【いつくしむ 英嗣】
ある日カフェに数点の額縁絵が運び込まれた。でもその絵はすぐに一階奥の倉庫へしまわれてしまった。英嗣は開ける事すらしなかった。
「開けないんですか?」
と卓也が聞いた。
「うん。あれは父親の道楽だからオレのじゃないんだ」
当然のように言って、どのような物か見て見たいと興味を持っている卓也を困惑させた。道楽とは随分な物言いだ。英嗣の父親は一応この世界では名の通った画家なのだから。
「ここに飾ってある絵とは何が違うんですか」
「ここに飾ってあるものは祖父が欲しくて買ったものが主で、あとは父が欲しくて買ったものもあるけど、自分で選んで入れ替えているんだよ。オレは何もしない」
「英嗣さんは選ばないんですか?」
「うん」
英嗣はにこやかに答えた。まるで興味がないかのように言った。英嗣は絵も描くけれども、描くのは佐保ばかり。時々何か別のものを描くらしい。見た事は無い。あまりに謎すぎる英嗣。卓也は色々考えて、英嗣は他人の絵にはあまり興味が無いのだろうか?と思った。
「英嗣さんは、他の人の絵は嫌い、とか・・・」
「そうじゃないよ。父親の道楽をオレが取り上げる訳にはいかない。いつか順番が回ってくることがあったらオレがやるけど」
「そう、なんですね。お父さんの道楽ってどういう意味ですか?買うのが好きとか?」
卓也が言うと、英嗣はウインクだけして、それには答えずに、出来上がった葉っぱの模様が描かれたカップを卓也の前に置いた。
「二階がなんだか賑やかにヒートアップしているみたいだから。差し入れて来てくれる?」
「あ、大塚さんが来ているんですね」
「うん」
二階が写るモニターを見て卓也は、一人の男の名を言った。大塚は、佐保の追っかけで、佐保の絵を描きたいと同じ大学へ通い、店へも時々通っている。とても自由で明るく奔放な性格で、誰も彼の勢いを止める事は出来ない。来ると佐保を描く事はしないが、来ては佐保を二階へ息抜きをしようと連れ出す。
一階はあまり会話が出来ないから、仕方が無い。英嗣が良く思っていない事は佐保も知っている。佐保も二階に行くと少しだけ緊張感が解けるのか、大塚には思っているよりも心を開いて話す。だからいつも余計に英嗣の機嫌は悪くなる。店を閉店してからいつも、英嗣は佐保を自らの部屋に連れる程には。
英嗣は毎回一定の時間が過ぎると佐保にコーヒーを届ける事で、時間を告げる。
「じゃあ、いってきます」
「うん」
卓也は二階へ昇っていった。
*****
「卓也君」とその日閉店してから英嗣が呼び止めた。
「はい」、と、卓也は返事をして、片付けていたカップの山を終えて振り向いた。
「さっきの見たいんだろう?」
「え?」
「父親が買った絵」
「はい、いいんですか?」
「うん」
英嗣は運ばれた部屋へ卓也を連れた。
「これ」
と英嗣が一つの箱を開いた。
「うわっ・・・なんですか、これ」
キャンバスに描かれた絵は、卓也には理解しがたい、線を組み合わせただけで出来た絵だった。
「誰のだろうね、箱に書いてあるかな」
さかさまにしても何も書いていない。
「父に聞いておこう。きちんと書いておかないと、何か分からなくなる」
英嗣は紙に、「絵の詳細・父」とメモをした。
「卓也君、これはね、特に意味の無い絵、なんだよ」
「え?」
卓也は意外な答え、というか、英嗣の少し失礼な物言いを聞いて珍しいな、と、感じた。
「意味がない絵なんてありますか?」
「少なくともオレにも、卓也君にも、意味はないだろ?」
「ま、まあ・・・綺麗だ、とは、思いますが。でも、どんな絵も、誰にとっても、意味はないというか、あるというか・・・」
「買う?」
「・・・すみません、正直オレにはこれの良さがわかりません。いくらで買われたのかも分かりませんが。先生が買われたのであれば何か意味があっての事なんですよね?」
「あると言えばあるし、無いと言えばない」
「どういう、意味ですか?」
「これはね、『画家 森彪(もりたけし)が買った』、という、箔を付けるための絵」
「え?意味が分からないです」
「絵なんてどれでもいい、とまではいかないけど、森が買ったなら、この画家はきっと「いい腕前に違いない」と周囲が思う。買われた相手も誇りに思って、さらに良い絵を仕上げてくる。次も森に褒めて欲しい、買って欲しいからね。そのうち森は買う必要はなくなる。ファンがついてファンが買うから」
「え・・・」
「オレも最初、理解できないと思ったし、今でもあまり理解したいとは思わない」
「・・・オレの絵も、いつかそういう感じの事も・・・」
「勿論、ある、かもしれないし、本当に好きで買ってくれたかもしれない。若しくは、君に将来を感じて投資の一環で誰かが買うのかもしれない。理由は毎度聞かなければ分からないけれど」
「そういうもの、なんですね」
「森はね、名が売れる前に、やはり、山岡に何度も絵を買ってもらってるんだ」
「え、あの、山岡一朗太先生、ですか?」
「うん」
「そうして、名前が売れた。あの山岡が買うなら、間違いないという箔が付いた。そして、森は山岡の期待を裏切れないからもっと修練したし、もっと良くなった。山岡先生が森の絵をどうしたかは分からないよ。飾ってくれたか、あげたか、やはり、倉庫に入れたか。だから、意味があるし、意味がない絵。でも、育てるため、相手を生活させるには、買う事で応援しているっていう意味もあるけどね」
「そうですね、もしオレが山岡先生に買ってもらったなんて思ったら、鳥肌が立ちますし、やる気出ます」
「そうだね。だから、名が売れて自分の絵が売れるようになったら、今度は、新たに才能を残したい画家の絵を買うようになる。この世界に育ててもらった恩とお金はそこで還す。だから、理解はできないけど、循環としては必要な事だね。人によってはそうした奉仕を喜んでする画家もいるし、自分の名前を売るためにする人もいるし、才能を残す事に徹している画家もいるよ。ちなみに、山岡先生と祖父は長年の友人。そう聞いたら、どう思う?」
英嗣は小さな笑みを浮かべた。
卓也は何も答えなかった。
「オレ、英嗣さんに買ってもらえるように頑張ります」
「・・・オレ?」
「ええ」
「オレは、森にも、森ジュニアにもなれないよ。兄にその辺は全て任せているし。オレはこの店と時々絵を描くので十分」
「いつか、自発的に英嗣さんが、オレの絵が手元に欲しい、この場に飾っておこうと思ってくれる日が来たなら。オレは天にも舞うような気持ちになると思うんですよ」
「そうかな?じゃあ描いてくれない?買うから」
「え」
「このお店の風景を描いてほしいな。飾るか、ホームページや印刷物に使わせてくれないかな。描いてもらえるならやっぱりこの店を知っている人の方がいいと思う。買って欲しい絵も楽しみにしておくけれど」
「やります!この店がとても好きなのでやりたいです」
「本当に?どうもありがとう」
「英嗣さんが描かなくていいんですか?」
「うん。こういうのって当事者より他人の方が良く見ていると思う。それにオレに買って欲しいなら、森のような方法ではなくて、きちんとお仕事をお願いする方がいいかと思って・・・」
「じゃあ、英嗣さんも佐保さんも風景にいれていいですか?」
「うん。どう描くかは任せるよ」
「印刷物に使うのであれば、アナログよりデータの方が良いかなあ。パッドで描こうかなあ」
既に試案に入った卓也は目を天井に彷徨わせて、どう作るかブツブツ口にした。芸術家は一つ明確な目標が出来てしまうとあっという間に新たな別の世界に思考が飛んでいってしまう。
「任せる。納期はいつでもいいから無理しないで。あと、どれくらいで売りたいかの予算感だけ先にくれたら嬉しい。その方がボリューム頼みやすいから。それは、うちだからオレだから安いとかサービスとかしないで。他の店から頼まれたら出す同じだけの金額を提示してくれる?」
「ありがとう、ございます・・・。勿論。本当は幾らでも良いんです。この店に置いておいて貰えるなら、お金なんていらないんです。でも、初めて買ってもらうのは英嗣さんにお願いしたいので!幾らでも良いのですけど。でも、言葉に甘えて、頑張ります」
卓也は非常に生き生きとして、今までにない程嬉しそうに言った。英嗣の為に、この店の為に自分の力が役に立つことを喜んでいた。
「ありがとうこの店を大事にしてくれて。卓也君がずっといてくれてよかった」
英嗣が卓也に微笑むと、卓也は照れて下を向いた。
英嗣がこんなに饒舌に自分に話をした日があっただろうか。それだけ信頼してくれたという事なのだろうか。一体どうしたというのだろう。もし自分が英嗣の中で必要な存在で、自らの事を話してもよいと考える程心を許されているのだとすれば、とても嬉しい事だと卓也は思った。それは恋でも愛でも友人でもない、ただの店を動かす人間とそれを助ける人間、ただそれだけの関係。だけれども、あまり自分の事を話さない英嗣に相談されるのも話を聞くのもとても嬉しい。
卓也は深い喜びを噛み締めて、とても嬉しそうにしている。
英嗣は変わらずいつも通りに微笑むだけだ。
英嗣が、ぽつり、と、言った。
「能力もあって、自らそれでいいと思える人はきっと世間からどんな評価を受けようとも描きたいからいつでもずっと描くと思うんだけど。でも、本当に能力があっても、自らに自信が無い人にとって、一応巨匠の位置にいる森に絵が買われるという事は、とても誇らしい事なのかもしれないね。能力はある程度周りから認められて客観的に評価されないと、どんなによい絵描きでも、生きている間に世に名前を残せないのかもしれない・・・。もしかしたら父は・・・森は、絵を買っているのではなくて、将来やセンスや才能そのものを買っているのかもしれないけれど・・・」
「だとしたら、絵は、才能のオマケなんですね。確かに手元にあってもなくてもいいのかももしれません・・・。見ているのは、絵ではなくて、人そのもので」
「今展覧会で巨大な市場を生むゴッホもムンクも、世界が素晴らしいと明るく応援していたなら・・・もっと明るい生涯を送れたんだろうか。難しい生涯は、時代や彼らの運命だったと思う?生涯をかけて作って死後も数百年も残された多くの芸術品は一体何だと思う?」
英嗣は卓也に聞いた。卓也は少し考え、間をおいて口を開いた。
「ごめんなさい。それは今すぐにはわかりません。ゴッホもムンクも・・・絵は見ても彼ら自身の生活の事まで考えたことが無かったし、作り出す事とは何かなんて考えたことが無いです。でも、作ったからには大事にして欲しいとつい思ってしまいますよね」
「沢山の芸術に触れようと思うと、まだ、どこかで心が痛む時があってね。描くことは好きだけど、心底好きな父や兄には勝てそうにないし、でも、オレが描いた絵が誰か・・・佐保や卓也君や、誰かの希望になるなら、描く意味もあるのかもしれない。そう思って続けているけれど、まだ、答えは出ないかな」
意味の無い絵たちがしまわれる姿を見ていた卓也が、ふと思ったことを英嗣に言った。
「英嗣さん、その、意味の無い絵、ここで週替わりで飾りませんか?すごい量あるじゃないですか」
「これ?」
「ええ。やっぱり、ここで、意味を持たせましょうよ。描いた人も喜ぶでしょうし、新鋭の画家で、どんなに少なくても、ファンの方も喜んで来ますよ。何を飾るかは事前にネット上でお知らせしておけばいいと思うんです。森先生セレクトの絵、となれば、森ファンも来るでしょうし。時々でも先生がいらっしゃるような日があって、改めてこれらの絵の中から先生が気に入ったものを飾って頂ける時があれば一番いいんですけど・・・何が良かったのか、お話しいただける時があったら一番いいですよね。描いた人も来てくれたりとかして。ゆくゆくは個展ができて、画家さんが来てくれて、新たな絵が売れたりしたらそれは嬉しいですし。このお店のどこかに、展示スペースとかイベントスペースが出来ればいいんですけど・・・・」
「・・・そうだね。オレたちにとって意味が無いものでも、ファンの子たちには宝物だね。この絵の置き場は場所狭いけど、全て片付ければ小規模な個展くらいならが出来ない事もないし・・・スペース作ってみようか?」
「そうですよ!意味が無いと言ったら悲しいです。この場は元々大家の先生方の作品が飾られた場でしたけど、新鋭の作家のギャラリーにもなったらと想像するととても誇らしいし、もし自分の絵が森先生に買われて、ここに飾られたらと思うと、例え短い期間でも、いい思い出になりますし。本当はずっと、飾っておいて欲しいですけど・・・」
「・・・ごめんね」
英嗣は珍しく申し訳なさそうにした。そして卓也に、「同じ芸術を志す者が、ただのガラクタ扱いをする姿を見て失望したかな。父親がする事でも、周りから見たら、オレがするのと同じだね」、と、自嘲気味に言った。
「いいえ。この絵が好きとか嫌いとかではなくて、そういう習慣を英嗣さんが好きではないのは理解します。しかも森先生がどんな思いでそれを買っているのか分からないからですよね?もし思い入れがあったならこんな所に置いておかないでしょうし」
「・・・それもあるけど・・・そういう、業界の旧態依然とした体質が好きじゃないのかもしれないね。本当に好きな人が買えばいいのに、と、いつも思っていた。互いに自分の名前を売るためだけではなくて、本当に欲しい人の元に行って、大事に飾ってもらえて、喜んでもらえて、自然発生的に人気がでる方が、作り出された物の幸せなのではないか、って。森の元に来ても飾られることもしないし価値も見いだされない。そんな風に絵を買うってなんて傲慢なんだろう、と。誰かが心底、命と時間とプライドを懸けて描いた絵なのにって。なんかね、嫌悪感しかしなかったんだよ。・・・オレが子供だったのかもしれないけど・・・。でも、森は元々あまり持ち物に執着しない性質もあって、祖父の趣味のこの店も、人には宝箱に見えるだろう?でもオレに任せてしまう程、全然興味が無いんだ。だから買った絵に興味を持たないのも仕方が無いのかもしれない。作る事が好きみたいで・・・。森に夢を見てくれていたかな、壊してごめんね」
英嗣はとても申し訳なさそうに言った。卓也は首を振った。森先生の気持ちを聞いていない。いつか聞ける日があるだろうか。
「英嗣さん・・・。だから、いつも描いた絵はこの店だけで売るんですね・・・。もっと大きな画廊に出したら、もっといい値段で売れて、もっといい箔がついて、もっと・・・って思っていたんです。それは森先生の息子さんだからという事ではなくて、一人の画家、一人の才能としてもっと世に知られるべきだと思っていました。でも英嗣さんにはその欲が全然無いように見えて・・・」
卓也は少し最後言葉を濁しながら俯いた。
「ありがとう・・・」
英嗣も卓也の気持ちは十分に理解した。
そして時計を見て、改めてその場を全て片付けた。
「遅くなってごめん、話しすぎたね。電車あるかな」
「いえ。大丈夫です。時間はどうにでもなります。それよりも英嗣さんの話をもっと、聞いてみたいです。何を思って英嗣さんが描いているのか。多分、オレとは全然違う視点があるんじゃないかと思っていて」
英嗣は再度、ありがとう、と、言ったきり、いつもの微笑みを浮かべただけで、それ以上を話さなかった。
卓也が電車を調べると終電までに間に合いそうだった。だから帰る支度をして、改めて英嗣に挨拶をして店を後にした。
少し歩いて、振り返った。鍵を閉める英嗣の横に、待っていた佐保が立っている。英嗣が紙袋か何かを佐保に渡して、佐保がそれを受け取る。英嗣は佐保の首のマフラーを直すようなしぐさをした。英嗣が鍵を閉めて、再び紙袋を英嗣が持つ。二人で自宅に向かって歩き出す。今日は大塚が来た。だからきっと、英嗣は佐保を自らの部屋に呼ぶのだろう、そんな事を邪推した。
二人が何かを話す姿を見て、卓也も踵を返した。
もし山岡に認められなくても、森は自らの能力だけで売れただろうか。山岡に買われなかったら、森は修練を怠ったのだろうか。箔とは何だろう。
自分への絶対的な自信とはどこから来るのだろう。
そうした大家から来るのだろうか、尊敬する英嗣などから来るのだろうか、それとも。そんな事を考えながら。
卓也は自らの能力についてずっと悩んできた。自信や誇り、「これが私です」と堂々と言える事と、傲慢さ、下手さ、稚拙さ、でも、下手なままで自分らしさと言い切る強さや、自信の違いが分からず、未だに手探りで、自分らしさを探している。
英嗣が買ってくれた時、それが店に飾られた時。
何か変わるのだろうか。
何が変わるのだろう。
どう思うのだろう。
その日を楽しみに、久しぶりに時間を忘れ倒れる程描きたい欲が出てきて、足早に駅に向かった。
*****
ハルは蓮に、この間の出来事、目の前でキョーコに手を出したことを改めて謝罪した。それから、以前に二人で一緒に仕事した映像をキョーコに渡す予定なんだと言った。
「あの子はあの日の意味を、全部分かっていたみたいだったよ。ハルは、わざわざオレの前でして、そしてオレが止めるだろうって分かっていた」
「うん、そうみたいだね、オレも聞いた」
「それに嫌がってはいなかったから。さすが」
「・・・蓮、本当にあの子の事になると性格変わるんじゃない。何その嫌味。それに、オレが好きになるのはいつも、蓮を好きなヤツばかりだった」
「・・・・」
「でも、今までは、蓮はその相手の子たちの事は何とも思っていなかったし、ましてやけん制する事なんて一度もなかった」
「そうかな」
「そうだよ。で、相手の子は全員ことごとく蓮に相手にされなかったとオレに言った。いつも、オレはその話を聞く係だと思ってた。でもあの子の事は、蓮が唯一感情を動かす姿を見て、あ、これは、とは思ったんだ。でも、あの子が蓮を選ばないなら、オレが欲しいと思ったけど」
「・・・・」
「何も、言わないんだな」
「あのね、オレを好きだと言った子に、付き合えないごめん、と、言うと、みんなその後ハルと付き合ったとハルから聞いていたから、オレは単にハルに声をかけるための通過点なんじゃないかと思っていたよ。あの子の事は・・・大事すぎて何も言えない。やっぱりあの子もハルの所へ行くかもしれないと思ったら、オレはどうしたらいいのかも分からない。あの子に、ハルを好きになるならどうぞと言ってある」
蓮は、首を振った。
いつも蓮を好きだと言った相手は、その後ハルの傍にいた。だから、今回も、そういう事があってもおかしくはないと思った。だから、キョーコがハルを選んでもおかしくない。
「そっか。オレは最初に言われるお前がうらやましかったけど・・・本当に欲しいものは、欲しいと言わないと盗まれちゃうよ?特にオレみたいなのに」
「・・・伝えてあるよ」
「へ?」
ハルは驚いた顔をして目を最大限に丸くした。
京子は蓮を好きなのではないのだろうか。読みが違ったのだろうか、と、思案している間に蓮は、大きく息を吐き出した。
「あの子には好きな相手がいると言っただろ」
「そうだけど」
「ハルは誰だか知っているの?」
「・・・勘違いかなあ?オレ、お前だと思ってた」
「オレ?どうして」
ハルは首を振って、ハルも大きく息を吐き出した。
「蓮、フラれたの?」
「いや、一応、首の皮一枚で繋がっている感じ。オレはもう半年答えを待つ予定だけど」
「ふうん?オレは即フラれたんだけどな。なんで蓮だとそうなるんだ。一応直の先輩だからかよ」
ハルは納得がいかない様子でブツブツ言った。
「待つ間にオレはあの子を手に入れたいと思っているから、ハル、ごめん、諦めて。ハルとケンカしたくない。オレはあの子の事だけを何年も好きなんだ」
蓮はさらりとハルに言った。
「最初からそう言えばいいんだよ。なんだよ、社長って」
「ごめんね。でも社長っていうのは嘘じゃないけど。オレは諦められない。他はいらない」
「なんだ、蓮て仕事が好きで恋愛するのが嫌いか、女が嫌いか、男が好きなんだと思ってたけど、普通なんだ。オレ全然お前の事分かってないみたい。というかお前のプライベートが謎すぎる。今度二人で旅行行こうぜ。お前があの子を好きならオレはお前に寝込み襲われずに済みそうだ」
「は?オレが、お前を?」
「オレは時々男からも口説かれるし容赦なくやられそうになるんだよ。蓮が「そう」なら困るな、と」
「あはは。残念、無いね。そっか、もてるんだね」
「男には」
「冗談だろう、女の子も沢山。素晴らしいじゃないか」
「ま、嫌われるよりはいいけど」
「そうだよ。オレ、卓也君に好かれる役をやったけど、ユウト君には、初めて好きだとは言われなかったな・・・」
「おいおいおい、ユウト君は彼女がいるだろ、有名な」
「オレも、時々男の子にも言われることがあるよ」
「そっか。その時蓮はどうするの?」
「同じだよ、ごめんね、付き合えない、と、伝える」
「そう、だね」
「なにハル、今、言われてるの」
「うん」
「ハルはいつも仕事にも恋愛にも忙しいね」
「オレは女の子が好きなんだよ、と、伝えているんだけど、全然引き下がらない」
「うん、君そっくりじゃないか、あの子にフラれても全然引かない。羨ましい位に前向きで」
「そうか、確かに。やっぱり蓮、今度旅行行こうぜ、海外とか。モデルの撮影の時呼んでよ。今は恋愛抜きに、友達と、気楽に海外行きたい」
「うん、いいよ。同じ部屋では寝ないけど、いい?」
「いいよ、オレは女の子が好きだし、お前と裸の付き合いをしたい訳でもダブルベッドで一緒に寝たい訳でもない。オレは気楽に旅行をして、蓮と友情を深めたいだけ」
ハルも蓮も、珍しく、声をあげて可笑しそうに笑った。
ひとしきり笑った所で、蓮は一応質問をした。
「でもハル、オレ、その男の子と将来仕事する可能性あるかな?なんか仕事と関係ない所で嫉妬されたり恨まれるのは嫌だな。男の嫉妬は面倒くさい」
「どうかなあ?じゃあ仕事入れるか絵でも描きに行こう。理由があれば良いだろ?」
「まあ。でもオレは嫌だよ。ハルとの旅行を撮られて、あらぬ事を噂されるの」
「あるかよ!」
「ないかな」
「オレとお前が熱く見つめ合って愛を囁き合う姿を見られるとか、手を繋いでいちゃついていたりキスでもしていたらあるかもしれないけど」
「それはないね」
「だろ?」
「うん。いらぬ心配だった」
「社長にお前との旅行の許可いる?」
ハルがそう言うと、蓮も笑い、「許可取っておくよ」と言った。
「とりあえず、旅行の前に、飲みに行こう」
「いいよ」
「今日はお前んち、あの子は描きに来ないの」
「うん、今はうちでは描いてないから」
「そうなんだ?どうしたの、やっぱりフラれたの?」
「いいや?」
「なんだその含みを持った笑い。うまくいったんなら教えてくれ、オレは次へ行くから」
「違うよ、今はあの子は別のドラマの撮影で違う場所へ行っているよ」
「そうなんだ」
「ねえ、オレとうまくいった位で諦めるなら、もう諦めてくれない?オレあの子を手にするまで諦めない気がするから。ハルのものになったらもっと諦められない」
「なんで?」
「分からないよ。みんないつも、オレの次にハルの所へ行くから。いつもは別に何とも思わないんだけど。今回だけは踏み台にされるのは嫌だよ・・・」
「踏み台じゃないんだよ、オレは蓮から零れてしまった女の子たちの気持ちの受け皿」
「・・・そうなの?」
「そうだよ。慰めるからその時は受け入れてもらえる。なんていうの、濡れ手で粟っていうのかな、漁夫の利っていうのかな」
「ええ?」
蓮は可笑しそうに少し笑った。
「でも残念ながらあの子がもしお前の事を好きなら、お前は断らないだろうから、たぶんオレの手には落ちてこない。でも、別に蓮の受け皿にならずに落とせるなら落とすけど」
ハルは笑ったけれど、蓮はじっとハルを見ていた。
何、と、ハルが聞いたけれども、少し間を置いた。
前々から少し聞きたかった事があった。
「あのさ、ハル。聞きたかったんだけど。言いたくなかったらいいよ。・・・笑子さんのこと」
「・・・何」
「あの時のせいなのかな、時々恋愛中毒気味のハルを見てられないと思う時がある」
「・・・友情を深めに早く飲みに行こうぜ。今日は女の子じゃなくアルコールと友情に寂しさを救ってもらう事にしよう」
「そうだね」
蓮は大体を察して、目を伏せて小さくくすりと笑った。
2019.08.10