Daydream10

10. Aufforderung zum Tanz 《舞踏への勧誘》

二週間ぶりに会った土屋女史は、ずっとキョーコを心配していたと言った。キョーコは、彼女が渡した服の中から一つを選んで着て行った。それをとても喜んで「いつでもお店に来てね?」と最後に言った。

キョーコのピアノも気に入ったようで、「お店で掛けたいから今度蓮様と一緒にモデルをしてCDも作りましょう!」と言った。女史の夫であるキョーコの勤め先の店のオーナーは、まだ仕事が残っているからと言って残った。

二人は終始付き合いたての恋人のような親密な姿が印象的だった。

「キョーコちゃんお疲れさま。みんなと一緒にあまり飲めなかっただろ。コレは俺からのおごり」

「わ~。いただきます」

オーナーからグラスを受け取る。カウンター席の背の高い椅子に座る。足が疲れてぶらぶらさせてみた。

蓮はそこに座ってキョーコを待っていた。椅子がとても低く見えた。蓮は車を置いていくと言って、皆とお酒を口にした。キョーコに向かってお疲れさま、と言うと、キョーコと一緒に目の前のグラスを口に含んだ。

「ジャズ・・・いいね。君、そっちの方が向いているかもしれない」

「えぇぇぇ~~~・・・。どっちも向いているって言って欲しいです」

「オレは弾かないから。楽しめたよ。今度弾いてみようかな」

「教えて差し上げましょうか?」

キョーコがにっこり笑って言うと、蓮はふっと意地悪そうに笑って、グラスをもう一度口に含み、視線を逸らした。

「いや。まぁ・・・君の音、なら聞きたいけど」

「・・・?私の音って何ですか?」

「その・・・ジャズも不破の音なんだろう?」

「彼はジャズ弾かないんです。先生も弾かれないので、完全に耳コピーと独学です」

「へぇ・・・」

蓮はじっとキョーコを見て、くすり、と笑った。

「敦賀君、相当キョーコちゃんを気に入っているんだねぇ」

「えぇ、『かなり気に入って』ますよ」

「む・・・・嬉しくないです。敦賀さんにとっては面白いオモチャが手に入っただけですから」

キョーコがそう言うとオーナーは声をあげて笑って、「そういえば君は敦賀君を嫌いだった」、と言った。

しばらくして、キョーコは蓮と一緒に店を後にした。

歩いて駅まで向かう途中、遅い時間、夜の繁華街は酔っ払いがひっきりなしにすれ違う。蓮が庇うようにして歩道側にキョーコを入れる。「こんな所いつも一人で歩いているの?」と、珍しく真面目な顔をして心配をした。「今度から自転車でも何でもいいから乗って一人で歩かないようにしないと」と言って、この明るい光の渦の中でも心配だと、優しく言った。

キョーコは、まさか自分を、他の普通の女の子のように心配される事を驚いた。そしてそれを少しだけ嬉しく思った。

蓮は、電車に乗るとおもむろに口を開いた。

「最上さん。あのさ、オレが会う人会う人皆口々に「最上キョーコは敦賀蓮が嫌い」だと・・・言うんだよね・・・。一体どんな事周りに吹聴していた訳?」

先ほどとはうって変わって、しらっとした顔をして上から見下ろされた。キョーコは窓の外に視線をそらした。

――せっかく内心褒めていたのに

「敦賀蓮は顔だけピアニストって・・・。ゴメンなさい。音も聞かないで毛嫌いしたのは謝ります。今度は「顔だけじゃない偉大なピアニスト」と言います」

「偉大は要らないけど。随分な言われようだよね。学校中がオレと君が一緒にいるのを不思議がる訳だ」

「もう・・・おかげで・・・」

「おかげで・・・何かされた?」

「・・・・・・・・」

ショータローだけじゃ飽き足りない訳?と、ショータローと同じぐらい「軽い女」だと今度は一部の「敦賀蓮ファン」に言われていると耳にした。キョーコにしたら、そんな事を言われても「仕事」で「お友達」をしているなどとは言えないし、それこそ教わる立場からすれば「遊んで」いるわけでもない。

「今日学校で「本物のキョーコちゃん」だと言ってきた子がいてね。今度会うんだよ」

――え・・・・?

「・・・良かったですね。もう見つかりそうなんですね。そうしたら、私のお仕事、もう解放してもらえますか?」

「そうだね。本物なら、ね」

「本当の「キョーコちゃん」が出てきて・・・もしそのキョーコちゃんがもう誰かと付き合っていたり・・・結婚していたりしたら、敦賀さんはどうするんですか?」

意地悪な質問だと、思った。本音を聞いてみたいと、思った。蓮は無表情でじっとキョーコを見下ろしていた。

「どうしてそんな事を、聞くの?」

「え・・・?どうしてって・・・。あ・・・入り込みすぎて・・・ゴメンなさい」

「そうじゃないけど・・・」

会話が途切れ、二人は視線を一点に移した。

揺れた車内をドアの壁で支えるようにして二人は立っていた。斜め向こう側では、お互いしか見えていない同年代と思われるカップルが優しく囁き合い支えあって立っていた。

――あんなの、ここでやらなくても・・・。

「羨ましい?」

「え?」

「・・・・不破とやってみたい?」

――ショータローと?なぜ?

「いえ?」

「・・・・そう?オレと君とじゃ背の差がありすぎてあれはできないかな・・・」

蓮はくすくす笑っていた。

恋人役を続けていったら、場合によっては蓮とあんな事もするのだろうか?こうして傍から見れば、どうかと思う事も、実際恋人になったらお互いしか目に入らないなどという事があるのだろうか?しかしショータローとアレをやりたいかと問われても、キョーコはうまく想像出来なかった。

「敦賀さん・・・話を逸らしましたね?」

「あぁ・・・さっきのこと?まぁね、もし「キョーコちゃん」に誰かいるなら別にオレはどうもしないよ。無理強いは主義じゃない。結婚している女の子に手を出すのも主義じゃないよ」

「好き、なんですよね?」

「そうだね、こうして会いたいと思うぐらいには」

「・・・・・・・」

キョーコは、もし自分が探している「キョーコ」だと分かったら、蓮は「そうなんだ」で終わりそうな気がした。

――私がキョーコだって、言ってもいいのかしら・・・・。

「でもね。その子がもし・・・フリーなら。どうするかな。無理やりにでもオレのものにするかもね・・・。十年以上「気に入って」いるんだから」

キョーコはただ黙って蓮を見つめ続けた。

心の中のさざ波を感じてはいたが何も言う事が出来なかった。

再度くすくす、と意味深げに笑った蓮は、とても機嫌が良さそうだった。そして

「君も気に入った一人だよ?」

と、それは勘違いしそうなほどにっこりと笑って言った。

「私と『恋人』を『本当に』したい訳じゃないでしょう?」

「いや、そんな事もないよ?オレは日本に来て、まだ君しか気に入ってない。・・・まぁ・・・学長にはね、君には手を出すな、と先に今日言われた。だから安心していい」

キョーコは照れてかぁっと一気に頬が熱くなったのが分かった。そんな風に直接的なこと言われたのなんて初めてだったし、蓮は女の人に慣れている人だ。

自分を少しでもそういう対象として見ていたのかと少し自惚れて錯覚しそうに思った。

本来の蓮は、「普通に出会いさえすれば」、恐らくどんな女性にも公平に優しいのだろう。

自分を一人の女性としての女の子の扱いをする相手が初めてだった。

言われて恥ずかしいと思いながら、心のどこかではそんな風に言われる事を嬉しく思っている事にも気づいていた。

「何言っているんですかっ。先生が生徒に手を出したらダメです」

「ふふ。そうだね。でも生徒が先生に手を出すのはありだよ?」

「は?私が、敦賀さんに?」

「まぁ・・・君とは一度一緒に仲良く寝た仲だからね?」

「もう!あれは子供の添い寝と同じでしょう!もう泣きません!」

「泣いてもいいけどね・・・君は会ってから泣かなかった日が無い。愛の夢、今夜このあとまた弾こうか?」

「ぬ・・・。弾けば泣くと思っていますね?あわっ・・・」

終電間際のターミナル駅につき、一気に人が流れ込んで入ってきた。押されたキョーコの身体は、勢いよく蓮にぶつかった。蓮はキョーコの身体を他の人からかばう様に抱え、一度後ろを振り返った。

蓮は、キョーコを腕で抱え込んで、「さっきのってこんな感じ?」と笑って言った。

逃げ出すにも人が一杯で動けない。顔があげられなかった。先日泣いた時も抱えてくれていたけれど。コーンと分かっているからなのか・・・「割り切る」とはっきり言われているからなのか。キョーコは妙に蓮を意識をしすぎて心臓がうるさい気がした。

しかし、すぐ横には酔っ払いの会社員たちがご機嫌に会社の話をしながら立ち、酒気を漂わせている。だからそんな勝手な妄想はすぐ現実にかき消され、冷静さを取り戻した。

「じゃあ・・・こんな感じですか?」

キョーコがふざけて蓮の身体に腕を回して抱き寄せると、蓮はさらに力を強めて引き寄せてきた。

「もう、負けず嫌いな敦賀さん」

そう言って、冷静さを取り戻したからと思って初めて上を見上げると、すぐそこに顔があって・・・紳士な「蓮」の顔をしていた。

「キョーコちゃん・・・」

こんな時にその名前で呼ぶなんて仕事外なのにズルイです、と言いたかったけれど。身体を張って守ってくれているのは蓮だ。

――・・・「役」でなければあなたは私に優しく出来ないのかしら・・・それともまさか、あえて私のために距離をとってくれているなら・・・

「蓮・・・?」

「ん・・・。そのままで」

そのままって・・・このまま?抱き寄せたまま・・・・。

冷静さを取り戻したはずなのに。

急に蓮を、まるで男の人のように思った。

「キョーコちゃん・・・・」

再びその名前で呼ばれた。

蓮は自分が「本当のキョーコ」だと気付いていないはずなのに。耳元でキョーコを呼ぶ声は本当の恋人を呼ぶように穏やかで優しい。「役」なのに、まるで本当に自分が呼ばれているような気がした。

蓮にとって思い出の中の「キョーコちゃん」は、こうして演技が出来てしまうぐらい、絶対なのだとも思う。

――今度会うという「キョーコちゃん」には、すぐにこんなに優しい表情を向けて会うの?

――割り切って傍にいても、こんなに優しいの・・・?

蓮の、いや、――・・・コーンの・・・――腕の中で、満員電車のように、自分の心もいっぱいのまま、ひどく揺れていた。

――コーンは約束を守ったんだから・・・私は名乗るべき?名乗ったら、何か変わる?

――こんなに簡単に、心は揺れていいの?

ショータローとは感じた事が無い、直接感じられる温もりと、目に見える優しさ。

――「キョーコちゃん」を続けていったら。自分は自分を見失うかもしれない。

たった残り一駅なのに。

蓮の腕の中にいたのは、妙に長い時間だった気がした。





2006.03.08