Daydream2019 -ピアノの日に寄せて-




キョーコは数曲弾き終えて、ふう、と、息を吐きだした。
気づくと三時間が過ぎていた。

何か飲もうと思って立ち上がり、部屋を出ようと振り返ると、一人の長身。

キョーコは驚いて、わ、と、声が出た。

いつも急に帰ってくる恋人 。
キョーコはすぐに蓮のそばまで寄った。

「おかえりなさい」と、少しだけ恥ずかしそうに、そして、嬉しそうにはにかむ。音に没頭しすぎて、蓮が部屋に入ってきた事に全く気付いていなかった。いつ入ってきたのだろう。

「元気にしてた?」と、久しぶりにキョーコの元へ立ち寄った蓮が言った。

キョーコが緊張と嬉しさで声が出ず、ただ頷くと、「いい音だったね」と蓮が言った。

「ありがとうございます」とキョーコが少しかすれた声で言った。

蓮はキョーコの緊張を解こうと、数度髪を撫でた。

「最後一か所音が抜けてしまいましたけど」

「うん」

蓮も当然分かっていたらしい。

ぺろり、と、キョーコは舌を出した。

「あとで久しぶりに音と楽譜を見てくださいませんか」

「もちろん」

「でも、喉が渇いてしまったので、まずは何か飲みましょう」

「うん」

キョーコは湯を沸かしながら、しばらくの間の蓮の海外での話を聞いた。

カモミールベースのブレンドハーブティを入れて、テーブルの上に置いた。

キョーコの隣に座る蓮は、ありがとう、と、言った。

「ノンカフェインなので今の時間に飲んでも大丈夫です」

蓮はカップを口元に寄せた。甘い香り。
コーヒーや酒とは異なる、穏やかで甘みのある味。

「これを飲むと・・・敦賀さんの弾く、愛の夢三番を、思い出します」

「そう?」

蓮は面白そうに返事をした。

「甘くて、優しくて、誰の気持ちも穏やかにしてしまうような音です」

「そうかな。そうだといいけど」

蓮はとても穏やかな気持ちで、キョーコの目を見つめた。

キョーコは蓮に正面から無言で見つめられて、少しどきりとした。

まるで、目だけで蓮の世界に誘われるようだった。

蓮はキョーコの甘い味のする唇に、同じ味で触れた。
数カ月ぶりの、蓮の唇はカモミールよりは甘くて、そして、少しミントの味がした。
ミント味、と、キョーコが笑うと、

「さっきまでミントのタブレットを食べてた」

蓮はバッグから緑色のシールのついた白いケースを取り出して振った。シャカシャカと音がした。

「すっきりするし、喉が潤うらしいんだ。飛行機の中結構乾燥するからずっとなめてた」

「私もそれ、買います」

「今度はこの味で、どの曲を思い出す?」

「・・・曲は思い出しませんけど、敦賀さんを思い出すと思います」

キョーコは蓮が手の中に出したタブレットを一つ貰って口にした。

ハードミントの、すうすうした味。

「・・・ミント味の敦賀さんの曲・・・どんな音でしょうね?」

そういうキョーコの唇に蓮はもう一度触れた。

タブレットが口の中にあるから必死に唇を閉じるキョーコに、今度の蓮は全く穏やかではない様子になった。

蓮はキョーコの唇をこじ開け、激しさを増す蓮の舌先はキョーコの唇の内側に入り込み、そして蓮の唇を拒む原因のミントのタブレットを無理やり抜き出そうとした。

取られないように必死に抗うキョーコの舌先。ハードなミントの味。抜き出すとキョーコから可愛いらしい声が漏れて、蓮はキョーコの体を床に押し倒した。

「残念。オレの勝ち」

「・・・敦賀さんのこの味は、ハードなのに、甘くて、切なくて、恋をしたくなるから、ショパンのバラード四番、てことにしておきます」

「うん。じゃあ恋をしにいく?」

キョーコは慌てて首を振った。

「え、まずは、敦賀さんの音を聴きたいです。四番!!この間インターネット配信で四番見ました!!すごく良かったです。早く聴きたい・・・」

「その体勢で言われても・・・。オレはもう君の音を堪能したから、次は電話じゃない君の生の声の方がいっぱい聴きたい。ね?恋したく、なったんだろう?」

「いいえ、ミント味で非常にすっきりしましたから、なっていません」

「嘘ばっかり」

蓮はにっこり笑って、再度キョーコの唇を覆った。

強いミント味で少し感覚の麻痺した舌先。
蓮の情熱的な唇と同じ位キョーコも情熱的に蓮を求めた。
互いの唇は、甘くて、少し辛くて、そして、ハードで、優しい味がした。

そしてキョーコは蓮に腕を回した。

「ね?」

「うん」

「キョーコちゃん、好きだよ」

急に名前で呼ばれて、キョーコは脱力し、そして、降伏した。

何と返事をしてよいか分からなくて、キョーコは蓮を見つめた。

「名前で呼んで、キョーコちゃん」

「うん・・・愛してる、コーン・・・」

蓮はキョーコの髪に指を入れて数度撫でると、体を起こした。

カップの中のお茶を口にする。

「確かに、甘いね。舌がスースーするから余計に甘く感じる」

「これはラブという名のお茶なんです」

濃いピンク色のパッケージを指して言った。

「へえ・・・恋愛用?積極的だね」

「ち、違いますっ。本当に体に良いお茶で!!イギリスのお茶ですっ」

心を温めるためのお茶とキョーコは必死で説明した。蓮はおかしそうに笑って、そしてしばらくしてまた元通り穏やかにほほ笑んだ。

「ほかの男のために出さないで。きっと、好きになってしまうから」

「・・・はい」

蓮はキョーコの腕を引いて、またピアノ室に誘った。

キョーコが聴きたがった曲を弾いた。

甘くて、切なくて、苦しくて、引き裂かれそうな音。

十五分後、蓮の音にキョーコは、

「その音を、他の人に聞かせないでください、きっと、好きになってしまうから」

そう言った。

「そうだね・・・そうできたらいいね」

蓮はまた穏やかに笑った。
そして傍に立つキョーコを引き寄せ抱きしめた。

「大丈夫、二人だけしか知らない音も沢山あるよ」

そう言って蓮はピアノ椅子から立ち上がり、もう一度キョーコの手を引いて部屋を出た。

その音を引き出すために。

甘くて優しいキョーコの本当の声と音を、聴くために。










2019.07.06

ピアノの日と聞き久しぶりに・・・