八
トントン、と、キョーコは蓮の控え室を叩いた。どうぞ、と中から蓮の声がして、キョーコはドアを開ける。
「おつかれさまです、おはようございます。最上です。本日もよろしくお願いいたします」
キョーコは蓮に深々と頭を下げてから、中に入り、そしてドアを閉めた。
その様子を、キョーコに声をかけようとしたセイが、たまたま見かけていた。
どこでも誰にでも、九十度のお辞儀なんだな、という気持ちと、キョーコが他の男・・・蓮の・・・部屋に入っていくのを見て、少しだけいやな予感がした。
キョーコが入る際にした、恐らく敦賀蓮を見てした、はにかんだような表情が、先日見たキョーコの大人っぽいような表情と似ていたからだった。
敦賀蓮、という男性は、例外なく共演者を恋に落とす事で有名ですよ、と、マネージャーが言っていた。
それは、敦賀蓮の手が早いという意味では無く、その魅力で、らしい。ただ、共演する相手の誰もが、敦賀蓮を好きになってしまうという。
今の共演者は、キョーコだ。しかも、敦賀蓮はキョーコを魂の底から愛しきる。キョーコがそれに引きずられ、勘違いをしたって仕方が無い。
「っ・・・」
今後キョーコが苦しまなければいいのに、と、セイはそう思って、自室のドアを閉めた。
「あの、敦賀さん、これ・・・先日お話した、文化祭のチケットと、パンフレットです」
「うん、ありがとう。社さん、オレ、行っても確か平気ですよね?九月二十八日の午後なんですけど・・・空いていたと思って」
「もちろん!」
社は、なんていい日なんだ、今日は、と思う。
ケンカでもしたカップルの仲直りでも見届けるような、すがすがしい気分でそれを見届けていた。
「私たちのクラスは、一人一芸、という出し物をやるんです」
「へえ、何それ」
「自分が得意な事を、時間の間、どこかで披露する、んです。お仕事している人は、今のお仕事の事とか。モデルのお友達は、歩き方とかを教えたり、ポージングを教えたりして、一緒に写真を撮ったりすると言っていました。だから、私は、廊下でウェルカムボードを置いて、生身の人形になる事に決めました。ミューズ様・・・テン様が、当日の朝、お化粧を施して下さる事を快諾して下さって・・・」
「よかったね、楽しみにしてる。きっと君の生人形姿、みんなリアルすぎて気づかないか、急に動いたら悲鳴でも上がるんじゃないかな・・・」
「それが狙いです!!」
キョーコは、ぐっ、とこぶしを作る。
「あはは、いいね、それ。オレも君の人形の様子、そばで今の人形師のように、楽しみに見ていることにするから、オレの視線に負けないでね」
「わかりました。その挑戦状、頂きます。絶対に、私は負けませんっ」
ガッツポーズを決めたキョーコは、失礼します、と言って、部屋を出た。
演技上でだって、蓮のとんでもなく甘く愛する視線をキョーコに向ける。負ける訳に行かない。文化祭は丁度その練習だと思った。
「キョーコ、キョーコ」
廊下を歩くキョーコに、セイが声をかける。
「おはよっ、キョーコ」
「おはようござい・・・・おはよう、セイ」
「ぶふっ・・・言い直したし」
「ふふっ」
キョーコも笑う。
「差し入れに、さ、ベルギーのとっても美味しいチョコレートが届いたんだよ。寄っていかない?」
「ありがとうございます。でも今から人形の準備に入らないといけないので」
キョーコはやはり深々と頭を下げて、気づき、あ、ありがとう、と深々と下げたまま顔をセイに向けて、言った。
「・・・そっか、残念、じゃあ、あとでね」
「セイ?どうしたの?何か・・・私」
キョーコはセイの微妙な感情の変化を読み取ってそう言った。
「何も無いよ、寄ってもらいたかっただけ。じゃ、あとでね、キョーコ」
そう言ってセイは、にこり、と笑顔を見せて、一度手を振り、自分の控え室に入った。
*****
撮影中、キョーコはただただ置かれている。規則的に瞬きをし、規則的に同じ強さで呼吸をし、視線は固定され、体も動く場面や椅子から落ちる場面などでなければ、同じ方向を向いている。
意外と人間の視覚は広いんだなと思う。たった一点を一日見つめている事を続けていると、目の中に飛び込んでくる情報は、意識していないだけで意外と多いことに気づく。一点・・・最初の人形師のベッドの上・・・しか見ていないけれども、見えない部分や背後、周りの気配を読むのもだいぶできるようになった。
最初の人形師が、毎晩のようにキョーコ扮する人形を愛し、愛しているにもかかわらず、やはり人間ではないせいで、不満がたまる人形師が、キョーコ人形を半乱暴するシーンを何カットも何角度も撮り続ける。
もちろん、キョーコは特殊な下着を着けていて、素肌をさらす訳では無い。編集の際に、素肌に見えるようになっている。
キョーコは天井をずっと見つめている。
演技でも、乱暴な言葉、乱暴に扱われる手はどこから飛んでくるのか全く見えず、痛く、とても恐ろしい。
ここをこうして、こう触られる、どう服を脱がされ、何と言う言葉をかけられるのかも頭では分かっているのに、何カットもひどい言葉を浴びせられ、どこからとも無く怖い手につかまれ、痛みを覚えると、思わず涙が出そうになる。
人形をやっていて、初めて、つらい、と思った。
何も声に出す事もできない。動く事も感情を表す事も出来ない。涙なんて流そうものなら再度取り撮りなおしだ。
――やめて!!
と心が言うのが分かる。それなのに、何も、表に出す事が出来ない。ああ、人形の心だ、と、キョーコの心は遠くの方で思う。
長い時間、何度も何度も、キョーコは声を出す事も動く事も感情を出す事もできずに、乱暴されるシーンを撮っているうちに、心に憎しみがわき、その憎しみさえ表に出せないから、絶望感で心が殆ど動かなくなった。
耳の奥の遠くの方では終わったと言われて、人形師の役の男性が、お疲れ様、と言いながら上をどいたのに、全く元に戻る事が出来なくて、しばらく、ベッドの上で動かずに、人形のままでいた。
スタッフが駆け寄って、キョーコの様子を上から覗き込む。
「京子さん、午前中はもう、終わりました。戻ってきてください」
「・・・・・・・・・・・」
キョーコの視線が全く動かない。まるで抜け殻のよう。
カラーコンタクトのせいで、感情さえわからない。
「・・・・部屋、運ぼうか?」
蓮が横に立って、すぐにでも抱き起こそうというような目でのぞきこんでいる。
セイもその隣に立っている。
「キョーコ・・・」
セイがまるで泣きそうな顔で、上からキョーコを見つめているのが見える。
「・・・・・・・・」
キョーコはそれが目に入っているけれども、それでも声を出す事が出来なかった。
「ごめん、最上さん。いい?」
とだけ蓮が言い、少しはだけた服を覆うようにそばにあったシーツを体全体に巻くと、ひょい、と抱えた。
「・・・・・・・・」
「オレの部屋にソファがある。そこで少し、休もう」
「・・・・・・・・」
蓮の腕の中にすっぽりと収まるキョーコは、瞬き一つせずに、頷く事も無ければ首を振る事も無い。
セイも心配そうにそれを見つめた。
周りの共演者やスタッフの心配そうな顔や、どうしようかという声をよそに、蓮が有無を言わさない様子でキョーコを連れて出て、社やセイや他のスタッフも、何か手伝う事があるかと、それに着いて行こうとした。
けれども、蓮は首を振って、それを拒否した。
「すみません・・・できれば、皆さんにはお昼の間、この部屋から離れた所で待っていて欲しいんです。もちろん彼女に悪い事はしないですから」
蓮は社に向き、
「ちょうどお昼の間の一時間、時間を下さい。たぶんそれで戻ってくると思います。でも・・・申し訳ないですけど、彼女が声を取り戻す時、それを無用に聞かれたくないので、一時間、誰もこの部屋に近づかないで欲しいと伝えて下さい」
と、頼んだ。
社が、分かったよ、と言って、共演者スタッフ共に、昼休憩は建物の外で、蓮とキョーコが部屋から出てきたら撮影再開、という事になった。
セイが、社を呼び止めた。
「あの・・・キョーコ・・・大丈夫、ですよね?・・・全然、何も目に入ってなかったみたいで・・・まるで抜け殻みたいでした・・・あんなに乱暴されて・・・可哀想に・・・」
「蓮の事だから、きっと、キョーコちゃんが今どういう状態なのか分かっているんだと思う、けど・・・・」
社もふぅ、と息を吐き出す。
「敦賀さん・・・やっぱり、最後にキョーコの演じる人形の魂を救うのも、敦賀さん、なんですよね・・・・だからかな・・・・オレだってキョーコぐらい抱えられたけど、なんか・・・オレがって言う隙がありませんでした・・・」
社は、蓮の気持ちを知っているから、今蓮がどれだけキョーコの事を心配しているのかを分かっている。
その、有無を言わさないだけの、蓮のキョーコへの愛情が、セイには無意識にも伝わっているのだろう。
セイが、どうしたら、キョーコは喜ぶだろう、と言ったのを聞いて、社は、彼がキョーコの事を恐らく特別な存在に思っているだろう事は気づいた。
「蓮に任せよう」
と、蓮のマネージャーとして出来る限りの返答をした。
蓮が控え室に着くとすぐに、キョーコをその巻いていたシーツを解いた。
もちろんキョーコは下着だけは着ている。
蓮も上のシャツを脱ぎ、素肌の腕の中にキョーコを抱き入れた。
冷えないように、シーツを改めて蓮が羽織り、二人分の肌を包んだ。
時々瞬きするだけで全く反応の無いキョーコに、蓮は、ただ、何度も、それは愛しそうに、ゆっくりと、「愛してる、愛してるよ」と、耳元で囁いた。
キョーコには、遠くの方で、蓮が人形の名前ではなく、『自分を』愛してると囁いている声が聞こえていた。
徐々に、キョーコの冷えに冷えた体温が少しずつ温かく戻ってきているのが蓮に伝わる。
「愛してる、愛してる。だから安心してこっちにも戻っておいで、キョーコ・・・」
と、蓮は言った。
キョーコの体が、ブルブルブル・・・・と徐々に震えだし、それがとても大きくなる。
わなわな、と大きく蓮の腕の中で暴れて、蓮を叩き、逃れようとするキョーコを蓮は思い切り抱きしめて、
「愛してる、キョーコ、愛してる」
とだけ、とても強く言った。
「・・・・・・あ、ああああ、う、ううううううあああ」
とやっとキョーコがうなり声のような声を出したのを聞いて、蓮は腕の力をもっと強めて抱きしめた。
「・・・よく頑張った・・・」
と、蓮は限りなく優しい声で、声をかけた。
「敦賀さん、敦賀さん・・・・・」
キョーコは、蓮の名前を呼ぶことしか出来なかった。
「・・・・ふっ・・・・うぅっ・・あああああ・・・・・」
キョーコの目から、ボロボロ涙が零れ落ちる。
出せなかった感情を、声を、ようやく外に出せるようになると、泣きながら、時々うなり声のような声をあげた。
「愛してる、キョーコ」
と蓮が何度も何度も優しく言うのを、キョーコは泣きながら、耳の奥に聞いていた。
しばらく泣いて、落ち着いて来た時、蓮はキョーコを気遣って、元にあったシーツをキョーコに巻き、そして、自分もシャツを羽織ると、まだ半分人形の世界と人間の世界とを行ったり来たりしているキョーコの様子を見て、再度腕の中に入れた。
「・・・・つるがさん・・・・」
まるで夢から覚めたばかりのように、キョーコはぼんやりと蓮を呼んだ。
「・・・疲れただろう?少し横になる?」
「なぜ、私は・・・ええと・・・」
「・・・・ペルソナ・・・仮面みたいなものだね」
「・・・・?」
「仮面を被っているうちに、どっちがどちらなのか、分からなくなる事だよ。・・・でも、本当にきつかったね。あまりに自分と人形の心との境目が無くなってしまって、散々と演技とはいえ・・・暴力を受けたから、一時的に更に内側に入って君の心を守ったんだよ」
「・・・・そう、ですか・・・」
先程の衝動は収まったものの、蓮の腕の中で愛していると囁かれた事が、とても心地よく体に響いて残って、ただその余韻と耳の奥の蓮の優しい残響を聞いていた。
「撮影は・・・?私は、きちんと出来ていたんでしょうか・・・?」
「もちろん、しっかり終わったよ。もう無いから安心して」
「・・・・・よかった・・・・」
「怖かっただろう・・・?よくがんばったね」
「・・・・どこから手が出て来るのか分からなくて、怖い声で、たくさん怖い言葉を言われて、乱暴につかまれて叩かれて痛くて・・・。彼を愛しているのに、そんなにひどい事を言わないでって悔しくて怖くて、怒りも恐怖も表に出せなくて・・・人形の気持ちそのものになってしまって・・・・」
キョーコは、また目に涙を浮かべて蓮の腕の中で泣いた。
まだ、人形の気持ちから抜け切れていない様子だった。
蓮は腕の中のキョーコの頭を撫で、何度も髪の毛を、手ですいた。
「午後は、撮る順番、変えてもらう?目の腫れがおさまらないだろう?」
と蓮が言うと、ようやく、キョーコは、どうやら自分が、ものすごく迷惑をかけている状態なのかもしれない、と、気づいて、どういう状態なのかを把握しようと意識を元に戻した。
「・・・・・・・あ、あれ、私っ・・・・こんな格好でっ、うそっ・・・」
下着しかつけていない状態で、蓮の腕の中にすっぽりと収まっている。撮影中はどこまでも、肌を見せようが全くそういうのは気にならないから、今の方がよほど恥ずかしい。
「す、すみません・・・・あのっ・・・・」
キョーコが飛びのこうとして力が入らず、腕の中でシーツを巻き付けながら小さくなる。
「・・・・気にする事はないよ」
と言われても、蓮も半分服がはだけている。
よくよく思い出せば、蓮も上半身はシャツを脱いでいたし、蓮の腕の中で互いに下着以外ほぼ素肌で抱きしめあっていたような気もする・・・。
蓮が何事も無かったように、自分の服を正す。
キョーコは、恥ずかしさで頭を抱えて小さくなった。
「ごめん。その方が早かったから」
それに、ずっと、ずっと、ずっと、キョーコ愛してる、と、蓮はささやいていたような気もする・・・。
「あ、愛してるって」
目をグルグル回すキョーコを見て、蓮も、
「ごめんごめん。ひどい言葉に閉じた心を開くには、最も真逆の言葉がいいと思ったから」
と、少し苦笑してそう言った。
「すみません・・・監督に謝ってこなきゃ。あ、でも、服っ・・・」
キョーコはもはや全く段取りが付けられない様子で、グルグルと蓮の前を行ったり来たり。
蓮は少し笑って、
「落ち着いて」
と言った。
ぴたり、とキョーコ動きを止めて、シーツをしっかり巻き付ける。
顔中赤面をしているキョーコを見て、蓮も、仕方ない事だろうとは思いながら、とても愛しそうに見つめた。
蓮の目が、あまりに優しかったから、キョーコはうつむいて、抱えたひざに顔を埋めた。
「本当に、よく頑張った・・・見ていたこっちが、本当に殴ってやろうかと怒りをおぼえるぐらいにね・・・・」
「初めて、人形をやっていて、つらい、と思いました・・・台本を読んでいた段階では、ものすごく怒りを溜めるシーンだと思っていたんです。もちろん怒りはものすごくたまりましたけど、途中からその怒りを発散する事も表す事も恐怖を表す事も何も出来ない絶望感の方が強くて・・・たぶん、映像ではオッケーでも、私の中のオッケーが出ません・・・もっともっとうまくできたと思うのに・・・」
キョーコの目にまた、じんわり、と、涙が浮かぶ。
「感情を表に出せないのは、苦しいよね・・・でも・・・監督がオッケーを出しているのだから・・・今回ばかりは仕方ないと、思うけど・・・プロとして許せない気持ちは分かる、かな・・?」
蓮はそう言って立ち上がると、「君の控え室まで連れて行くか、洋服を君の控え室から取ってくるのと、どっちがいい?」と聞いた。
キョーコは少し考えて、下着やそれらを持ってきてもらうなんて、と思って、部屋まで行きます・・・と言った。
でも、立とうとしてかくん、と膝が一瞬折れた。
それを見た蓮が、すぐにキョーコを腕に抱える。
キョーコは恥ずかしさで赤面して蓮の胸に顔を隠した。
自分の腕の中で身を縮めて蓮の胸に顔を埋めるキョーコを見た蓮は、とてもキョーコを可愛らしく愛しく思う。
「部屋を出るよ」
と蓮が言い、キョーコが頷いて、部屋を出た。
そこで蓮が思わず一瞬歩みを止める。
人払いをしておいたはずなのに・・・。
セイが壁に寄りかかって、立っていた。
「キョーコ・・・」
と、セイが言い、キョーコは自分の様子から、
「セイ、ごめん、今ちょっと力が抜けてて、敦賀さんにこうしてもらっていて・・・だからちょっと恥ずかしくて・・・」
と、顔を蓮の胸に隠したまま、言った。
「大丈夫なら、いいんだ。元に戻れて良かった。すごく心配したんだ。・・・ごめん、邪魔して」
と言って、廊下をキョーコの控え室と反対側に歩いていく。
蓮は、彼の表情からして、恐らく最初から最後までそこに居たのだろう、と思った。蓮の声やキョーコの声も、全て聞いていただろう。
蓮も、セイの気持ちを理解できなくは無かったけれども、強く、「キョーコは誰にも渡さないし、渡せない」という事を、セイに触れる事で、改めて強く心に思った。
キョーコは自分の控え室に戻って少し休むと、着替えて部屋を出た。ちょうどお昼休憩を終えた監督スタッフ共演者たちが戻ってきたから、頭を下げて回った。
キョーコの目は少し泣いた跡と共に赤くなっていたし、撮影も特に押してはいない。誰もがキョーコを心配し、入り込みすぎている事をすごいと言う事と同時に心配するだけで、責める人間はいなかった。それに、キョーコが心配したように、演技がダメだったという事も無いようだった。
「敦賀君、一体どうやって京子ちゃんを戻したの?」
と誰かが聞いたから、蓮は、
「抱きしめて、愛していると言い続けていただけです。少しひどい言葉が続いたので、真逆の言葉が一番いいと思って」
とさらりと答えて、共演者の赤面を誘った。
セイは蓮の会話を、部屋の隅で聞いていた。
蓮の声は、それは愛おしそうにキョーコに愛を告げているように、セイには聞こえていた。
まるで部屋の中で、二人で恋愛行為でもしているかのように・・・。
彼が全ての人の人払いをしたのは、キョーコが恐らく泣き叫んだりわめいたりするだろう事が分かっていて、その声を聞かれないように気遣って、そうしたに違いない、とセイの理性でも理解できる。
でも、どう考えても、何かの野生の感のような部分で、もしかすると蓮はキョーコを本当に愛しているのではないかと思う部分があった。
なぜなら、キョーコが撮影を終えても起きてこなかった時、キョーコを心底心配した自分よりも先に、最初に足を向けたのは蓮だった。
有無を言わさず抱き上げる様子や、あの愛を告げる声。
共演しているから?
今まで何度も仕事を一緒にしているから?
いや・・・。
自分がもし自分が全く何も感情の無い共演者の女の子に対して、同じ場面に遭遇したとして、あんな風に一連の行動ができるだろうか、と自らの心に聞いて、恐らく、スタッフに任せるか、病院に連れようと言うだろう。蓮のようには出来そうにないな、と思った。
だから、やはり蓮は、少なくともキョーコを共演者として以上には大事に思っているに違いない、と思った。
もし、あの時自分が部屋の外にいなかったとしたら、敦賀蓮は、キョーコをどうやって起こしたのかの問いには、恐らく何も答えなかったに違いない。
けれど、予想外にも外に自分がいた。
だから、ものすごい台詞も、まるで彼女を助けるには一般的な方法のように言ったのでは無いだろうか。
あの完全無敵のように見える敦賀蓮の中にも、まさかの、言葉にならない声があるらしい。
――もしかして、もしかしてだけど、好きで好きで、心底愛していて、でも言えないなんて・・・敦賀さんが演じてた嘉月の・・・美月に対するあの感じにそっくりだ・・・。あのドラマ、美月を、キョーコちゃんに置き換えてやっていたりして・・・
――オレって・・・・推理探偵の助手にもなれそう
セイは、自分の感の良さに、少し笑う。そしてキョーコに渡そうと思って手にしていたチョコレートを、やはりキョーコに渡そうと思って、探しに歩き出した。
2014.12月作成
2019.1.26掲載