Daydream31

31. ベルガマスク組曲 《月の光》

――蓮が半年ぶりに部屋に訪ねて来る少し前。

――イギリス、某音楽大学から。

「もしもし」

「・・・・・・・はい、最上です」

「キョーコ、オレだ。久しぶり」

「何で・・・・・・アンタが私に電話なんてしてくるのよ。今まで日本にいたとき一度だってした事が無いのに・・・・・。どういう風の吹き回し?まさか・・・ホームシックなんて言わないでしょうね?」

「オイオイオイ・・・折角かけてやってるのに・・・もう少しぐらい何か言いようが無いのか」

「言いようなんて無いわね」

キョーコの機嫌は、何故かいつも以上に悪かった。久しぶりに声なんか聞いてやろう、どうしているか、と思って電話したのが間違いだった。

「まったく・・・・せっかくCDデビューを褒めてやろうと思ったのに・・・」

「なんでアンタがもうCDなんて持ってるのよ・・・」

「先生が送ってくれた。お前のデビューアルバムだってな。初めてにしちゃ、いいんじゃねーか?オレの音じゃねーし。少しは成長したってことだろ」

「・・・・・む。何か素直に受け取れない言い草よね」

「つーか・・・このドラマの俳優、手が早い事で有名だけど・・・ま、お前の事だからへーきか」

「う、うるさいわねっ・・・・私だって無事に素人だと思って口説かれたわよ・・・」

「ふ・・・・芸能界は芸能人もだが・・・スタッフもウザイ男が多いから気をつけろよな。力じゃ絶対に勝てねぇからな」

「分かってる」

「それから・・・お前は学長が裏に付いているから大丈夫だと思ってはいるが・・・夜の付き合い次第で仕事振って来る・・・もっとウザイヤツもいるから。そうなったら学長の名前でも出してやれ・・・そういうヤツほど名前に弱いもんだ。裏取引しようもんなら潰されると分かればどうせビビッて引くから・・・。オレから学長と先生に今度言っといてやる。オレがこっちから出来る事と言えばそんなもんだけどな・・・」

「うん・・・」

「まぁ念のためだ。心配すんな。・・・・あぁ、そうだ。CD、こっちの先生も・・・聞いて褒めてたぜ」

元敦賀蓮の講師。異常な程の完ぺき主義の彼のレッスンは、今までと比べ物にならないほど厳しい。解釈一つで言い合いなど日常茶飯事。だが彼はそれを、作品を自分のものにして貰う為には必要不可欠なのだという。

まずは作品を作曲者が書いたとおりに限りなくまるで作曲者のように、普遍的に写生させられる。そこには一切解釈は要らない。

その後・・・彼の解釈と自分の主観や解釈を付けたし、削り取り、一つの作品として完成させる。それは何かの美術品を作るかのような作業なのだと・・・・。一つの作品を仕上げるのに一体どれだけ時間が掛かるか・・・敦賀蓮が外に出して貰えるようになるまでに数年掛かったその作業。それでもそのレールに騙されたと思って乗っていると、おのずと結果が出るからこそ、この講師を師と仰ぐ人間は多いのだろう。

「ま、身体、気をつけるんだな。それだけだから。また電話する」

「アンタも身体気をつけなさいよね・・・慣れない土地なんだし・・・」

「サンキュー。またな」

「あ・・・そうだ・・・・コレだけは言っておかなきゃ・・・・。部屋に置いてってくれたCD聞いたわ・・・・私は・・・大丈夫だから・・・・・心配しないで」

「・・・・お前、今そっちで・・・一人だろ?アイツは傍にいないんだろ?・・・ピアノ、弾きすぎてねーか?手と指・・・酷使すんな」

「・・・・・・ホトホト感の良さだけは腹が立つわ・・・・」

「無理して指を壊したら・・・オレに勝てねぇだろ?」

「そうね・・・。ご心配ありがとう。くれぐれも負けないように心配をしておいて!」

「はいはい、じゃーな。また電話する」

「うん。電話ありがと・・・。またね」

電話を切ると、こっちの「先生」が、横に立っていた。

「さっきのCDの子は・・・お前の幼馴染だったと言ったな?日本人の・・・キョーコという名前は・・・ポピュラーな名前なのか?」

「いや?別に。普通だろ?」

「ピアノとキョーコという単語しか聞き取れなかったんだ」

「昔の教え子か何か?」

「いや・・・レンが昔・・・・ああ・・・」

「レンが・・・昔、何だっていうだ」

「ふ・・・懐かしい話だ。昔、オレに言ったんだ。オレに師事についてすぐ、言い合いしまくってた頃・・・歳の割りにあまりに感情を動かさないヤツで・・・もっと感情の波を作ってやろうと・・・・煽りに煽ってやったんだがね。煽っても煽ってもアイツは冷静に答えるから、オレがブチギレついでに、「お前がピアノを続ける理由はなんだ?」と問いかけたら、「キョーコちゃんに会いたいから」だと。もちろん、「そんな理由なのか」、と呆れて言ってやったら、「どんな理由だったら満足するんですか?ピアノが好きだから、がいいですか?」と逆に問われたけどね・・・本当に歴代の教え子の中でも一番か二番目に・・・腹が立つぐらい煽り甲斐が無くて冷静なヤツだった。アイツは日本に帰ってその子に会えたんだろうか・・・・・・」

「ふーん・・・なるほどね・・・」

「まさかお前が弾く理由も・・・「キョーコが好きだから」とか言うんじゃないだろうな」

・・・・・・ムカツク。

「言わねぇよ・・・。オレは音楽が、好きなんだ。それからアイツは今・・・キョーコを手に入れたぜ。今度イギリスにも公演来るんだろ?久しぶりに会うなら・・・直接からかってやったらどうだ」

「なるほど・・・・・それでお前は尚更アイツが嫌いなのか・・・・。ピアノをやってる「キョーコちゃん」で・・・確か「ショーちゃん」と呼ばれている男と幼馴染で・・・とレンが言っていたな・・・・・・・・何やらどこかで聞いた名前だ。先程聞かせて貰ったキョーコのピアノの音は中々にいい。そこまで皆が会いたい人間なら・・・オレも一度会いたいものだ」

「アンタ前々から言おうと思っていたが・・・本当に腹立つな」

「褒めてくれてありがとう。人の神経逆なでするのが仕事だ。正しい言葉を使うなら・・・・感情を豊かにさせる、と言うべきか?感情の抑圧は音楽家には無用だ。世間に変わり者だと言われるぐらいでいい。これで感情と共に音の幅を増やしてやれる。幸いにしてお前・・・日本で芸能人やってきたなら分かるだろ?勝たねば上がれない世界だ。お前がキョーコを好きなら、好きだと言えばいい。隠す必要などどこにも無い。むしろ、好きだ、恋しいとでも思っていれば、もっと感情豊かに弾ける」

「ふん・・・・・どうでもいいが・・・・さっきの解釈、オレは納得がいかねぇ。もう一度弾いてくれ。覚えるから」

「いいだろう・・・キョーコに電話して・・・いい気分転換になったか?ようやく少しはやる気になったようだな。また迷ったら・・・キョーコに電話するんだな。電話ぐらいすぐに目の前に用意してやる」

「うるせぇよ・・・」

「ふふん・・・・今日はオレの勝ちだな」

本当に、ムカツク・・・・・・・・。

*****

――ぽー・・・・・・・ん・・・・・・

――ぽー・・・・・・・ん・・・・・・

「どうだ、蓮。いい音がするだろう?」

学長が満足そうにそう言う。

めったに変えない自分のピアノの音を変えたのは、レオを相当気に入った証拠だろう。

「レオ好み・・・の・・・音ですね」

「残って欲しいと口説いて振られたところだ。イタリアで・・・彼にしかできない仕事があるのだとね」

「そうですね・・・一年の約束、でしたから」

「だが、留学の先に指定する事は承諾してくれたぞ。彼は本当に音楽が好きなんだな。いい目をする男だ」

学長と夜中に会うのは、決まっていた。キョーコが眠ったのを見届けて、部屋を出た。煌々と煌く満月だけが部屋に差し込み、明かりという明かりは月の光以外、殆ど無い。学長はそれを見ながら、一人自宅の部屋で飲んでいた。

学長は、まぁ座れ、と言い、自ら入れたグラスをよこした。無言で飲む。しばらくして、学長から先に口を開いた。

「もう、会ってきたんだろ?」

「えぇ。もう、眠っています」

「あの子は・・・最近、今まで以上に練習し過ぎて・・・手を壊しそうだと・・・先生が困っていた。だから・・・中途半端に手を出すな、とあれほど言ったのに・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・本気に、なったのか?」

「・・・・・ええ」

「・・・なんだ・・・・・お前・・・・少し、雰囲気が変わったか」

「そうですか・・・・?」

「悪い方にじゃない。いい方に、だ。・・・ようやく・・・落ち着きたくなったか」

「いえ・・・。まだ落ち着こうとは思っていません・・・。しばらくは戻れそうに無い」

蓮は息を吐いて、学長を見据える。

視線に気付いた彼は、視線で、「なんだ?」と告げた。今も昔も、全く彼の感情は読み取れない。それでも、いつも大事にしてくれているのは分かっていた。だから、一言だけ、告げた。

「伝えておかねばならないのでしょうが・・・・・あの子が、探していた子、です」

「・・・・・そうか」

「・・・・彼女も分かっています。・・・絶対に、そうだと口には、しませんが・・・」

「でも・・・まさかお前・・・・恋と愛を、過去記憶が思い出す・・・懐かしさと・・・・勘違いしていたりしないだろうな?それは愛情じゃない。母親を求めるような懐古だ」

「もちろん、懐古も・・・・あるでしょう・・・・。現に、今も昔も変わらない彼女の本当の優しさと素直さにオレは救われてる・・・。泣いている彼女を見る度に、オレが守ってあげたいと思ってしまいます・・・。庇護欲なのか、愛情なのか、懐古なのかは・・・分かりません。それでも・・・彼女を・・・・愛して、いるんです。単に恋しくて愛しい。一緒にいるだけで安らげる。抱きしめてあげたいし、何にも、誰にも、変えられない。彼女以外に、もう、抱きしめる相手は、いらない。それを世間が愛と呼ばないなら、それでも、いいんです。イギリスにいるオレの師匠がそう言っていた。自分の心が正しいと思うとおりに行動すればいい、と」

「ふ・・・。何もかも冷静になって自分の人生さえ客観視して・・・・割り切ってきたお前が・・・・言うようになったもんだ・・・。心の落ち着く場所をようやく見つけたのか」

「世界中飛び回っている今は・・・思い出したら・・・帰れる場所がある事だけで・・・・十分・・・恵まれています・・・・」

「そうだな・・・・・」

それ以上を、学長は何も言わなかった。

グラスの中身を飲み終えた頃、久しぶりに学長の前で弾いた。

春の柔らかく優しい月の光を愛でていた学長の為に・・・。

――ドビュッシー ベルガマスク組曲・・・月の光・・・

ロマンチストなレオが、蓮に月光と共によく弾かせたがった曲だ。

レオの調律したピアノは弾きやすく、弾き終わった後、学長は言った。

あの子を愛しているんだな、と。

感情的なものは何も挟まない曲のはずだった。

だから何故そういう感想になるのか分からなかった。 

――・・・・・オレまでまさか、レオのように・・・彼女のように・・・ロマンチストになったとでも言うのだろうか・・・。

「あの子が・・・傍にいてくれるなら・・・何も、要らないんです。名声も、いいピアノも、何もかも。オレは・・・身を落ち着ける事無く、世界を渡り歩く。だから、いつ、彼女に、割り切られるか分からない。それでも、いいんです。でも・・・初めて・・・信じたい、信じていて欲しい・・・と、思いました・・・」

「彼女に・・・お前の昔使っていたピアノをやっただろう?あの子は・・・アレにお前の名前をつけているらしいな・・・。アレの前に座っていると、お前が横でレッスンを聞いてくれているような気になるんだそうだ。横にいたら、こう言うだろう、とね。練習をやめないのも・・・・・手を壊しそうなぐらい、いつまでもピアノの前を離れないのも・・・理由は、分かるだろ・・・?」

「・・・・・・オレはまだ、何とか愛されています」

「ふ・・・・。気をつけて海外を回るんだな。待っている人間がいるなら尚更だ」

「ありがとうございます」

学長の元を後にして、タクシーを拾って部屋へ帰る。

自分の部屋の電気がついていた。レオが起きているのだと思って、蓮は久しぶりに話がてら飲みなおそうと入ると、中には、キョーコがいた。

「敦賀さん・・・・・」

「レン」

キョーコはふらふらと歩いて寄って来て、蓮の身体を強くぎゅう、と抱きしめた。

「ゆ、夢かと思いました。すごく幸せな夢を見て・・・起きてみたら隣に誰もいなくて・・・。こっちのお部屋の電気がついていたので、レオさんに聞きにきたところです。頂いたお土産は夢じゃないって・・・」

「ゴメン・・・よく眠っていたから。起こすのは忍びないと思ってね・・・。学長の所に行っていたんだ。今はレオと飲みなおそうと思って来たんだけど・・・起きるとは思わなかったから・・・」

「いえ・・・・夢じゃなければ、いいんです・・・」

「レン・・・キョーコと今すぐ結婚したらどうだ?」

「「え?」」

「そうしたら、何の心配も無いだろ?そんなに大事なら結婚して、どこにも誰の所にもいかないようにすればいいんだ」

「な、ななななななな」

キョーコは抱きしめていた蓮の身体に顔を埋めて、そんなアドバイスへの答えなど聞きたくないといったそぶりをした。

「全く・・・お前は・・・いつも単純明快でいいな」

「お前が複雑怪奇なんだろ」

「失礼な。さぁ、部屋に戻ろう、キョーコちゃん・・・」

「はい・・・・・・」

レオが何ごとかブツクサ後ろで言っているのが蓮の耳に入っていたが、無視した。

キョーコの部屋で、もう一度蓮がキョーコを抱きしめると、キョーコは言った。

「今日・・・敦賀さんが来て下さるちょっと前に・・・ショータローから電話があったんです」

「へぇ・・・何だって・・・?」

「CD聞いたって・・・先生が、ショータローに送ったみたいで・・・それだけだったんですけど・・・」

「そう」

「私も、DVDを見ていて・・・・敦賀さんにメールでもしてしまおうかと、何度も思いました。会いたい、声が聞きたい、抱きしめて欲しいって・・・・・・。だから・・・・・紙切れ一枚で、心だけでも縛り付けて貰えたなら、どれだけいいかと、思います。そんな事で、心の平和が保たれるなら・・・・・いつ、私は「もう要らない」って言われるか分からないから・・・・・」

「それはオレの台詞・・・」

「でも・・・結婚したから全てを手に入れられるなんて・・・おかしな話です・・・」

 キョーコが寂しそうな顔をするから蓮はキョーコを少し強く抱きしめた。

「・・・さっきあんなに愛し合ったのに・・・?・・・何を心配する・・・?」

「・・・もちろん・・・敦賀さんが誰と結婚しようと・・・海外で敦賀さんがどうしていたっていいんです・・・例え割り切って他の女の人とどうすごしていようと・・・時々ここへ戻ってきてくれるなら・・・・」

「キョーコちゃん・・・・」

ゆるゆるとゆっくり唇を貪り合い、また、互いの心を確かめ合う。

夜は、永遠ではない。

永遠ではないから・・・・大事で愛おしい。

抱きしめて、見つめると、ぽろぽろ、とキョーコの頬に綺麗な涙が流れ落ちる。

蓮がどうしたの、と問うと、キョーコは首を振る。

また、蓮の心の奥底がキリキリと苦しく締め付けられる。

――これが愛じゃなくてなんだと言う・・・・

「夢じゃなくて、良かった・・・」

「結婚したい。ずっと一緒にいたい」

「え・・・・・・・・?」

「レオに言われたからじゃないよ。君にとって・・・とてもイヤな台詞だろう?いつか結婚しよう、は・・・。紙一枚で君を永遠に得られるなら・・・オレは紙にサインして置いていく。もう家族になってしまいたいのは、本当だよ。・・・でもきっと君は今、一瞬心のどこかが困っただろう?まだ君がやりたい事を終えていないんだろう・・・?いつか君が出したくなったら出してくれればいい。破りたくなったら破ればいい。オレは・・・君以外なんて、必要ない」

キョーコは無言で再び蓮の身体をぎゅうとだきしめて、蓮に合わせようとした目から、ぽろぽろぽろ・・・ととめどなく溢れる涙を流す。

それはとても綺麗で、今この一瞬を、永遠に切り取って残せたら、どんなにいいだろうと思った。

たった紙一枚の『約束』。

まだ大学を出ない彼女にとって遠い未来の言葉なのかもしれない。

現実的に・・・愛を具体的な形にすると最終的に紙一枚になるだけで、キョーコと家族になって魂までも永遠に繋がって包んで護ってあげたい、ただ、それだけの事だった。

やはりこれが、ただキョーコを自分の手に独占したいだけのわがままで、愛と呼ばないとしても、それはそれで良いと、蓮は思った。




2007.06.17