Daydream17

17. Sweet Reverie《甘い夢》

穏やか過ぎるほど穏やかな一週間の最終日、蓮はソファで寛いでいたキョーコの横で、「今度帰ってきたあとは・・・長いよ・・・」とぽつり、と呟いた。キョーコが視線を蓮に合わせると、蓮は、ふっと笑って、その独り言を呟く事で、キョーコに何か言いたい様子だった。

「長いって・・・どれぐらいですか?」

「半年・・・長ければ一年、共演、全世界で巡ろうと・・・誘われてる。明日から・・・ヨーロッパへ行くけど・・・それが二ヶ月位。そこから帰ってきたら、かな。多分」

「日本には・・・殆んど居られないんですね・・・・」

「そうだね・・・だから・・・君のピアノをずっと見ていてあげたかったけど・・・しばらくの間、無理そうだよ。こうして一週間だけ戻ってきてあげる事はできるけどね・・・・一ヶ月居られる日があるかな・・・とにかく今は仕事を選り好みできる段階ではないから」

「はい・・・」

「大丈夫?一人で・・・」

「それはもちろんっ!だって・・・先生もいらっしゃるし・・・」

「くすくす・・・そうだね・・・・。だけど、たまには君の彼として「寂しい」の一言があってもいいと思わない?」

多分キョーコの頬は照れて赤かっただろう・・・。ちゅ、と音を立てて軽くキョーコの唇を吸った蓮は、さてと・・・・と言って、立ち上がった。

「用意しないとね」

「一週間、すごく・・・楽しかったです」

「・・・・ピアノ、楽しそうに弾く君を見ているのが・・・・楽しかったよ」

「はい・・・ピアノと楽譜・・・は私が見ておきます」

「おやおや、急に寂しくなった?」

「そんな事はっ・・・・。」

「君は泣き虫だからね・・・・。さて、じゃあおいで。会えない間の分纏めて愛してあげるから。寂しかったら泣いてもいいよ?用意はその後にしよう」

さらに赤くなったキョーコの腕をさっさと引っ張った蓮の手は、優しかった。

朝、気がつくと、蓮はもう居なかった。

そして、置手紙とこの家の鍵が置いてあった。

「また手紙書くよ」

短い手紙・・・・。

誰も居ない部屋と、蓮の香りとまだ少しだけ残るぬくもりに、やっぱり急に寂しくなって、少しだけ涙が、落ちた。

こんなに尚以外の人間に思い入れた事が無かったから、そのうち蓮無しでは生きていけなくなりそうで、自分で自分が怖くなった。

蓮が、一週間の間、たまに一人で外に出ることがあった。その時はキョーコも部屋に帰り、奏江に冷やかされ、また部屋を出た。

キョーコがたまたま学校裏の噴水に行き、帰ってきたその時。蓮は、その手前の公園・・・限りなく死角に近いところで、「キョーコちゃん」だと名乗った女の子と会っていた。この学校の子らしく、お嬢様という雰囲気が溢れ、整った目鼻立ちと、綺麗な面持ち。まっすぐの長い髪が風に揺れて、とても綺麗で美しい女の子だった。

並んでいると絵になるなあ・・・とキョーコは他人事のように観察したりした。

蓮が一体どんな反応をするのか・・・・卑怯ながら興味本位で、噴水の隠れた入り口から、出られなくなった。

蓮は、ベンチに腰掛けた。その子が横に腰掛けて、にこり、と笑うと、蓮も、見たことが無い極上の笑顔を見せた。

キラキラ後光が差しそうな・・・・終始笑顔。けれども、蓮の台詞は反してそんなに温かくは無かった。

「君が、「キョーコちゃん」なの?」

「はい」

「そう・・・・なぜそうだと言い切れる?」

「・・・・敦賀さん?」

「石は?」

「・・・・・・・疑っているんですか?」

「さあ・・・本当の「キョーコちゃん」なら、オレが世間に与えてない情報も全部知ってる。君でもう五人目なんだ・・・・」

蓮はキョーコが知らない間に、既に「キョーコちゃん」と名乗る人間に五人も会っていたらしい。

そして、どれも「違う」と蓮は判断したのだろう。

「なぜ・・・敦賀さんは、会った人たちを、違う、と言い切れるんですか?」

「え?」

逆に聞き返されて、蓮はさらに笑顔を強めた。

「言っただろ?本人にしか分からないオレの情報は沢山ある。覚えているかはまぁ・・・別だけどね・・・」

「覚えてない、と言った子たちだって・・・・本当の子かもしれない」

「そうだね。だけど、「違う」。その判断基準を君に話しても仕方ないだろう?さて、君は?」

「ふふ・・・はなから、私を「違う」と分かっていて・・・会いました?」

「・・・・・そんな事は、無いけどね」

「やっぱり。私は友人のためにそれを確かめに来ただけですから」

「友人?」

「あなたに「違う」といわれた子の一人です。泣いていたから」

――な、なぜ・・・・敦賀さんに「違う」と言われて・・・その子が泣くのかしら・・・???だって、キョーコちゃんは・・・・・

そういうと、蓮の後光の差しそうな笑顔は、ふ・・・と笑った後、いつもの穏やかな顔に戻った。

「友達思いだね」

「敦賀さんに泣かされたと聞いて、一体どんな対応されるのかと思って」

「あぁ・・・泣いた子、一人いたね」

「優しく抱きしめられたって・・・・慰めてくれたって言っていましたけど・・・」

それは、・・・・・・蓮だから・・・・と、キョーコはどこか胸の奥がどきりとしたと同時に、心の隅で、誰にでも優しいだろう蓮に、少しだけ嫉妬したのは確かだった。

「敦賀さん・・・そんな公開募集して・・・どうするんですか?」

「・・・会いたいだけだよ」

「じゃあ、私だっていいじゃないですか。会って、敦賀さんが「したい」と思っている事をすればいいのに・・・」

「そうだね、そんな自己満足で済むなら、いいね・・・」

「・・・・・?」

「君が、キョーコちゃんだったら、良かったね」

「そこまでして会いたい理由は何なんですか・・・?私に言っても仕方ないのでしょうけど・・・」

「あの子が居なかったら、オレは、存在しなかったから」

「・・・・まるで、思い出に恋をしているみたい」

「くすくす、そうかも、そうかもね・・・言うとおりだよ」

その子と、蓮の会話は、いつの間にかすごく自然で、初めて会ったはずなのに、蓮からキョーコがずっと聞きたくて聞けなかった事をすんなり聞き出していた。それが、とても、羨ましかった。

「じゃあ・・・」

と言って、立ち上がろうとした蓮に、その子は、身体で押さえ込むようにしてきゅうっと首に抱きつき、そして、れん・・・と耳元で囁き、そのまま唇に口付けた。

「な、何?」

「キョーコちゃんの真似。コーンって呼んだほうが良かったですか?」

「ふ・・・」

キョーコは、どきり、と心臓がおかしな動きをした。蓮は、怒らなかった。ただ静かに微笑んで、そういうのは、好きな男にだけすることだよ・・・といつものように、穏やかに牽制した。

「好きです」

「え・・・・?」

「最初は・・・あなたに泣かされたと言ったあの子が・・・本当にあなたに恋をしてた。泣いたあの子を慰めようと、あなたの事すごい調べて・・・CDを聞き漁って、映像を見漁った。いつの間にか、私があなたを好きになってた。だから、余計に会ってみたくなった」

「ふ・・・ストレートだね、聴いてくれてありがとう。好きになってもらえて嬉しい。だけど・・・」

「・・・・だけど・・・・「違う」んですね・・・?それはそうですよね、会ってすぐですし」

「オレにもね、大事にしたい子がね、いてね」

「最上キョーコ・・・・ですか?あの子・・・敦賀蓮が嫌いで有名でしたけど・・・アレは嘘だったのかしら?そういえばあの子も「キョーコちゃん」ですね。そうだと名乗ったんですか?不破尚と噂みたいですけど・・・あなたとも付き合ってると噂ですね」

「いや?名乗ってないよ。だけどね、あの子の音に、オレが惚れてるだけ」

「音が好きなんですか?それともあの子の両方?」

「ふ・・・両方、だよ」

「・・・・・・・。「キョーコちゃん」は?」

「それはそれ、これはこれ。どっちも大事なんだ・・・・」

「じゃあ、「キョーコちゃん」が本当に出てきた時、あなたは・・・一体どうするんです・・・」

「・・・・・ふ・・・・。大丈夫だよ。それはそれ、これはこれ」

「そんなの・・・って・・・・」

「世間に言いたければどうぞ。オレはあの子を大事にしているし、あの子がオレの音に惚れてくれている間は・・・愛し合っていると思うけど・・・。不破は関係ないよ。隠したって仕方ないし、賢いだろう君が言う事も無いと思うけど」

「フラれた腹いせに・・・するかもしれないのに?」

「ふ・・・どうぞ。オレは何も隠そうとは思わない。噂なんてその内どこかから漏れるだろ。別に悪い事をしている訳じゃない。ただ愛し合っているだけだよ」

「・・・・フラれたのに、私は涙も出ない。ふふ。やっぱり友人の代理、だったかな。私、チェロ課なんです。泣いた友人も。いつか、共演出来るところまで私も上り詰めて・・・音楽で敦賀さんに「惚れた」と言わせて見せますから・・・・」

「うん、待ってる。名前は?」

「手紙の名前も覚えずに来たんですか?本当に最初から「違う」って思って会ってませんでした?尾上響子、音が「響く子」ですよ。今度会うときに忘れていたら承知しません」

「確かに、キョーコちゃん、だね」

「そうですよ、それは嘘じゃありません・・・じゃあ」

そう言ったその子は、置き土産のように、もう一度蓮の唇にちゅ、と口付けて、今日勇気を出して頑張った思い出に、と付け加えて悪戯っ子のような爽やかな笑顔で去っていった。

泣いていたのはキョーコだった。

心も、身体も、全身で動けずに、静かに泣いていた。

蓮が、彼女に伝えた言葉が嬉しくて、そして、あの子が蓮に口付けるたびに、嫉妬をしている自分がいた。

いつの間にこんなに独占欲が強くなったのだろう、少し前まであんなに自分は彼が嫌いだったのに、と。

「さて・・・そこに隠れているお嬢さん。出ておいで」

――・・・・・・・居たの、知ってたの・・・・?

「キョーコちゃん・・・・おいで」

「・・・・・・・・」

「泣いてるんだろ?」

「・・・・・・・・」

「仕方ない・・・オレがそっちに行くか・・・・」

がさがさ、と入り口を掻き分けてきた蓮は、キョーコを見つけると、「泣き虫め・・・」と苦笑いで言って屈むとすぐに、座り込むキョーコを腕の中に入れて抱きしめた。

「何故泣くかな・・・」

「・・・・・・・・・」

「オレは君を大事にしてると言っただけだろう?」

「だって、だって・・・」

「君が噴水に向かったのは見えていたんだ。使おうと思っていたのに・・・。仕方なくあの場所になってしまった」

「・・・・・本当のキョーコちゃんが・・・出てきても来なくても・・・その子が私よりもずっと可愛くて、ずっと音が綺麗で旨くて、敦賀さんの心を捉えたら・・・・振って下さいね」

「はは・・・。君の音に惚れているのは事実だけどね。君を・・・大事にしているのも事実だよ」

「敦賀さんのばか・・・・。あんなに可愛い子に告白されて断るなんて・・・・。キスなんて・・・キスされてる敦賀さんを見て・・・気持ち、ぐちゃぐちゃ・・・」

「くすくすくす・・・・オレは愛されてるのかな?可愛いね。でも・・覗き見をした君が悪い」

「キスされるのがいけないんですっ・・・・。他の子にもし敦賀さんからしたらまた泣くからっ・・・。」

ずず・・とキョーコが鼻をすすり上げると、蓮は笑った。

「確かに君に泣かれるのが一番堪えるな・・・。鼻水拭きなよ・・・くすくす・・・」

「ばか・・・。敦賀さんのばか・・・・」

よしよし、と言いながら頭を撫でて、蓮は「ところで何で泣いているのかな?」と言った。

「む~~~~~~もう本当に敦賀さんのばかっ」

「ホント、負けず嫌いだよね。素直に「好き」って言ってくれないと」

キスをしようとした蓮の唇をキョーコが止めたのは、当然。

「あの子にキスされた唇で触らないで下さい」

「くすくす・・・じゃあココで我慢しよう・・・」

首筋に口付けてぺろりと舐めた蓮は、「さて、部屋に帰るとするか・・・。」と言った。

「なんで・・・あの人を・・・・「違う」って・・・分かるんです?なんで・・・違うと分かっているのに、会ったんです・・・・?」

「何でかな・・・・。くすくす」

蓮は、彼女に話すように、キョーコの問いには自然に答えてくれないことがある。

キョーコ自身も、「キョーコちゃん」だと、どれ程蓮に言いたいだろう。

言いたいけれど、言えない。

言えない間は、こうして蓮は「キョーコちゃん」に会い続け、探し続ける。違う、と、どこで線引きをしているのかは分からないけれど、蓮が、いつか「間違って」本人だと言うかもしれない。

それはそれ、これはこれ。

それを傍で見続けるのは、すごく苦しい。探しているのを分かっていて、ウソが積み重なっていく・・・・。

「キョーコちゃん・・・」と、蓮はキョーコをまるでその探している「あの子」を呼ぶように、キョーコに優しく問いかける。

『思い出に恋をしているよう・・・』

その言葉に、キョーコの胸は、また苦しくなった。

「敦賀さん、お願いがあるんです」

「何?」

「あの・・・夜・・・呼んでくれる時・・・最上さん、が、いい・・・です」

「キョーコちゃん・・・はいや・・・?」

「・・・・・・・」

「ラブミー部の仕事みたい?それとも・・・昼間の事、気にしてる・・・?」

「・・・・・・」

「君を探しているキョーコちゃんの代わりにはしてないんだけどね・・・気になるなら・・・キョーコ、にしようか?」

「や、いいですっ、最上さんでっ・・・・」

「何を照れてるのかな・・・?君に惚れて、離せないのはオレの方だよ。君が・・・オレの音を好きでいてくれる間・・・は、オレのモノでいて欲しいけどね」

でも、と続けた蓮は苦笑いを浮かべた。

「愛してると・・・言ったところで、君は信じてないだろうしね。それに・・・っ・・・」

――あの子のように、敦賀さんの、唇を奪ったのは、私。

「遠距離だとは、思いたくない・・・音がすぐそばにあるから。今は、敦賀さんが好き・・・。好き、好き・・・」

「・・・・君は・・・・・」

目を見張った蓮の顔と、その日の互いの感情をぶつけ合うような恋が、忘れられない。

蓮が今までになく、掠れた声で「キョーコ」と・・・確かめるように何度も繰言のように口にした。

愛されていた。

――そして、私も多分、愛していた。

離れた一ヵ月後、蓮から手紙が届いた。

中にはコンサートのチケットと、飛行機のチケットが入っていた。

「夏休み、黒いドレス持って遊びにおいで」

たった一行の手紙に、また涙が、流れた。

そして、先生にそのことを伝えると、「敦賀君があの時一週間帰ってきたのはね、君のためだったんだよ」と言った。

「君が、きっと泣いてるって」

「え・・・?」

「僕に君は何も言わなかったけど・・・敦賀君は・・・どうしても帰るって言って、直接ヨーロッパ入りするはずだったのをやめて、立ち寄ったらしい。愛されているね。きっと一ヶ月でも二ヶ月でも着いていったら、色々と勉強になることはあるよ。敦賀君も仕事で行っているからね。学長には僕から良く言っておいてあげるから、敦賀君に勉強させてもらっておいで。その代わり僕にも色々と感想を教えてくれよ?」

「はい、お願いします。行ってきます」

――敦賀さんに次に会ったら、「ありがとう」って・・・・伝えなきゃ・・・

――肝心な事は何も言わない敦賀さん。

 音はいつも、一度響いて、消えてしまう。

蓮の愛情が、まるで降る音のように、さっと触れて消えて、そっと心の奥底に重なっていく。

 蓮が言った言葉を思い出す。

「音楽も恋愛も同じ・・・テクニックはテクニックなんだ。心の赴くまま好きなように生きて恋愛をしてピアノを弾いたらいい。君は君の音だから、素晴らしいんだよ」

その夜、蓮の部屋で、蓮のピアノを、思うがまま弾いた。

楽しかった。

そして、理由の分からない涙が、すこし流れた。




2006.09.10