その後改めて十五分の休憩になった。キョーコは目を軽く押さえながらスタジオを後にする。
蓮は今の様子を壁際で見ていて、困ったな、と、思った。
あの泣き零れるような訴える目で、自宅の中で、佐保のように何かを訴えられたら、さすがに自分の理性に負けそうかも、と。それが佐保だと分かっていても・・・。喉が渇く程の恋と言うが、渇くと言うより、渇きすぎて苦しくて自分の気持ちが飲み込めずに逆流して、さらに咳き込む位の恋だと蓮は思う。
まずいなあ、と、思いながら、ふぅ・・・、と、長い長い息を吐きだした蓮に、横に立っていたハルが聞いて反応した。
蓮とハルとは同じ年齢で、仕事でもよく一緒になるから名前で呼び合う程度には懇意の仲ではある。
「蓮?どうかしたの?疲れた?」
「いや?」
「台詞入ってないとか?」
「大丈夫だよ?」
「それは敦賀蓮にはありえないか」
「はは、いつでもそうでありたいね」
「でさ、あのさ、京子ちゃん、いいよね」
「ん?」
「エレも佐保も。勿論本人も」
「そう」
「やばい」
「何が?」
「今日にでも持って帰りたい」
蓮は無言を貫いた。
「オレ、京子ちゃんの顔、好き。佐保の着物の姿も着慣れていて綺麗で好きだし。上品なのも好き。本人の天然なギャップもやばい。勿論、さらにあの子の体のラインも好み。雑誌見ただろ?」
ハルは自分のキョーコが好きな点を詳細に蓮に聞かせて見せた。
自分や例え女性の誰かがモデルとして体のラインを仕事として出すのは何とも思わないのに、キョーコの体のラインの事をどこか性的な対象としての目で見られると、どうしてこんなにも腹立たしく思うのだろう。まるで佐保をヌードモデルにするのを嫌がる英嗣のようだ。
「・・・そういう目でしか見ないの」
「どの顔がいい子ぶって言ってるの。そういう目以外の何で見るのさ、蓮ちゃん。男だろ?」
蓮は、少し長めの息を吐きだした。
「オレはモデルもやるからああいう媒体をそういう目では見ないよ。同じ雑誌のみんなは同志だから。でもウチの子の活躍を褒めてくれてありがとう」
「そっか、お前もあの雑誌載ってたよね、あの子の方ばっか見ちゃったけど。でも、あれ?事務所同じなんだっけ?」
「うん」
「いいなあ~。いつでも事務所で会えるし連れ出せるんだ!俺の役も、佐保を連れ出したい、描きたい、恋愛したいという欲望だけで、カフェに通うんだろ。それでかえって絵、描く事にはまってさ。佐保追いかけて芸大に行くんだ」
「そんなお客は不要。客じゃない。来るな。絶対に佐保の前に座らせるな。大学でも会うな。この世から消えてしまえばいい。英嗣はそう思っているよ、原作によれば」
「冷たいよなあ。恋ぐらい人は自由なんだぜ。英嗣の方が絶対オレの役のヤツより病んでいるとオレは思うもん」
「究極的に独占欲を募らせているけど、病んでいる訳じゃない。守らなければならないという家族としての必死さと恋愛としての愛情と独占欲が多分君の役の「一目ぼれ」とは違うだけ」
「それを病んでいるとは言わないの?」
「お前の役も、人の事言えない程おかしいだろう。学校では佐保のストーカーだし。でも、撮影が終わる頃には、やっぱりいいや、って言うと思うよ」
「なんでそんな気持ちになるの?」
「申し訳ないけど、英嗣は視線だけで君を怖がらせて、絵だけで黙らせる。あんまり自分の才能と絵に執着が無い英嗣が初めて自分の絵を武器にするだろう。でも、武器にしてしまったからこそ、その自分の傲慢さにあきれ果ててものすごく後悔と反省をして改めて一から勉強を始めるんだけど・・・。だから、本当に全体から見たら君の存在は英嗣にとって全てが悪いものでもないんだけど。目覚めるための大事な存在だから・・・。でも佐保が絡むと英嗣はダメなんだ。真っ当な選択ができなくなる。でも英嗣の本気にほだされて君は奔放さと自由さと絵の才能を、もっと芸術への真っ当な道に向ける事になる、んだったよね?」
「・・・そうだけどさ。オレ、楽しみだなあ、蓮の超怖い顔。見たことないし」
おかしそうに笑ったハルに蓮が、「期待しておいてね」、と言うと、「冗談、冗談」、と手を振って言った。
「佐保は置いておくとして、オレはあの子が欲しい。誰かのお手付きになる前に。もう京子ちゃんには伝えてあるから」
「・・・・・」
蓮もハルの噂はよく聞いた。
手が早い。飽きが早い。でも毎回全く悪気が無いし、顔もいいし、卒もない。そう知られていても異常にモテる。全く不自由もしなければ、望むだけ恋愛を重ねている、と。
社長の言っていた、キョーコを口説いている、顔が良くて何とかとかいう俳優とはハルの事なのだろうか?と蓮は思った。
「・・・・あのさ」
「ん?」
「残念だけど、ウチの秘蔵っ子に手を出さないでくれると嬉しいんだけどな。今が一番大事な時だから」
「それって、LME案件ってこと?」
「ハルが無理強いするなら、だけどね」
「それは嫌だなあ・・・あの社長に睨まれたら俺仕事なくなっちゃう。俺あの社長、すげえ怖い。昔まだ駆け出しだった時、たまたま現場に見に来ていて挨拶させてもらったんだけど、気さくなのに、目の奥は鋭くて、一瞬何かの怖さを感じたんだよね・・・。必死で仕事したけど俺の子供だましの演技なんて多分全て一瞬で見抜かれたと思ったもん。あれ?あの時確か蓮も一緒だったよね?」
「そうだったっけ?ごめん、あちこちで一緒だから今すぐにどの仕事か思い出せないけど・・・。でも、あの人、君が思う程そんな怖い事はないんだよ?すごく面倒見のいい人だから。もしかしたら君の事すごく気に入って、引き抜きたいとでも思ったんじゃない?だから本気で見つめていたんじゃないかな。そうでもなければわざわざそんな顔を見せる理由が無い。単に、どうも、と、言えばいいだけだろう?よかったね、見染められたんだ」
「え~でもあの目、マジで怖かったんだけど。だからあの後から、あの目がまたいつ見に来てもいいようにと思ってさ。自分に自信が無くて、まだまだ自分でも足りないって思っているって事だし。だからもっと自信が持てるように本気でやり始めたんだけど」
「へえ。それは伝えておくね。喜ぶよきっと。引き抜きが来るかもしれない覚悟しておけば?あの子ともオレとも同じ事務所になるね」
ハルも蓮も小さく笑った。
「でも。仕事と彼女を天秤にかけて仕事の方が重いなら、やめておいた方がいいと思うよ。特に社長のお気に入りだから」
「そうなの?」
「あの子のためだけに、所属の部がある位には」
「そうなんだ?俳優部門じゃないの?モデルもさっき見たけど、モデルが専業の子でもないしな?タレント?」
「タレントセクションだけど究極的にはどの形にも所属してない。あらゆる社内の制限の垣根を取り払われた部署。所属部門名こそ社長が付けた聞いた事がない名前だけどね」
「ふぅん?」
「万が一あの子が君との恋愛でうまくいかずに社長が思い描いている彼女のストーリーが潰されたら、君はちょっとこの世界だと、生きるのが難しくなる、かもね」
「それは嫌かな。怖くて手が出せない」
「そうだといいけど」
先日社が言ったような言葉をそのまま伝えると、随分身を守るのに役に立つものだ、と、思う。
ハルは声を落として、蓮に聞いた。
「あのさ、ごめん。あの社長とあの子が特別な関係っていうのは、あの社長、実は言いにくい趣味の持ち主なの?それとも、あんまり信じられないけど、実はあの子の夜の営業活動とかの結果なの?」
彼の言葉にはいつも悪気はない。
ただ蓮の伝えた言葉に少しの疑問を思った。
それだけなのだろう。
普段は軽く笑ってバカな話だと受け流せるような下世話な男同士の話でも、蓮にとっての大事な人だけは、別だ。
蓮は、一つ息を吐いて、瞬間的に沸き上がった怒りを受け流した。
「残念だけど、君が言うような意味ではないよ。事務所の中でも、最も大事な宝石の一つとして磨いている所、という意味。でも、さすがにそれは聞き流せない話だから、もし今君が言ったような噂が裏で流れたのを聞いたら、オレは出所を上に上げると思うよ」
蓮にとっては、チラリ、と、視線を流しただけの事だったけれど、ハルにとっては、それだけで一瞬の何かの違和感を蓮に覚えたようだった。
「・・・なるほど英嗣の怖い視線っていうのは、それか。確かにそれはいやだなあ。あの社長と同じでなんか目の奥が怖いんだけど。お前優しい顔をして実は結構・・・まあいいや。これからもオレはこの世界で仕事したいし、蓮ちゃんとも仲良くしたいもん。分かったよ、オレは恋ではなく仕事に生きる男デス。そうだ、佐保ちゃんは英嗣のものだったっけね。取ろうとすると全て邪魔されんだっけ。といっても、あの子にはもう伝えてあるから、これからどうなるかは見守っててくれない?」
ハルは両手を上げて降参のポーズを取って、タバコを吸うポーズを取った。そして、一服してくるよ、と言いながら蓮の横を去った。
これからキョーコの周りには山ほどハルのような男がまとわりつく事になるのだろう。社長が言うには、もうすでにいくつかの「案件」が来ているらしい。顔が良く、年上で、仕事もできて、優しく、誰もがついて行ってしまうような相手。一体誰だと言うのだろう。キョーコは当然蓮にはそんな話などひとつもしない。
蓮は、再度大きく息を吐きだした。
横で静かにずっと話を聞いていた社が、静かに怒りを募らせて、蓮が聞こえるだけの小声で蓮に言った。
「蓮、えらかったね」
「そうですかね?結構適当な事を言いましたよ」
「オレですら嫌だったもん。社長やキョーコちゃんが変な憶測されるのも、キョーコちゃんの体の事も」
「社さんの話を聞いていたおかげです」
「大事なものを守る役に立って何よりです」
社は蓮に手に持っていた水のボトルを渡した。
「蓮も気分転換したら。まだ彼との絡みまでの場面には時間がかかる。顔をいつもの英嗣レベルに戻さないと」
腹が立って、彼を横目で見る時に、いつの間にか自然に素の顔が表に出て来ていたのだろうか。
「ありがとうございます」
蓮は苦笑いでそれを受け取って、いつもの「敦賀蓮」の顔に強制的に戻した。
2019.4.5