1. Symphony No.5 c-minor “Fate”《運命》
――あっ・・・・あの楽譜が・・・・戻ってる!!!
キョーコは今日の返却物の中に、探していた作品の楽譜を見つけて、取られては大変、と、慌てて駆け寄った。
手にしてみると、やはり欲しかった楽譜だった。「これこれっ。これを探していたの」、と心から嬉しそうに言って、にっこりと満足げな笑みを浮かべてそれを抱えた。
他の楽譜も探そうと、ゆっくり書棚の奥へと進む。クラシックとジャズの棚で約一時間。気が付くと遠くから「まもなく閉館します」という声がした。
「あ、今行きます~~~!!!」
手にしていた楽譜を全て抱え、カウンターへ急ぐ。
「返却は一週間以内です」
「はーいっ」
キョーコは長いこと見たかった念願の楽譜に早速目を通し、鍵盤を叩くように、譜面上で指を動かし、空で弾いていた。
そして図書館の扉を開けて出た・・・ところで顔が大きな身体に思い切りぶつかった。
「ご、ごめんなさいっ・・・」
「・・・・ごめん・・・・・」
随分と大きな身体にぶつかったと思った。その大きな身体は窮屈そうに小さく屈み、キョーコが落としてしまった楽譜を拾った。立ち上がると、彼は楽譜を持ったまま、キョーコの顔をじっと見つめた。
「・・・・あの・・・・?」
拾ってくれたのはありがたいが、楽譜を返して欲しい。
「あぁごめん。コレ、君が弾くの?」
「え?えぇ」
キョーコは彼から楽譜を受け取りながら、やや戸惑った返事をした。初めて会う彼がじっとその楽譜と自分とを見比べている事が不思議だった。
「あぁそうだ。いい所で会った。今から付き合ってくれるんだろう?」
「は?」
「そのカッコ。ラブミー部だろ?オレのお願い聞いてくれるって、学長から聞いていない?」
「聞いていません・・・・が?」
――なんなの、この人・・・・さっきから一方的に。
真ピンクのパーカーを着ていたのがいけなかった、からかわれたに違いない、また「ラブミー部騙し」の人だと、キョーコは思った。
「ラブミー部員を騙したいのでしょう?またどうでもいいお願い突きつけて」
「コレ。コレでも信じない?」
背の高い男のポケットから出てきたのは、学長から直接手渡しされなければ持てないラブミー部専用のハンコだった。
「コレがあればピンクのパーカー着ている子にお願い事していいって聞いたんだけど」
「・・・いいです。聞きます」
ハンコをまるで印籠のように目の前に出され、キョーコも否応無く黙った。彼は「それは助かる」と言って歩き出した。
ラブミー部。学長が指定する、「愛を表現できない子」の為の不名誉な部。そして何でも屋でもある。
普通の部活やサークルと同じ扱いだが、学長の指示なしには入れないし、出る事も出来ない。今はキョーコと親友の奏江という同部屋の二人だけが所属している。さらに不名誉な事に、学長は二人のためにその部を作った。
学長が指定する「仕事」をボランティア形式で遂行する。その出来具合によって、依頼者から点数がもらえる。仕事の正式な依頼を証明する、学長の持つハンコ。それは派手なケースの彫刻は、偽物を作ろうと思っても手がかかりすぎて誰にも作れないから、偽物などない。
どんなに技術を練習しても、どんなに曲のレパートリーを増やし、国内のコンクールに入賞しようとも、「愛を表現できなければ音楽者として失格」なのだという。音に「愛がない」と言われ、ラブミー部ができた。
相方の奏江はキョーコよりも数段技術が上だったし、暗譜力は学内でも右に出る者はなかったが、技術先行の愛なし音といってキョーコと同じ烙印を押され、同部員となった。
大学は、国内においてはもちろん、海外と比較しても規模が大きく有力な音楽総合学校だった。音楽と名のつくものはどんな事でも学べる。教える人間もこの学校の卒業生であったり、現役アーティストだったりと、人材だけは入れ替わりたち変わりではあったが、豊富に揃っている。
キョーコは、その中でもとびきり愛の音楽に厳しい副学長の大越氏についていた。歳は七十近かったが、まだまだ現役、校内で最も尊敬される人の一人だった。
キョーコがラブミー部に入ると共に、学長は併せて「先生」を紹介した。キョーコは、自分の技術では到底師事できるような師ではないと思った。が、それは暗に学長が「愛を学べ」と言っているのだとも思った。
「さ、ついた。今から君、ここでオレが選ぶものを着て。それが仕事」
そう言って車のドアを開けた彼は、とあるインポートブランドショップの前に車を横付けした。
目の前のウインドウはガラス張り、中が全て見渡せる。煌びやかで眩しいほどの電光。スタイルの良い店員が優雅に洋服をアドバイスしているのが目に入った。
店の前に車を横付けなど迷惑極まりないのに、それを堂々とする彼にキョーコは驚く。怒られるから動かした方が、と言う前に、彼を店内から見つけた店員が驚いたように入り口を開けてこちらに寄り、深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。お待ち申し上げておりました。まぁ・・・・本当にお久しぶりですわ。お元気そうでいらっしゃって何よりでした」
「お久しぶりですね」
そう言った彼はにっこりと笑ってその店員に返した。
――笑えるんじゃない・・・・。
会ってから一度も笑わず、余計なおしゃべりは一切せず、息苦しいほど無言のままの車内だったのに。キョーコには愛想笑いの一つもしなかった。
「彼女をよろしくお願いします」
そう言った彼は、「入って」と言って、キョーコをその店内に入れるべく背中を押した。
キョーコは、一度足を止めた。ピンクのパーカーのままこの煌びやかな店に入るのかと、さすがに場違い極まりない自分の様子を気にした。しかも横にいる背の高い男はシンプルな格好ながらも、この店の雰囲気に見劣りしないのだから。
「あ、あのっ。このカッコじゃ・・・」
「お嬢様、どうぞお入りくださいませ。格好などお気になさらないで下さいな」
――お、お嬢様っ・・・
そう呼ばれた事にキョーコの脳は全く違う方向へ反応した。けれども、口にするような雰囲気でも無かった。
出迎えた穏やかで上品な女性はにっこりと笑って――誰もが初めて見る時にはバカにするのに――バカにする様子もなく、真ピンクのパーカーをキョーコからするりと自然に脱がした。
「初めまして、日本支社長兼この店のオーナーの土屋と申します。今日はお世話させていただける事を光栄に思いますわ」
ふんわりとした茶色の髪が上品に肩越しに流されて、見るからに「上品」のお手本のように見える。歳はよく分からない。若くも見えるしこの圧倒的な雰囲気とオーナーというからには相当のやり手にも見える。ミステリアスで、女性が見ても素敵だと思うようなスタイルの良さに優雅な物腰。彼が「にっこりと笑う」理由も、理解できたような気がした。
「土屋さん・・・じゃあこれで」
その男が選んでキョーコに差し出したのは、黒くタイトなロングドレス。
――・・・ドレス?
「あ、あのっ・・・???」
再びうろたえたキョーコの事など気にする様子もなく、土屋女史は「まぁ・・・これは。さすがですわ」と嬉しそうにそれを男から受け取ると、フィッティングルームのフックに引っ掛け、その中に入るようにキョーコを促した。
「私もお嬢様を見させて頂いた時すぐにこれが頭に浮かびましたの」
そう言ってキョーコと共にフィッティングルームの中に入り、深紅の厚いベロアのカーテンを閉めた。
「服だけ脱いでくださいますか?」と言って、促されるように脱いだキョーコをしばらく無言でじっと見た土屋女史は、「少々お待ち下さいね」、と言って出て行った。
「失礼します」
しばらくして戻ってきて、手にしていた籠をキョーコに手渡し、「この中のものもよろしければ着用して下さいませ。お着替えが終わりましたらお呼びください。では失礼致します」と言って再び深紅のカーテンを閉めた。
籠を覆っていた布をとって中を見ると、ドレスと同じ黒色の、豪華なフルレースの下着セットが入っていた。
――黒・・・
サイズは見ただけで分かるのね、と驚いた。サイズはいつもより一つ上で、ストラップレスだし余るかと思ったものの、驚いた事にぴったりとフィットした。しかも綺麗に谷間ができる、と・・・無意味に強調された胸元に、自ら照れた。別に下着姿で外に出て行く訳ではなかったけれども。黒の派手な下着に妙に照れる。素早く黒のドレスを着てそれを隠し、自分の火照る頬と気持ちを押さえ込んだ。
ドレスを着て、「誰?」と思った事は言うまでも無い。太もものぎりぎりまでスリットが入り、歩き方に気をつけなければ見えてしまいそうだ。胸元は強調され、背中は深いV字にカットされ、殆どと言って良いほど肌はさらされている。コンクール時の衣装でも、アルバイトで行っているピアノ弾きの仕事の時でさえ、こんなに大胆な服を着た事はない。黒のシンプルなドレス服は、そのカッティングだけで数段キョーコを大人に見せた。
「まぁ・・・やはり。思ったとおりですわ」
土屋女史は嬉しそうに彼に向かって「如何でしょう?」と感想を促した。キョーコは男を見て再び驚いた。男もまた黒いスーツに既に身を包んでいて、彼もまた年が増して見えたような気がした。
「あぁ、化けたね。あとは化粧と髪型は土屋さんに任せればその服に合わせてくれるから更に化けられる」
「ば、化け・・・・」
「まぁ・・・蓮様がそんな事を仰るなんて珍しい事・・・。女性に向けて言っていい言葉ではありませんわ。ねぇ?お嬢様こんなにお可愛らしいのに」
――蓮・・・・ウチの学校にいる「蓮」で知っている人なんてたった一人しかいないわ・・・・
「敦賀蓮・・・・・」
「何?オレの名前がどうかした?」
「いえ・・・・・・」
彼は最初から特に名乗りもせず、キョーコも何も聞かずにここまで付いてきたし、依頼主自身にはまったく興味が無かったから、キョーコもそれが敦賀蓮だとは少しも気付かなかった。
敦賀蓮といえば、この数日で日本に帰国したばかりであるはずだ。「優勝おめでとう、おかえりなさい」と、大きな垂幕が校舎に垂らされていた。
なぜ帰国早々ラブミー部を利用するのかを疑問に思った。彼は学長のお気に入りだという噂を耳にしたことがあった。だから彼は学長に会い、何らかの頼みがあって今の状況に辿りついたのだ、と思い、キョーコも何となく納得した。
敦賀蓮。十年近くイギリスに留学していたと聞く。そして先日のある国際コンクールに優勝したとキョーコもニュースで聞いてはいた。そのルックスと確かな技術から既に国内外で数々のスポンサーがバックについている。生い立ちプロフィール等は全て謎の学長の秘蔵っ子で、学長が持つレコード会社のクラシック部門の看板アーティストだった。CDを出せばクラシック界では考えられないほど売れるという。キョーコが高校生の頃、周りの同級生の女子たちは、日本に居ない彼のCDを買い漁り、音楽雑誌を買っては、その容姿や音について熱く語っていた。
キョーコは彼の音など全く興味が無く一度も聞いた事が無い。ミーハーな、と、妙に冷めて、周囲が騒ぐ様子さえ、徐々に鬱陶しくなった。
コンクールの様子を先生が学長と共に見に行った。テレビで放映されたものも撮っていたようで「勉強になるよ。聞くかい?」とキョーコに言ったが、キョーコは当然断った。
しばらく見渡し、敦賀蓮が写るポスターが貼ってあるのを見て、この店は彼が専属モデルをしているブランドの店だと気付いた。
なぜピアニストがモデルもやるのよ、と、当時音楽雑誌の裏側に突如現われたインポートブランドの彼の写真と、そして会った事もない彼自身に、非常に怒りを覚えた記憶がある。
しかもキョーコの身近にもう一人、芸能界と音楽界の二足のわらじを履いた男がいたせいで、同じような境遇の敦賀蓮も受け入れられないという、会った事も無いのに食わず嫌いのような考えは、どうにもこうにも覆らなかった。
思考の中に入っていたキョーコの前に、土屋女史が随分とかかとの高い黒のヒールを並べた。ヒールの高さに一瞬バランスを崩しかけた。傍に居た敦賀蓮が、自然とキョーコの腕を取り、それを支えた。
「大丈夫?」
「こんなに高いヒール、普段履かないので。すみません。そのうち慣れます」
「そう・・・」
まるで今までの見てきた女の人は皆履いていた、と言いたげな様子に尚更腹が立った。やはり思っていた通りの、『何なのこのひと』。おかげで、「どうせ私などが履くような靴ではないです」と、ひねた事を思って、顔が歪んだ気がした。
「蓮様・・・あまりに可愛いからって、照れてお嬢様で遊ばれてはいけませんわ」
「遊んでないですよ・・・くすくすくす・・・」
土屋女史は場違いだと思っているキョーコを優しくフォローしながら、再び優雅に敦賀蓮と会話を続けている。キョーコがフィッティングルームから出て行くと、店内の接客員の皆が見て、まぁお似合いと――お世辞か本音かは分からなかったけれども――口にした。
「似合っているって」
「・・・・ありがとうございます」
「不満?」
「いえ・・・」
「じゃあ車の中で待っているから化けてきて。土屋さん・・・あとはよろしくお願いします」
「かしこまりました・・・・出来上がりましたら一度お呼びいたしますわね」
相変らず化けろと厭味を残して彼は店を出た。
「お嬢様。蓮様は普段あんな事は絶対に仰いませんのよ。相当お嬢様にお心を許していらっしゃるご様子・・・。本当に可愛がられていらっしゃるのね。羨ましい事」
「嫌われている・・・の間違いじゃないでしょうか・・・」
「嫌われている・・・?あの蓮様に直接エスコートされて・・・お互い自然にお話なさっていらっしゃる仲ですのに?しかも蓮様がプライベートでどなたかを連れていらしたのは初めてですのよ。蓮様自らエスコートして服を選んだなんて噂、私達の業界でも耳にした事はありませんわ。彼はうちの服だけを着て下さっているのですもの。彼が海外にいようとどこにいようと噂は耳に入りますの。しかも、私が選ぼうと思っていた服を蓮様も選ぶなんて。プロの私が選んでいたものを見抜かれただけでも驚きでしたのに・・・。それにこのドレスは、」
「敦賀蓮・・・には今日初めて会ったんです。さっき、会ったばかりです」
「・・・まぁまぁ。ウソばかり。驚くほど紳士な蓮様ですのよ。長年御付き合いをしている私やブランド撮影のモデルさんにもあんな事を言った事がありませんもの」
「モデルさんや敦賀蓮が今まで接してきた人は・・・きっと厭味を言う必要も無いほど完璧だからです。私は普通の人間なので、言いやすいだけでしょう。初めて会ったのはウソじゃありません」
「くすくす・・・普通はそれを「特別」と言うのですわ。あの蓮様が女の子に厭味を言う・・・今日は・・・このドレスを着こなすお嬢様と言い、あの蓮様といい、いいものを見させていただきましたわ。今度、お嬢様をうちのブランドの蓮様の相手役モデルとして推しておきますわね。ふふ・・・いいものがまた見られそうですこと。お嬢様、よろしければお名前をお聞かせ願えませんか?」
嬉しそうに土屋女子はそう言うと、キョーコの短い髪を梳き始めた。
「最上キョーコです」
「まぁ・・・まぁまぁ。なんて偶然なのかしら」
「・・・・?私を知っていらっしゃるんですか・・・?」
キョーコはコンクールで入賞止まり、そんなに名前の売れるようなことをした覚えが無かった。
「えぇもちろんです。キョーコちゃんと呼んでいる可愛らしい子が、私の夫が経営する店でピアノを弾くお仕事をしてくれているのだと・・・伺っておりますから」
「つ、土屋さんって、えぇっ??」
キョーコが夜あるバイトをしている店の店長も、言われて見れば土屋という苗字だった。
そのオーナーも、とても大人で、素敵な人だ。オーナー目当ての客が沢山来るほど、ハンサムである。土屋女史といい、オーナーといい、美男美女カップルだ。
「まぁこれは本当に嬉しい偶然。実は夫が相当可愛がっていると分かっていて、実はこっそりと嫉妬しておりましたの。今度見に行ってしまおうかしら、なんて思うぐらいには・・・。蓮様がお相手なのでしたら、安心致しましたわ。蓮様には敵いませんもの」
「敦賀蓮は・・・あの、ですから、初めて会って・・・」
「くすくす・・・そうでしたわね。でも今日・・・きっと蓮様に「落とされ」ますわ。しかもあれだけ・・・キョーコちゃん・・・と呼ばせていただきますけれど・・・お気に召していらっしゃるご様子なのですもの」
「あの、私、好きな人がいるんです」
「くすくす・・・今日蓮様に落ちなかったらそれは本当にそのお相手がお好きですのね。お付き合いは?」
「・・・いえ・・・」
「そうなの・・・・まさか私の夫なんて・・・事は・・・ないと嬉しいのだけど・・・」
「ち、違いますっ!尊敬はしていますけどっ!好きなのは幼馴染なんです。もう生まれてこの方二十年以上ずっと好きで・・・」
「まぁまぁ・・・そうですの・・・。羨ましいわ。一途な恋・・・本当に羨ましい事。じゃあ今夜は蓮様がキョーコちゃんに落ちて頂くように私が変えてみせますわね。そうなったら次のお仕事が楽しい事になりそうですもの。くすくす・・・。久々に腕がなること。今日の出会えた記念と、あとで夫に見せるのに出来上がりのお写真撮らせて下さいませね。きっと主人も驚きますわ」
そう言うと土屋女子は嬉しそうにキョーコの顔と髪をまるで魔法をかけるように美しく変えた。
――土屋さんの魔法だ・・・・・・
そう思うほど自分が自分じゃないように思えた。
「蓮様如何ですか?本当にお可愛らしい事。お肌がどこもかしこも透明で、キメ細やかで本当に羨ましいわ。蓮様がお選びになられた理由、よく分かります」
「くすくす・・・。化けたね」
――初めて・・・・私に笑ったわ・・・・この人・・・・
どうせ男の人なんて見た目が全てなのね、と、化けないと笑顔すらもらえない事に、再びキョーコは心の中でへそを曲げた。
ウイッグをつけてお嬢様風の長い長い髪。胸元を隠すようにそれを前にしてみる。メイクも別人のようで、本当に自分がお嬢様になったような気分になった。
「土屋さん、こんなに綺麗にしてもらったの、初めてで・・・本当に嬉しいです」
「本当に?初めて綺麗に変えたのが私なんて光栄ですわ。頑張った甲斐がありました」
「あぁ・・・土屋さん。預けてあるアレまだ置いてありますか?あるなら出してくれませんか?あれをこの子に」
「え・・・よろしいのですか・・・?もちろん大事に保管させて頂いておりますけれど・・・」
「ええ、出して頂きたいんです」
「まあまあまあ・・・やっぱり!・・・くすくす。まぁなんて素敵な日ですこと。私・・・今日立ち会えたこと本当に嬉しく思いますわ」
土屋女史はそう言って出て行き、小箱を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました。蓮様、これは私からのプレゼントですの。今日は本当に楽しい一日でした。キョーコちゃんにはこちらのネックレスチェーンの方が、元のものより細くて似合いますわ」
土屋女子は小箱を開けると、ペンダントヘッドを、持ってきたチェーンに通した。敦賀蓮に渡す。
「付けてあげるから後ろ向いて」
蓮がそう言って、キョーコが素直に後ろを向くと、首筋と胸元が冷やりとした。円形のペンダントヘッドの外側に、石が一つ。
「キョーコちゃん。私、蓮様がそれをつけて下さる様子を見られて本当に嬉しいのです。蓮様が帰っていらしたんだな、って。そしてまさかそれをキョーコちゃんにつけるなんて・・・」
「?」
キョーコは土屋女史の感激振りがよく分からなかった。が、土屋女史は首を横に振って、その問いには答えなかった。
「蓮様に直接お聞きになられて下さいな。蓮様とのお約束ですから」
「あのさ、ゴメン。・・・さっきからキョーコって・・・?」
敦賀蓮がきょとんと、キョーコの顔をまじまじと見た。
「君、カナエ・・・じゃないんだ・・・・?」
――・・・・・・!!!!!!
「モ、モー子さんが、今日のお仕事相手だったんですね!!私じゃない!!!」
「い、いやいや、ごめんっ・・・ぷっ・・・そう言われればそうだね、君、長い髪じゃないよね・・・。ピンクのパーカーってだけで呼び止めたんだから・・・」
「わたし、か、帰りますっ。モー子さん呼んできますっ」
「いや、いいんだ、君でも。学長が名前を口にしたのがそっちだっただけで」
「蓮様・・・?」
土屋女史が何か噛みあわなくなった二人の様子に、不思議そうな顔をして敦賀蓮を見る。
「いえ。ただ人を取り違えただけです。このネックレスを出すことに今日の意味があるだけですから」
「・・・・え・・・」
「だから、もう一人の彼女でも君でも、今日付き合ってくれるのはどっちでもいいんだ」
――敦賀蓮なんて、やっぱり大嫌いだわ。
「蓮様・・・・それこそ口にされてはいけません・・・・。あんまりです。私、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなくなりました。キョーコちゃんをキョーコちゃんとして見ないのであればコレをお出ししない方が・・・。キョーコちゃんが可哀想すぎます・・・」
土屋女史は当惑した顔で敦賀蓮を見上げた。
「そうですね・・・。でも出さない訳にはいかないんです」
「・・・そんな事のために私、頑張った訳では・・・」
「土屋さん、すみません・・・・」
「キョーコちゃんは長年思ってきた好きな人がいるんですよ・・・?」
「もうそんな話までしたんですか」
「えぇ・・・。あんまりですわ・・・・・。これからどこにいらっしゃるんです?」
「ウチの業界のパーティーですよ」
「・・・虫除けですか・・・」
――何を話しているの、この二人は・・・。
二人で会話が進むのを、キョーコは不安そうに遠巻きに見守っていた。
「キョーコちゃん・・・お名刺お渡ししておきますわ・・・わたくしのプライベートの番号は裏に・・・。はい、これ・・・これが私直通の連絡先です。お仕事先で夫に会うなら話をしておきます・・・直接頼んでもいいわ・・・・。お洋服やバッグに困ったら・・・このお店にいつでもいらしてね。いつでもキョーコちゃんに似合う服を差し上げるわ。販売前の試用のものならいつでも差し上げられますから・・・。ブランド名は入れられないのだけれど・・・生地だけは確かなものが使えるから・・・。今度本当に蓮様と共にモデルもやっていただきたいわ・・・」
どうも土屋女史の様子がおかしい。当惑した表情。つられて、キョーコも当惑した声を出した。
「え、あの、はい・・・?ありがとうございます、大丈夫ですか?」
「え、えぇ・・・キョーコちゃん・・・本当に・・・どうか、気を確かに頑張って・・・。蓮様、どうか、キョーコちゃんを護ってあげて下さいね。これがお約束いただけないのであれば・・・やはり今日はこれをお出しする訳には・・・」
「大丈夫ですよ、悪いようにはしません」
苦笑いをした敦賀蓮は、土屋女史の持っていた名刺をちらりと見て、「オレにも下さい」、と言った。
「お約束いただけましたわね。もし今後キョーコちゃんが泣いて私に電話するような事がありましたら、私・・・蓮様を恨みますわ」
「まるで彼女と長年の付き合いのようですね・・・どうされたんです?そこまで人に感情移入されるなんて。土屋さんにしては珍しいですね」
「・・・蓮様がフランクに会話を交わす子なんて私初めて見て・・・喜んでいましたの。あなたは私の息子も同じ・・・幸せになって欲しいのです・・・。キョーコちゃんは・・・素直で・・・こんな可愛い娘がいたらなんて・・・想像して今日は私、本当に楽しかったのです。あぁ・・・蓮様・・・どうか、キョーコちゃんを・・・」
「分かっていますよ。大丈夫です」
――何を・・・・何のドラマがここで繰り広げられているの・・・??
キョーコは全く状況がつかめず、当惑した土屋女史と、苦笑いを続ける敦賀蓮を見守るしかなかった。
「あ、あの・・・・????」
「あぁゴメン。なんでもないよ。行こうか・・・」
そう言って、敦賀蓮はキョーコの腕を取ると、そのまま店の扉を開けて、土屋女史に「またすぐに連絡します」と言って、その場を後にした。
2006.02.20
2014.12月 改稿(全編)