七
「ねえ、キョーコ」
と、セイは台本を読みふけるキョーコに言った。
「なあに?」
「キョーコってさ、キスしたこと、ある?」
「はっ・・・?」
ぱかり、と、壊れた人形のように口を開けたキョーコに、セイはまた吹いた。
「あははっ。ごめん、聞いちゃいけなかった?」
「違うけど。急にそんな事言われると思っていないから、びっくりして」
「そっか、そうだよね、ごめんごめん」
「あの・・・・えっと・・・一度だけ、ね」
と、キョーコは言った。
その表情を見たセイは、少しだけ、誰にも分からない程度に表情を雲らせた。
キョーコが、その思い出を、とても大事にしているような表情を浮かべたからだった。
「誰?前の彼氏?もしかして、今、彼氏いるの?」
「ううん。彼氏じゃないよ。・・・誰かはナイショ。でも、とっても大事な人」
脳裏に見ているだろう、その大事な人を思って、言葉を選び、そう言ったキョーコを見て、セイはどこかたまらないものを覚えた。
彼氏じゃないのに、キスして、頬を染めて喜ぶ相手がいるのだろうか、と、思う。
しかも、思い出してからのキョーコの様子が、今まで見てきたキョーコの様子とは違って、尋常じゃなく、大人っぽく思えたからだ。
とても天然素材極まりないようにキョーコを思ってきたけれど、キョーコは一体どんな人生を過ごして、今、ここにいるのだろう?と思う。
「そっか」
「セイ?」
「ううん、なんでもない。だってさ、役者さんだと・・・今回もだけど、敦賀さんとかさ、色んな人と、キスしたり、今回みたいに必要があれば、もっと、とか、あるんでしょ?」
「うん・・・そうだけど・・・・。前にね、敦賀さんに言われた事があって。『仕事は仕事』と割り切らないと、って。もちろん、仕事だからこそ、敦賀さんは、私を魂の底から今回愛して下さるし、セイが気にするような、そういう場面もあるけど・・・・だから、今回敦賀さんと、色々するけど、関係ない、かな?というか、関係ないと思ってる。あくまでただの人形だし」
キョーコはそう言いながら、少しだけ、心が痛むような気がした。
「へぇ・・・役者さんて、すごいんだね。オレが敦賀さんの役じゃなくて良かったって思っちゃうのは、まだまだ役者への自信なんて全然ないからなのかな。それとも、敦賀さん程・・・っていうか、あんな色気のある人、あんまりいないから・・・オレと比べなくてもいいと思っているんだけど」
セイは珍しく少し恥ずかしい事を言ったように、視線を落として、言った。
「そんな事ない。セイの作った助手も、すっごく色気あるじゃない。セイはセイが作ったそのキャラクターのままで、十分、素敵だと思う!監督さんだって、オーケーだしているんだもん、理想的な助手さんなんだと思う・・・よ?あれ?なんか、センパイ面した?もしかしてすごい偉そう?ごめんなさい・・・・」
「・・・・キョーコ・・・」
セイは、もしここが学校ではなくて、校舎の隅々からの女の子達の視線を感じていなければ、すぐにでもキスしてしまいたい衝動を覚えた。
「オレ、やっぱり助手じゃなければ、よかったな・・・」
「え?」
「ううん」
「セイの主演よ?大丈夫、本当に」
キョーコは演じる事にセイがまだ自信を持っていないのだと思って、そう声をかけた。
「ありがと、キョーコ」
セイは伸びをすると、オレを見てて、と言って、走り出し、芝生にたどり着くと、くるくる、とバク転やバク宙を繰り返した。
「これ、オレの得意な事!こっちならオレも負けないよ!体を動かすのだけは得意なんだ」
「すごい、すごいね、セイ!」
キョーコは思わず拍手を送った。
キョーコの記憶の中にも、一人だけ、とてもとても身軽だった男の子がいる。
とても身軽で、くるくる回り、時々、空を飛んで見せた。
金色の髪で、とても綺麗な瞳で・・・とてもとても優しい男の子。
それを思い出した。
「すごいね、セイって。何でもできるね」
「ホント?」
走って戻ってきたセイは、満面の笑みでそう言った。
キョーコは時々、セイと話をしている時に、強烈な視線を感じ続けていた。でも、今の所、学校の超人気者のセイと学校で話をしていても、かつてのショータローの時のように、嫌がらせを受ける事は無かった。先日話をしていた友達が、皆に触れて回ってくれたようだった。
感謝を伝えたキョーコに、もちろん京子としての実績が、それを回避しているのよ、と、友人達は言った。
「セイ君と同じ超大手事務所所属っていうのもあるんでしょうけど、京子さんの演技、好きな人多いんじゃない?あくまで、この学校も、実力の世界の色の強い学校だから」
キョーコは、それを聞いて鳥肌が立ってしまうほど、嬉しかった。
同性の友人に褒められる事ほど嬉しい事は無かった。
「でも、ホント、セイ君と仲がいいよね」
「あれだけ仲良かったら、後夜祭、誘われた?」
「いえ?」
「そうなんだ」
「ていうか、文化祭来るって言ってた?」
「あ、そういえば、聞いてないです・・・。本当に仕事の話しかしていなくて・・・今度撮影のとき、聞いてみますね?」
「うん、別に私達、彼の事がどうって訳じゃないんだけど・・・。ごめん」
「えっ、そんな、なぜですか?」
「まるで、京子さんとセイ君が付き合っているようにしか見えなくて、つい」
「ええっ!!!!!」
キョーコがやはり、壊れた人形のように口をぱかり、とあけたから、一緒にいた友人三人は皆心から吹いて、笑った。
「違います違います違います違います!!ないないないない、それは、神に誓ってありませんっ!!!」
「あはは、いいって、分かってるから。あのさ、それから、その、丁寧な感じ、普通でいいからね?なんか、私達が仕事的にはちょっとだけセンパイだからかな、気を使ってくれているのはわかるんだけど。フツーに、友達だから」
「あ、はい・・・」
皆、セイと同じ事を言うんだな、と言うのと、そう言われて、とても嬉しく思った事と・・・。
「私達も、キョーコ、って呼ぶから・・・」
そう言われて、キョーコが、うるうると目を潤ませたから、皆がぎょっとして、
「そんな大げさな」
「でもっ、わたくし、いつも、フツーのお友達というものがとてもうれしくて」
「もうホント、好きだわ~・・・キョーコ」
目を潤ませたキョーコに、彼女達の差し伸べた手と笑い声は、とても温かくて、優しかった。
2014.12月作成
2019.1.25掲載