックだった?」

蓮は、横に座るキョーコに面白そうに言った。奏江も蓮もキョーコで遊ぶのがとても好きだ。

「とにかくびっくりして・・・」

「君を好きだと言っていたじゃないか。いつもなら、飛び上がって喜ぶのにね。挨拶だと思えばそれでいいのに」

「・・・・・・」

蓮も奏江も、ヒドイじゃない、と、遊ばれてばかりのキョーコはだんだんと腹立たしくなってきた。

「モー子さんが、ドラマでしたキスの演技を教えてくれたんですっ!!」

「へぇ。この間の?」

「はい。綺麗、だったと言ったら、コーチングしてくれました」

「そんな事、オレに言えばいいのに。いつでも教えるけど」

蓮には、教われないだろう。自分の感情が入りすぎる。

蓮は、キョーコの頬をその大きな手で包み、数度親指で撫でた。それだけでドキドキするのに。教わるどころではない。

蓮が、首をひどく傾けて、キョーコにキスしようとしたのを、キョーコは、真っ赤になって、止めた。

「・・・何?」

「あのっ・・・」

『首の角度で、相手の気持ちも、どんなキスをしたいのかも、分かる』

奏江の言葉が、脳裏にリフレインした。

「やだ?」

「・・・じゃないですけど・・・」

蓮が、今までどんな風に自分に近づいてきただろうか。思い出してみても、蓮が自分に対して、かなり、情熱的な角度でしてくれている事に、気付いた。

『愛されてる』

――~~~~~~~~~~~~!!

キョーコの照れ度が最大限になった。くたり、と、蓮の身体の中に落ちて顔を身体につけ、蓮を抱き締めた。

「さっきから、一人で何を百面相して、果てたわけ?」

蓮は可笑しそうに笑いながら、キョーコの首筋を指で辿っていく。背中が、ぞくり、と、する。

そうだ。蓮にされる事で照れるなら、自らすればいいのではないか。

ちらり、と、キョーコは蓮を見上げる。蓮が、「何?」という顔で、見下ろしている。身体を起こしてソファに膝を突き、蓮の顔の真正面まで、自らの顔を移動させた。

ちゅ、と、軽く正面からキスしてみる。まったく角度のない。コレじゃ挨拶だわ、と、思いながら、少しだけ、斜めにして口付けてみる。蓮が、目を細める。蓮が、同じだけ、首を傾ける。

「オレで、キスの、勉強中?」

「はい・・・」

「キス初心者じゃないのにね・・・」

蓮は、腕組みをしながら面白そうに、囁く。口付けながら、話しながら、少しずつ、傾斜を付けていく。ある角度で、蓮が、腕組みを解き、キョーコの腰を、引いた。

「なぜ、今、引き寄せてくださったんですか?」

「・・・なぜ・・・?と聞かれても・・・受け止めているだけじゃ・・・」

蓮が腰を引くからキョーコの体勢は不安定になって、結局、自ら、蓮の首に腕を回すことになった。

自然と、最大限に、互いの首が傾いた。その時には、キョーコは、蓮の身体の上で、自ら蓮の唇を求めていた。

『すき』

蓮の、唇は、そう伝えてくる。自分の唇は、それを、蓮に伝えられているだろうか?

蓮の手は、自然とキョーコの首を、更に鋭角に傾けさせる。今まで、気付かなかっただけだ。その手の誘導に少しだけ抵抗すると、蓮は、

「もっと・・・傾けて・・・じゃないと、もっと、深く、出来ないから・・・」

と、演技として教えてくれているのか、自らの心の声なのか、キョーコの唇にそう囁いた。

その唇の温度、蓮の唇の温かさと、心の熱は、次のキスで更に深く、キョーコに伝えられた。

お互いに、首を、出来うる限り、傾け、ながら。

*****

キョーコから沢山の甘いキスを受けた蓮が、いつもの倍、気持ちが高揚したのは当然だろう。

――演技派女優の琴南さんに、感謝しなきゃ、いけないのかな・・・

蓮は、腕の中で幸せそうに目を閉じているキョーコを優しく抱き締めながら、ふとその表情を優しく緩めた。


2009.01.31