ベッドにキョーコを沈めて、蓮は隣に腰かける。
「本当の話をしてから、オレを受け入れてくれない」
何度も「本当の話」という蓮の表情は、月明かりがすこしある位で、よく見えない。
「・・・?はい・・・」
蓮はそっと横たわるキョーコの頬に手を置く。
「君は、「敦賀蓮」が好き?」
蓮がまるで敦賀蓮を別人のように言うから、キョーコは不思議そうな顔をした。でも、蓮は何かの冗談を言っているようには見えなかった。何かすごく大事なことを聞いているのではないかということは分かった。
「えと・・・?敦賀さん、は、好き、です、よ?」
「世の中に認知されている敦賀蓮ではない素のオレは多分君の理想ではないかもしれないよ?それでも好き?いつもの姿の方が好き?この姿は嫌い?」
蓮がそう問うから、キョーコはしばらく蓮の目を見つめ続けた。
薄暗い部屋ではその瞳の美しさは見えないけれど。
容易に想像できる、美しい碧色の目。
触れればサラサラこぼれる蓮の美しい金色の髪。
茶色い目でも濃い髪の色でもない、記憶の中の妖精のようないでたち。
でもきっと蓮が問うているのは、「敦賀蓮」とは、仕事用の姿や様子であって、本来の蓮はもう少し別の人格があるよ、と、言いたいのだろうと思った。
だからキョーコは目をつむって、それから、頬に置かれた蓮の手に自らの両手で触れ、覆った。
「あなたの見た目がどんなに変化しても、いつも同じ手です。ずっと、ずっと、半年以上、何も聞かずに私を撫でてくれていた手・・・声も同じ、肌の匂いも、何もかもが同じ、ですよ?私を撫でる手はいつもすごく優しくて、決して私をどうこうしたいとか、義務とか義理とか、嫌なのにとか、そんなのは感じませんでした。いつもすごく大事にしてもらって、敦賀さんの腕の中が世界で最も大好きな場所になって・・・。人の手は正直なんですよ?絶対に嘘をつけないと、思います。私は「敦賀蓮」が好きな訳ではないんです。あまり食事を食べなくて、それから、作る料理はどこか豪快で、誰にでも優しくて、でも、俳優の仕事をしたら誰よりもプロのあなたが好きなんです。俳優の敦賀蓮はあなたの一部です。本当のあなたがまるで別にあるような言い方をしましたけど、この手はいつも優しかったです。もし更に別の面があっても、きっとすごく優しい。嫌いな訳ないじゃないですか。敦賀さんが私にそれを心配するなら、私は目をつむります。ほら、何も変わりません」
キョーコは目をつむったまま、自分の両腕で蓮の腕を引っ張り、頬を腕に寄せた。この腕が他の人を抱き寄せたいと思う瞬間が来なければよいとキョーコは願う。
抱き寄せられる形になった蓮は、しばらくキョーコの髪を撫で続けた。さらさらと髪が散る。それから、ちらりとキョーコが目を開けて蓮の表情を伺った時、蓮は世界で最も美しい微笑みを浮かべた。それを見たキョーコは、心の中で、嬉しい、優しい、神々しい、あらゆる美しい形容詞を連ねてみてもなんと表現して良いか分からなかった。キョーコがそれを正面から受け止めた。そして、撫でられる手に少しくすぐったそうに笑う。そして恥ずかしそうに、蓮の顔に触れた。
「・・・好きって、そういうこと、ですよね?」
「ありがとう・・・」
「京子はそれなりにがんばっていますけど、京子ではない最上キョーコは、恋愛が下手で、世界で唯一あなたに愛される権利を貰ってもあなたを受け入れるのにこんなに時間がかかるし、でも、世界で最もあなたを好きな気持ちは、あるんですよ?あなたが他の人に愛されるとか、あなたを他の人が幸せにするなんてやっぱりイヤだって思って・・・」
「君を他の男が幸せにするなんて考えるのも嫌だ。本当は英嗣みたいに、オレもいつまでもタイミングを待ってあげたかったんだけど・・・ねえ、そろそろ、答えをくれる?」
蓮は片耳をキョーコの口元に寄せた。
息を詰める音がする。
しばらく待つ。蓮は触れている頬をそっと指で撫でる。
くすぐったそうに笑って、キョーコはやっと答えた。
「好きです、大好き」
ほとんど空気を震わせるだけの告白。
蓮の耳に優しくかかるあたたかな空気。
蓮はほんの少しだけキョーコの手に引き寄せられた。キョーコの唇が、蓮の耳たぶに触れた。柔らかなキョーコの唇が、蓮の耳たぶを少しだけ食んだ。
「あ~・・・キョーコちゃん。君がすごい好き。もうオレの気持ちも止められそうにない。こんな気持ちになったの初めてだからどうしたらいいか分からないけど・・・。なんていうんだろう、どうして恋人同士が体を求めあうのかやっとわかった。でも分かった途端にもうひとつ分かったことがある。オレはやっぱり英嗣にはなれそうにないよ」
蓮は着ていたTシャツを脱ぎ、ベッドの下へ投げた。
キョーコが状況を察して顔を真っ赤に染め、また蓮の腕に顔を隠した。
キョーコの服も少しずつ、するりと脱がせてゆく。
下着もすべて取り去ると、二人はただ生まれたままの無垢な姿になった。
少しでも動けば肌にすべてが伝わる。
キョーコは顔をベッドに埋め、両腕で体の前面を隠すように覆った。それを蓮が剥がして両腕を自分の首に回すように促した。だから互いの肌と肌がほとんど触れた。
「もう、一生、オレに我慢も、心配も、しなくていい。安心して全部見せていいよ」
「・・・あの・・・」
「一生オレが君を守る。オレでいい?」
キョーコは大きな目をさらに大きくして蓮を見つめた。
あまりに驚いて、言葉も出ない。
でも答えたくて一度だけ「はい」と言って何度も頷き、それから涙をこぼした。
「いつかそばからいなくなったら私はどうなるんだろうって、優しく撫でられれば撫でられる程嬉しいのに怖くて動けなくて・・・。仕事が終わってしばらくしたらもう飽きるかも、だからいつでも離れられる準備だけはしておかなくちゃって・・・思えば思うほどもっと好きになってしまって・・・」
「オレが怖かった?」
「・・・いえ、自分が、です。いつも私が望んだ人は去っていく運命なのかもしれないと。これ以上あなたを好きになったらいけない、と何度も言い聞かせて・・・。でも、何度蓋をしても溢れてしまって・・・」
「もう一生溢れさせておいてくれるかな」
蓮はキョーコの恐怖が分からないでもない。蓮自身だって怖かった事は幾つもある。だからこそ、大事に、大事に、時間をかけてそばにいたのだ。心底大事にしたい人が離れていく経験が多かったキョーコにとって、どれだけ恋をすることが怖かったのだろう。好き、好き、と、泣きながら何度も繰り返すキョーコの顔はなんて可愛いのだろう。蓮はもう早く口づけてしまいたくて、「キョーコちゃん、好きだよ」と返答しながら唇を覆った。
唇が触れるとすぐに、好き、という言葉だけになった。そう言えば言うほど互いの息が上がる。蓮がしようとする甘い恋人同士のキスだけでもうキョーコは何度か目を回した。それから、繰り返し安心させようとする蓮の言葉と、キョーコの吐き出す可愛らしい甘い声が部屋に響いた。
愛し合う二人は、最早溢れて止まらないお互いへの気持ちを、ゆっくりと長い時間をかけて深く伝えあった。
2021.10.01