十
文化祭当日。
キョーコは、朝一番でミューズ様、と呼ぶテンの所へと足を運んだ。
「キョーコちゃん、こういうのも似合うのねえ」
としげしげ、テンは、西洋人形になったキョーコを見てそう言った。
金茶のゆるいパーマのかかった、陶器のように白い西洋人形。
キョーコが手縫いしたと言った服は上から下までとても凝っていて、キョーコが「こんな感じで一日中ウェルカムドールとして座っているんです」と言って、人形になって見せた様子を見て、自分でメイクを施しておきながら、「リアルすぎて怖いっ・・・」と引いた。
「もともと、ホラー映画用なので・・・」
「そ、そうね・・・頑張ってね、キョーコちゃん・・・」
半ば引き気味のテンに、うきうきと挨拶をして、キョーコは学校へ向かう。
通勤ラッシュを共にすると、回りはとても怖がり、近くに人は居なくなった。
キョーコはそれを逆に面白がって、人形のフリをして乗ってみたりした。
キョーコの一芸時間は、文化祭開会の開始の十時から一二時と、二時から四時で、それ以外の時間は好きに過ごして良い事になっている。
セイがキョーコに一緒に出るように言った後夜祭は五時半からで、最初に様々な出し物があって、日が暮れてから、後夜祭に参加した生徒とお客とでワルツがあり、終わる。
あの日のあと、キョーコはセイに会っていなかったから、セイがいつ来て、本当に後夜祭を一緒に出るのかすら、分かっていなかった。
せっかく貰った連絡先に電話でもしてみようか、と思いつつ、キョーコを友達だといって助けてくれたクラスメートにちらりと相談すると、友人達は皆、「やっぱりねえ、セイ君は京子さんを好きだったのよね」と口をそろえた。
本当に、彼は自分の事を、恋愛感情で、好き、なんだろうか?まだ会ったばかりですし、とキョーコは思う。ただ単に後夜祭に出る相手が居ないから、最近親しいキョーコに声をかけたようにしか思えなかった。
キョーコの思う、恋愛とは、多少その深さが違うせいかもしれなかった。
でももし、蓮も帰ってしまい、セイが本当にキョーコに改めて声をかけて来たら、仕方なく、『友人の一人として』、全校生徒やファンの子の、針のむしろになる事を覚悟した。
人形になるのは面白かった。
十時から、入り口の椅子に座り続けている。
座る椅子の横には、『Welcome』という文字と、共に、『生人形につき、触らないで下さい。時々動きます』と書かれてあった。
「生人形って何?」と不思議な顔をして顔を近づける人に、にこ、と笑うと、悲鳴が起こる。
時々トイレに行きたくて立ち上がると、ビクッと横に居た人が跳ねる。
友人のモデル仲間がペットボトルを手に持って、かわるがわる水を口に含ませてくれる様子を、皆が不思議そうに見守る。
友人達は、「メイクも衣装も動きも表情も完璧!本当にすごいね」と言って、笑った。
生人形は、文化祭のためのウェルカムドールであって、玄関先で恐怖の館をやっている訳では無いのですが・・・・とキョーコは思う。
けれども、そんな皆が全く気づかない様子や、何これ、という視線、本当に人形だと思って、可愛い、と言いながら触ろうとして、キョーコに「生きてます」と言われて腰を抜かす子、など、どういう視線を送ってくるのかの様子もずっと楽しんでいた。
途中で宝田社長が、面白そうにキョーコを眺め、マリアが、マリア好みの洋服を着ているリアルな人形であるキョーコを大絶賛した。
奏江は視線がどこを見ているのか不明なキョーコを見て一言「気持ち悪っ・・・」と言った。
一時になっても、二時になっても、三時になってもセイは現われなかった。
セイのクラスのクレープ屋は、いつ彼がくるかと、絶えず人の波が押し寄せているのが、キョーコの目から見える。
もうすぐ四時になる。視線の先に見える入り口の時計の針の角度がおおよそ四時に近づいているように視界の端では思える。
だから、そろそろ生人形展示も終わりかも・・・と思って、もうしばらくだけ生人形でいようと思った時、視線の先に、男性の生人形が立っている。
髪の色がとても西洋風だけれど・・・中世ヨーロッパ風の衣装を纏い、立っている。
――あれ?でも、あの体の感じは・・・
――敦賀さんだ・・・・・
生人形同士が向かい合っている状態を、何も疑問視する事無く通り過ぎる人、どちらも一緒に写真を撮る人、気持ち悪い、と言って、足早に去る人・・・。
キョーコは、蓮の扮する生人形が見たくて見たくて仕方が無かった。
けれども。
――そうだっ、これは敦賀さんの挑戦状だった・・・
蓮は、キョーコを見ているから負けないようにね、と言った。
蓮の視線に負けないと挑戦状を受け取ったのを思い出した。
四時を過ぎ、四時半を過ぎたようにぼんやりと視界の片隅に入る時計の針の角度と、外の日の高さの具合から、そう思えた。
そろそろ動き出したい。
けれど、蓮は生人形のまま・・・。
そう思った矢先に、蓮が先に動いた。
周りに居た人たちが、「生きていたの」という視線と共に、ビクッと驚く。
キョーコは負けたくなくてそのまま動かなかった。
蓮はキョーコの横にあるウェルカムボードをひっくり返す。
そして、キョーコをそっと抱き上げる感覚がして、キョーコの体は軽く宙に浮いた。
蓮はキョーコを見て、一度、にこり、と優しく笑った。
その様子を横で見ていた文化祭への客達は、二人のパフォーマンスの一つだと、拍手を送る。
キョーコの顔をあえて外に向けないよう、蓮の体に隠した。
そして蓮は、すたすた、と、まるでこの高校の校舎を熟知しているかのように歩いた。
途中でクラスメートの友人がキョーコに気づき、「生人形二体居たの?」と声をかけたけれども、絶対に負けたくないと思って、人形になったままでいた。
蓮は、第三音楽室の扉を開けて、そして、鍵を閉めた。
先日セイがキョーコを呼び出した場所だ。どうして、この場を知っているのか、キョーコにはとても不思議だった。
以前に少し口にしたのを、覚えていたのだろうか・・・。
蓮は、キョーコをピアノの上に置いた。
――どうすればいいの・・・
と、心の中で思い、そして、蓮も何も言わないから、ただ、負けたくなくて、そうして人形のままでいる事にした。
蓮は、しばらくキョーコの目を正面から至近距離で愛しそうに覗いていた。
キョーコからぼんやりと見える蓮は、まるで・・・コーンのようだった。
差し込む強いオレンジ色の夕日に透ける、綺麗な綺麗な金色の髪の毛、まるで宝石のような碧色の瞳・・・。なんてそっくりなのだろう。
――敦賀さんて、コーンの事、知っているのかしら・・・たまたま西洋人形を真似たから・・・・?
と心の遠い所が言う。
生人形をやめた彼は今、西洋人形を愛する、人形師、の、つもりなのだろうか。キョーコをとても愛しそうに見つめて、普段の蓮とは違う、撮影中のような雰囲気を感じる。
蓮は、ピアノの蓋を開けると、猫ふんじゃった、を弾いた。かつて、全くピアノが弾けないと言った時と異なり、とてもスムーズだった。笑いそうになってしまう。確か、撮影の合間にレッスンを受けていたのを、ぼんやりと心の奥が思い出していた。
蓮は、幻想即興曲を含め、何曲かピアノ曲を弾いた。
下腹部から、体に直接ピアノの音が響いてくる。
何だかとても官能的な気持ちになる。
でも確かに、人形をピアノの上に置いて弾く事もあるだろう。キョーコは人形の気持ちがまた一つ、分かる。
キョーコの唇にペットボトルの水を軽く流し込み、そして、そっと肩を抱く。
「美味しい?」
とまるで恋人のように、それは愛しく優しい音の声がした。
やはり、彼は今、人形師なのだろう。
まだ、彼からの挑戦状に、負けたくない。
蓮は窓辺に行き、カーテンの隅で外を眺め、そこから動かなくなった。
キョーコも、ただ、人形を続けた。
静かに、五分・・・十分・・・と過ぎた頃、
――ドンドンドン
と、外のドアを叩く音がする。
「キョーコ!」
と声がする。
「いるんだろ?」
と、外から聞こえるその声は、セイの声だった。
キョーコが、ピアノの上から、すとん、と、降りた。
それでも蓮は、窓際で何も言わず、外の様子を見つめている。
後夜祭が始まるらしい。
集まっているたくさんの生徒の声が聞こえてきている。
「ごめんなさい、敦賀さん・・・私の、負けです」
そう言って、謝罪したキョーコは、ドアへ向かう。
扉を開ける。
「・・・・キョーコ」
「セイ・・・」
「迎えにきたんだ。さっき、ここにリアル人形が入っていったって誰かが言ってたから」
セイはそう言った。
キョーコは黙っている。
「キョーコ、オレは、君が好き」
「ウソ・・・」
「嘘なんか言わない。すごい好き」
「なんで、だって、まだ会って少ししか・・・」
「何でなんて、ない。時間なんて関係ない。好きなものは好き。大好き。ずっと一緒にいたい」
「・・・・・・・」
キョーコは何を言っていいか、分からなかった。
ただ、瞳だけが・・・左右に揺れて・・・困っている様子なのがセイにはすぐに分かった。
その様子を見て、セイが言った。
「・・・・いるんだね、好きな人」
「・・・・・・ごめんなさい」
「・・・・初めて、キスをした人?」
「・・・・・・・・・・・・」
キョーコは答えなかった。
「あれは・・・・」
ようやく、教室に誰か他の人間が居る事に、セイは気づいた。あまりにキョーコへの気持ちが強すぎて、中の状況を見る余裕すらなかった。
奥はピアノが邪魔して、よく見えない。
ただ、真っ赤な夕日に透ける、綺麗な金色の髪を持つ長身の人物が、窓辺に寄りかかり、立っている様子がある事しか見えない。
「・・・・ガイジン?彼氏?」
「・・・私の妖精・・・・私の、とても、大事な、人」
それを聞いて、セイは、分かったよ、と、言った。
彼が、キョーコの好きな人、なのだと、すぐに分かった。
「じゃあね、キョーコ。オレは行くね。でも、本当に好きだ。それだけは信じて。同じ事務所だし、ずっと友達でいて」
とセイは言って、キョーコの唇に一度キスをした。
驚いて目をパチパチさせるキョーコに、
「仕事のときも、学校でも、また一緒にお昼食べようね」
と、また、とても綺麗な天然の笑顔をキョーコに向けて、ドアを閉めた。
その笑顔を向けられて、キョーコはどこか、切なくなる。
キョーコを思って、この状況でそんな笑顔を作る事が出来るセイを、もし、自分が誰も好きでなかったなら、必ず好きになっていただろう、と思った。
キョーコが、音楽室の、鍵を、かけた。
2014.12月作成
2019.1.28掲載