終盤になると、主にエキストラと、次から次へと場面を撮っていった。
一場面が終わると、次から次へと握手を求められ、共に写真に写りたいと求められて、キョーコはとても照れながらその一般の方々と撮影終了の記念に、握手をして、写真を撮った。
「じゃあ、次の方」
と言われて、入ってきた人を見て、キョーコは、息をのんだ。体の形が、髪が、蓮だ、と、思った。その容貌と恰好からは似つかわしくない、パンダのキーホルダーがジーンズのポケットから覗いている。そのキーホルダーは、以前キョーコと二人で買ったものに見えた。キョーコのバッグの内側についているし、毎日見ている。全く同じものに見える。
蓮に思える人物は、軽く会釈して、スタッフ各方面に何度も頭を下げて入ってくる。その会釈の角度さえ見慣れた蓮に見える。蓮のジーンズ姿自体が珍しいとか、白いTシャツに黒のジャケット、シンプルなシルバーアクセサリーというだけでなぜそんなに雰囲気が出るのかとか、その足の長さとか。その持つ雰囲気に、今までのエキストラとは異なり、何となく現場全体が、ざわ、と、視線が集まっている。売り出し中のモデルか何かかね、と、誰かが小声で言ったのがキョーコの耳にも入った。
なぜいるのだろうとか、エキストラだろうかとか、友情出演だろうかと。
髪の色を戻すと言ったのに、金色のままで、サングラスをしているし、全て英語で会話をしているから、誰も彼を蓮だと気づいていないようだった。外国人の一人を連れて来た、ただそれだけの事。
社を伴っていないし、誰かの紹介もないエキストラの一人として参加しているらしい。もしかしたら宝田社長から直接請けた匿名の仕事かもしれない。「お兄ちゃん」の役のような。監督と宝田社長しか知らないのかもしれない。
じゃあ、と言って、スタッフが英語で蓮に話しかけて、蓮も英語で返す。その声もやはり聞きなれた「お兄ちゃんの英語」で、その気づいていないスタッフの説明を、キョーコも思わず見つめた。英語になり、髪の色が異なった途端に誰も分からないのだろうか。
蓮は、無表情で言われた通りに、言われた通りの場所に待機した。
海外の有名俳優がお忍びでやってくるという場面を撮るのに、蓮を呼んだらしい。スタッフに詳細が分かると面倒だから、「外国人エキストラ」という肩書だけが台本に書かれていたのだろう。まさか「京子」が分かるとは思わずに・・・。
「じゃあ、京子ちゃん、彼が入ってきたら、普通に対応して、最後、誰か気づいて、とても驚く場面ね」
「はい」
京子は、スタッフのために、蓮のために、誰かは分からないフリをした。他のエキストラの人たちと同じように、挨拶をして、特段親しげに声をかける事も無く、同じようにスタンバイした。
「はい、スタート!」
始まると、蓮が入ってきて受付に立った。普通なら本人は来ないであろうが、ここはドラマ。本人が興味を持って話しかけてくる場面だ。女将であるキョーコは、相手が誰であろうとも、いつも通り普通のお客様同様の対応をする。英語の館内地図を元に、アナウンスが必要な場所をペンで丸を付けていく。
『お部屋はこちらで、お夕食はお部屋にお運びします。大浴場はエレベーターを降りて頂いて、1階の奥になります。お付きの方たちがお部屋の外に待機すると伺っておりますが、お客様のお部屋は離れに一室のみのお部屋ですので、彼らがいらしても問題はありませんし、お部屋にも専用の広い温泉もついておりますから、ゆっくりとお過ごしくださいませ』
『わかったよ。でさ、女将、オレが誰だか分かる?』
『はい、リバー様ですね?』
『そうだよ。それは本名』
そう言って、『蓮』は、サングラスを少しずらしてキョーコに見せた。キョーコは『まるで台本で指示された通りに』大きく目を見開いた。
『え?あの?・・・海外の有名な方ですね?ええと・・・映画に出られていらっしゃる方ですね』
と、戸惑い、あまりに驚く顔をしたキョーコに、『蓮』は、『満足したように』にっこり、と、笑って、すぐにサングラスを戻した。
『よろしくね?何か言いたい事があったらいつでも言ってくれる?』
『はい、かしこまりました』
そんな場面を撮ったところで、監督はカメラを止めた。
「いいねえ、京子ちゃん、いい表情が撮れたよ。英語もばっちりだねえ」
そんな事を言う監督の声に対して、ありがとうございます、と、だけ返事をした。キョーコは驚きでただ声を失って、その『彼』の行方を目で見送った。
あとは部屋に向かう背中と、気づいた他の客の驚いた顔だけを撮り、『彼』の出演も終わった。
エキストラなのに不自然さも無く一発で撮り終えた彼の背中を見つめた。監督がアシスタントを呼んで「正面から彼の表情も撮っておけばよかったな」と言った。
キョーコはハラハラしながら現場の様子を見守った。
『エキストラの』『蓮』は、当然ながら褒められる事も無い。寧ろ次にすぐ移るべく存在を気にする人もいなかった。まるで一般人が紛れ込んだかのように、最も若いスタッフに誘導されて、すぐに現場から帰って下さいと言わんばかりの勢いで出口を指示されている。蓮はサングラスのまま、ぺこり、と、会釈をしてその場を後にした。
「京子ちゃん、その驚いた表情最高!さすがだね!よかったよ。驚きと、戸惑いと、ハリウッド俳優がやってきたという気持ち全部写ってた。一応女将もプロでも人の子だからね。口には出さないけど目だけで驚きを語る、いい具合の表情だった」
「ありがとう、ございます・・・」
いまだ現実に戻ってこられないかのようにキョーコは少し上の空で、思わず顔を両手の平で叩いた。現実に戻ってくるために。
もし驚いた表情が、まるで理想的な顔をしていたのだとしたら、それは半分以上蓮の技術だ。それがまた悔しい。
蓮だと分かるように敢えてキョーコには思いこませておいて、更に驚くように仕込んでいた。サングラスを外した時に見た一瞬の目は、半分蓮で、半分が、どこかで見た事がある深い碧色だったように思えた。半分蓮で半分コーンのような。蓮だと思ったけれども、コーンが蓮の中に入り込んでやってきたのだろうか?
キョーコには目の色が見えたけれども、あくまで彼はエキストラだから、彼に向ってのカメラはない。カメラにはキョーコにだけ見えた彼の眼は写っていないだろう。誰にも見られないからこそ、一瞬だけサングラスを下したのだろう。英語が流ちょうに話せるエキストラと言っても、エキストラが初めての演技であんなにうまくできるはずはない。
「あの方は、本当にエキストラさん、ですか?」
「綺麗だったな!ていうか、素人の割にエライ勘がいいというか、分かってたな。何かやってたやつかな。おーい、さっきのヤツは誰かって」
監督がスタッフを呼んで聞いた。分かるスタッフが誰もいなくて、殆どが首を振る。端の端にいたスタッフが、紙をペラペラめくって答えた。
「マグノリア・ヘプタペタさん、という、アメリカ出身の方だとかで登録されてます。」
「ふーん?聞いた事ないな。連絡先聞いといてよ。今度別の作品でお願いするかも。どこの子?」
「LME所属みたいですけど、それ以上の事は書いてないですね」
「LMEなら京子ちゃんと一緒だね?」
「そうなんですか?存じ上げなくて失礼しました」
キョーコは監督に頭を下げた。
「新人君でしょ?知らなくても仕方ないよ。でもさすがLMEだねえ、新人君には思えない子、仕込んでくるもんね。実は次の売り出し候補なんじゃないの?」
新人?あんなに出来る新人がいるだろうか。蓮にしか見えなかった。そんなそっくりな顔でマグノリアなんとかなどという方いたかしら、家族か誰かだろうか、などと、そんな事をキョーコは監督が話す間に考えていた。
「京子ちゃん、次の人入るけど大丈夫かな?五分休憩入れようか?」
「あ、はい、すみません。一旦顔を立て直したいので、一分だけ下さい。次の場面用の気持ちだけ入れますので」
キョーコは顔を手のひらで再度軽くたたく仕草をした。
「オッケー。じゃあ、次の人お願いします」
また先ほどと同じように、客としてエキストラがやってきて会釈をして、脇にスタンバイしている。今度の人は普通の人らしく緊張した面持ちで立っている。その顔を見て、少し普通の気持ちに戻ってくる。「普通の人なら」、そういう緊張した面持ちで立っているものだ。あんなにカメラにも角度にも慣れた素人などいるものか。
蓮のたった一瞬の出番へのエネルギーに巻き込まれ、やっぱり演技させられてしまった。その悔しさを思い出して反芻して、お昼の間中どこか引きずることになり、それもまた悔しく思った。
*****
部屋に戻ると、ハルから貰ったDVDのケースを取り出した。蓮と見たいと約束したから、まだその映像は見ていない。先日蓮の自宅で見た雑誌の蓮と似たパッケージ写真。
ふう、と、息を吐き出した。
今日来た「あの人」は、蓮ではなかったのだろうか。
まるでコーンのような瞳をしていた。
「・・・・あ!」
知らない芸能人か、蓮の弟などがいるのだろうかと、スタッフに再度名前を聞いてメモした紙を見ながら検索をした。LME、マグノリア・ヘプタペタ、と検索をして最初に出てきたのはマグノリアの花の写真で、モクレン、白木蓮などと書かれている。
マグノリアはモクレンと知って、やはりあれは敦賀蓮だと確信した。きっと、社長か誰かがまた面白がって、英語が出来る素人の募集を見て、英語がネイティブ並みに話せる蓮をよこしたに違いないと思った。
そしてあのコーンのような瞳の色。一瞬見ただけだから、照明の光の加減で、そう見えただけだろうか?とにかく驚いて、ただただ、心臓が止まるかと思う程驚いたその瞬間の事だけを覚えている。そして、蓮に言わされるようにして台詞を吐き出した。
京都に来ているならば連絡をくれてもいいのに・・・と思ってしまう。そして撮影後も連絡が無くて、やっぱり、あれだけで帰ったのかもしれないと思った。
明日の台詞を入れてはあっても、さらう気持ちにならない。すっかり一瞬の蓮の演技に心を攫われてしまって、また悔しい気持ちが戻ってくる。
英嗣と佐保とでは、あまりに愛し合い過ぎていて、まるで空気のように穏やかに話し、当たり前のように横にいる。対峙するような場面が無いからその空気感をすっかり忘れていた。
「結局連絡無いじゃない」
と、何もない部屋で、まるで恋人に八つ当たりでもするように、ブツブツ文句を言いながらキョーコは目の前の絵を描き続けた。
長い間入れられなかった、金色の髪の絵の中の蓮の目の色を、今日見た蓮の瞳の色と、普段見る蓮の色と、両方の色を入れた。
目に光が射して、透けるような美しい碧色と茶色との間の神秘的な目になった。
できた、と、ふと携帯電話を見ると、着信マークがあって、蓮から、今から行きたい、と、メールが入っていた。
「!」
蓮から連絡があると言う事は、やっぱりあれは蓮で、コーンではなかったのだと思った。
たまたま演技の関係であの色のコンタクトを入れたのだろう、と推測した。
「敦賀さん」
「おつかれさま」
「気付かずすみません、もう、お帰りになられますよね?」
「行っていい?」
「え?もう、終電の新幹線、終わりますよ?」
「うん。明日帰れば平気だから」
「・・・(敦賀さんだから大丈夫だと思うけど、本来恋人ではない男性を夜部屋にあげるという事は危険というかいけないというか、「そういう」ことになっても文句は言えないと言う事で、しかも敦賀さんは私を今は・・・うんぬん・・・)」
「もしもし?聞こえる?」
「あ、ごめんなさい、はい、聞こえております」
「行っても、いい?」
「ええ、どうぞ。お約束、しましたから」
「そんなに警戒しなくても。何もしないよ」
「いえ、あの」
「DVD、一緒に見たいんだろ?ハルから連絡を貰ったよ。最上さんに渡したって」
「はい」
「ええと、どの辺に行けばいい?」
キョーコは住所とマンション名、部屋番号を知らせた。蓮は了解、と言って電話を切った。
2019.11.22