社と別れて蓮の部屋についた蓮とキョーコの二人は、荷物を降ろすと、蓮は先ほどの雑誌を取り出した。
「オレのと君のと」
そう言って、蓮はキョーコに一冊を手渡した。
「えっ」
「オレはモデルで載ってる。社長から預かったんだ。なかなかじゃねえかって伝えてと言っていたよ」
「社長さんに褒めてもらえるなんて中々ないので嬉しいです」
キョーコは受け取りながら言った。
そして、中を見て自分の写真を初めて見て改めて赤面し、ちらりと蓮を見て、
「私のところはっ・・・あの、あまり、見ないでください、ね?」
「芸術?なんだろう?」
蓮はおかしそうに言った後に、わかったよ、と、続けた。
キョーコは蓮がお茶をいれるから休んでいてと言って出て行った後、蓮のモデル姿のページ数ページを何度も見た。
同じ雑誌に載る事ができる、それだけで、仕事をしたご褒美だと思った。
蓮は慣れていて、とても自然な感じがする。
いつも一緒に写る外国人の男性とも、とてもバランスがよく映る。
テンはキョーコを見て、見惚れると言ったけれど。
「・・・・オレ?」
「・・・あ、はい。綺麗に写られているなって。本業と単発の違いですね」
「そうかな。種類というかコンセプトが全く違うから。カッコいいと言った方が喜ばれるのかな。最上さん、とても綺麗だね」
「あ、ありがとう、ございます」
蓮の、嘘偽りない表情と、何気ない言葉にキョーコは照れそうになって、蓮が差し出したお茶を飲みながら正面から顔を伏せた。
じわじわする感覚を、かみ殺すのに必死だった。
「おいしい、です」
英嗣が入れてくれるお茶もコーヒーも美味しい。
蓮は同じように淹れてくれる。
ミルクコーヒーが見ている今の自分の顔は、佐保の表情だろうか、自分の表情だろうか。多分、両方。
蓮への愛情が溢れてしまって、少しの顔の歪みが出てしまう。
キョーコはすぐに立ち上がり、目が痛いと言って洗面台の鏡を借りたいと言った。
顔を立て直さなければ、と思った。
*****
「じゃあ、疲れているところ申し訳ないけど、佐保として紙を貼り続けてもらえるかな。描き続けてみて、最も描きたい感じの所で写真を撮るから、そうしたら終わり」
「はい」
仕事の後に蓮の部屋に寄ったのは、蓮の絵のラフスケッチに付き合うためだった。
何でも自分でやることが重要だというドラマだから、絵も蓮自身の手で描く事が必要らしい。
そうは言っても、プロの手直しが入る。
それでも骨格は蓮自身の絵であることが重要との事だった。
少し先生についたと蓮は言っていたけれども、先日ドラマ内で描いていたものは、ほとんど手直しが入らなかったと言っていた。
紙を貼る、その一枚一枚が、佐保の命そのもの、英嗣への、芸術への愛情そのものだ。
心を乗せて貼る。こういう作業はキョーコにとって嫌いなものではない。
蓮の部屋にいようと、撮影中だろうと集中するのに問題ない。
十五分もしたところで蓮が写真を撮ったらしい音がした。
「ありがとう」
蓮はキョーコに写真を見せた。
自分が集中して貼っている姿だ。
特に何という事もないが、蓮が今ここで撮った理由を尋ねた。
「佐保、というか、最上さんが集中している時はとても分かりやすい。我を忘れて貼り続けている時の背中はよく分かるよ」
蓮はお疲れ様、といって、描いた絵の少しを見せてくれた。
ラフな線を引いただけのものだったけれど、キョーコだとわかる。
何か美しい線。
「すごいですね!何か素敵」
キョーコは嬉しそうに蓮に言った。
「私、敦賀さんの人形を作るなら、ご存知の通りきっと上手にできるんですけど、絵はどうでしょう?」
キョーコは笑って蓮に言った。
蓮もマリアの元に行った自分を模した人形を思い出した。蓮も笑う。
佐保も、最後の方では絵を描く。
蓮が終わったら、次は、キョーコが蓮を練習する番だった。
佐保として、英嗣を描く。
本当に描けるのだろうか?
「じゃあ、おねがいします」
いつもは背を向ける佐保が、ついに英嗣を描くためにその時だけは、いつもと逆側の席に座る。英嗣を見続ける。
見慣れた蓮のバランス。
骨のバランスから描いていこうと思うと、骨格やバランスまで敦賀蓮とコーンはやっぱり似ていると思う。模しているというレベルではなく、同じに見える。
髪と目の色以外は・・・。
どうしてあの時、コーンは、髪と目だけは真似て見えなかったのだろう。
自分の心が濁ってしまったからだとはいえ、全く同じに模していたのに、あ、でも、もしそこも一緒だと、敦賀さんだと思ってしまって全くコーンだと私が気づけないから、そこだけはきっとうまくできていたのだと思いながらキョーコは鉛筆を滑らせる。
ではコーンの今の本当の姿ってどんな姿、と、ふと思って鉛筆が止まり、はっとして一度頭を左右に振り、佐保はそんなことを考えないと思って再度集中することにした。
蓮は、当初テーブルの向こうでカップを拭く動作をしたり、コーヒーを淹れる様子をしたりしていた。
そのあと、座って、肘をついて手に顔を乗せ、佐保をただただ穏やかに見つめ始めた。
「・・・・・あの」
「英嗣は永遠に佐保を見ていられる。というか、見ていたいんだ」
蓮は楽しそうに穏やかに笑って続けた。
「英嗣は佐保の中から、自らの人生も全ての心の中の色も芸術の色も学ぶ。居ないと困る。好きになりすぎて、怖い位に愛している。なんていうか・・・あふれる愛情を表現すると、こんな感じかと思ったんだけど・・・。いてくれるだけでいい、ただ見ていたい、と。佐保も英嗣に支えられて進むけれど、それでももう少し芸術に対しても純粋に好きで、英嗣みたいにここまで狂気じみてない。だから英嗣は佐保に勝てないと思ってる。英嗣は色々なことに器用で卒なくこなす割に、佐保の事、恋愛だけは不器用で、自分を見失う程で本当にバランスが悪い。でもそれが英嗣の良い所で、天才の中にあるどこか人間らしい所というか。っていう顔をするとこんな顔になるのかなと思って」
「そうです、けど」
とても描きづらい。
英嗣として、佐保を千パーセント愛してますみたいな顔をしてこちらを見ている。
これは英嗣、私は佐保。そう思っても、近い。近すぎる。
蓮が心底愛する人には、こんな感じでいつも見つめているのだろう。
「佐保には一切見えないけれど、いつも英嗣が佐保を見つめる時にしている顔をしているだけだよ?」
「そうですか・・・」
「英嗣を最大に理解してその中に潜む愛と狂気さえ全てを受け止めて、更にそれが当たり前なのが佐保だよね?」
蓮は面白そうに笑った。
「仕事とはいえ、なんだかとても照れてしまいます。自分という存在を、まるごと全部を愛されるなんて、あまり経験がないので、本当に、まだまだ自分の方が出てきて主張するなんて役者としてうまくなくてすみません・・・。佐保は子供の頃から英嗣の愛情には当たり前だったから、当たり前すぎて多分そこまで反応しないはずなのに。佐保はそれなりに苦労の多い生い立ちにもかかわらず、英嗣や周りの最大限の愛情豊かな中で育ったから、だから、絵とか貼り絵にも愛情豊かな絵が描ける。英嗣は、自分がずっと佐保に与え続けたものを、佐保を通して返して貰ったり、見ているだけなんですけど、でも、それは佐保から与えられているものだと思っているというか・・・。なんていうか、愛情の循環が、いつもとてもいい二人です」
キョーコには蓮の表情は、神々しくもあり優しく、真正面から受け止めるにはとてもとても困った。
そんな顔で見られていたなんて。
ただ、千パーセント愛されていると確信している兄妹なら以前経験している。あの時のように、ただ、当たり前のものとして受け流せばと思っているはずなのだったけれど。
あの時と百八十度違う事があるとすれば、恋に自覚がある、という事、そして、長い間、蓮に対してどうすることもできない思いを募らせすぎたという事だ。
これまでも、これからも。
英嗣と佐保と同じように、太陽と地球のように、絶対に近づかないけれど、等しく互いを温めうる程度には近くにありながら。
だから、少しの刺激があると、表情のコントロールができなくなりそうになる。
「あの、では、その、今のお写真を、撮らせてもらえませんか?」
キョーコは携帯電話を取り出してそう言った。
「どうぞ?オレも君を撮ったよ?」
「あ、はい」
キョーコは許可を得て、蓮の写真を撮った。
千パーセント愛されている顔を。
そして、それを保存できることを、すごく嬉しく、そして、すごく悲しく思いながら。
撮ったあとも、蓮は同じようにキョーコを見続けた。
「あの」
「何?」
「撮りましたよ?」
「うん。君が描くのを見ていたいんだ」
蓮は英嗣のようなことを言って、英嗣と同じ顔でキョーコと手元を見続けた。
キョーコも諦めて、紙を新しく換えて、その姿を模することにした。
絵を描く事に集中してしまえば、蓮の表情は気にならなくなった。
そうなってみて、先ほどは集中していなかったことに気づいた。
蓮はほとんど動かずにキョーコを見つめた。
気づいたら、一時間は描き続けていたらしい。
鉛筆の芯が減っていたことに気づいて時計を見て、十一時を過ぎていたことに気づいた。
「あ!すみません、描きすぎました。同じ体勢で疲れたでしょう」
キョーコは我に返って蓮にそう言った。
「ううん」
蓮はそれを軽く否定しながら、両腕を上にあげて、少しだけ伸びた。
「すごい集中力だなって思って見てた。あと、見ているのが楽しかったから」
「何か作り出すとすぐに集中できるんです」
「それは本当の才能ってやつだね。リアル佐保だと思うよ」
キョーコは少しはにかんだ。
広げた紙やカップ、荷物を片付けて、帰る準備をしようとした。
「そのままでいいよ。泊っていけば?飲む?」
と蓮が言ったけれど、
「いいえ、万が一の事があって、敦賀さんにご迷惑をおかけしてはいけませんので」
と言ってキョーコはそれを断った。
「そうはいっても女の子をこんな時間にじゃあねって一人で帰すわけにいかないよ。それなら送っていくから。記事の心配ならいらないよ。君と撮られたとして困らないし」
蓮はそう言って、再度キッチンに向かってお湯を沸かし始めた。
リビングへ戻ってきて、キョーコに何てこともないように言った。
「明日オレも君もオフだろう。飲むの付き合ってくれない」
蓮は本当に、詐欺師か天然の女性口説き魔だとキョーコは思う。
どうしてそれを赤の他人の自分に言うのだろう。
一緒にいてもどうにもならないと分かっているから、泊っていくのも、夜通し飲むのも、撮られるのも、全く平気なのだろうか。
恋なんてと言い続けているから、自分からは絶対に、所謂一人の女性として好きだと言われないと、分かっているからだろうか。
まさかの異性とも扱われていないのかもしれないし、長年共にいるから、気の知れた友人代わりなのかもしれない。
しかも事務所もマネージャーも同じで、今は同じ作品を撮影中。
理由なんて幾らでもある、という事なのだろうか・・・。
ハタチになった時、お祝いしたのも、初めてお酒なるものを一緒に飲んだのも、全部蓮だった。
笑顔の中に、お酒の中に、全ての気持ちを溶かしてしまわなければならなかった日。
だから、大人になると、お酒を飲むのだと、知った、日。
全てが、苦しくて、苦い味のした、記憶。
蓮にとっては誰かとした、たった一日の食事、でも、キョーコにとっては、人生に一度の記憶、そんな些細な事がどんなに嬉しかったのかも、どんなに愛おしい時間だったのかも、このヒトは、きっと、知らない。
「・・・・・・・」
蓮と一緒に飲むとは、いつもそんな、お酒の中に何かの感情を流す必要がある、苦い記憶しか残らない。
蓮の意図を読み取ろうとしばらく蓮をみつめたものの、それを読み取ることはできなかった。
夜中に異性の自宅で、一対一でお酒を飲む。
多分、最も危ない行為。
それは、普通恋人としか行わないもの。
だから、蓮の珍しく強引な誘惑に、キョーコはいけないと分かっていて、その誘いを受けた。
2019.2.9
(パラレルワールドとして読んでいただければ幸いです)