開けられない一つの引き出し。
真っ黒なちいさな箱が二つ入った、ベッド脇のサイドボード。
引き出しの一番下の段。
開ければ小さなティアラとおそろいの指輪が入っているだろう。東京にいた時と全く同じ家具と配置のベッドルーム。どうして、自分でそうしてしまったのか・・・自分の首を絞めているのは分かっているのに。
『いく、すぐにいく!!!だから、待っててね、れん・・・』
――・・・・すぐっていうのはいつだ・・・・?
七月七日。
今日は祈れば、願えば、一年に一度、想いあった男女が会える日だという。
今日も・・・・・今年も・・・・空は、晴れている。
もう、五回目。
きっと毎年、自分の周りだけ、雨が降っているのだろう。
あと何回祈ったら、願ったら、会えるだろう。
あと何回祈ったら、この恋が、冷めるのだろう。
「レン」
呼び止められて、はっと・・・身体が硬直した。
「リンディ・・・・」
マネージャー、いつでも一緒。
キョーコに随分と面影が似ている。
でも本当の願いは。
会いたいのは・・・・。
「おはよう。もう準備できた?・・・・どうしたの?怖い顔」
戸口に立ったまま、リンディは笑った。
リンディは家には入れても、寝室には入れてないし、蓮が誰も寝室に入れていないのを分かっているのか、自ら入ってこない。
寝室での、思い出が多すぎた。
彼女が会いにくるまで、もう、誰も入れたくなくて、そのうちに蓮の中で暗黙のルールができた。
会いに来て欲しい。
会いたい。
じゃあ自ら戻れ、と・・・頭の中で、別の部分が言う。
仕事なんて、どこでも出来るだろう?と。
戻らないのは、正気のキョーコと結果を出すのが怖くて・・・・彼女の言葉を信じて、恋をしていたかったからだった。
ずっと、自分の恋はキョーコだけで・・・生きていたいと。
もう、彼女のことを忘れて、他の子を好きになってみようか、そう思っただけでも、心が拒否する。
それにもし、彼女が約束を果たして迎えに来てくれたら。裏切るのは自分になってしまうではないか・・・。
だから、キョーコが、結婚でもして、子供でも生んだと聞くまでは、信じて待っていたかった。勝手で、他力本願、キョーコとの無意味な繋がりを求めている。
「リンディ・・・知ってる?七月七日ってね、日本では小さなコレぐらいの紙・・・短冊っていうんだけどね、何か一つだけお願い事を書いて、笹の葉に括るんだよ」
「へぇ?そんな怖い顔でお願い事?もう、日本に、帰りたい?」
「いや・・・そうじゃないけど」
「お願い事、してたの?何を・・・・したの・・・・?」
「今日乗る飛行機が、落ちないように、ってね」
「・・・お願い事、私には言えないのね」
「はは・・・そうじゃないよ・・・何か他力本願な大それた事願っても・・・いい結果はやってこないだろ?願う前に自らやれって・・・ね。だから何か願うなら、自分の運でも祈っておいた方がいいね」
たまに、こうして思い出しては自分へいつも言い聞かせていること。「会いに来て」なんて、虫が良すぎる。日本を五年も離れて、戻りもせず、誰にも連絡を取らない状態。ありえないだろう。
「まあいいわ、もう出ましょう?遅れちゃう」
「そうだね」
足首に絡まったアリーにしばらくの別れをした。
願えば・・・なんでも叶うのだろうか。
――ショッキングピング・・・・。
街中でその色を見かけたあの時は、本当に不思議な既視感だった。
七月七日だから?
朝、珍しく他力本願に、願ってみたから?
頭の片隅で、そんな事を考えながら、心が抑えられなくて、自ら会いに行って、声をかけた。
涙目で抱きついた髪の長い彼女に、「ずっと会いたかった」と、何度も本気で口にしそうになった。
気を失ったキョーコに、本当に久しぶりに「テンパって」、仕事の事なんて時間なんて、すっかり忘れていた。連れて帰らなければ、と冷や汗と共に、何の根拠もなくそう思った。
リンディの叫び声と、グレッグの厳しい表情で、それは阻止されたけれど。
『君に、会いたい』
一番書きたかった言葉。言いたかった言葉。
一年に一回じゃなく、毎日心に書き続けてきた、言葉。
その日、ベッドサイドの引き出しを、・・・五年目にして初めて・・・開けた。
*****
「蓮~~~!!!お願い事、もう書いた~~~~????」
「いや・・・」
「もう、時間かかりすぎ!!!早く書いてっ」
「じゃあ早く君の子が欲しい」
にっこり、と微笑む蓮に、キョーコは頬を膨らませる。
「むぅ・・・そっ・・それは笹に願わなきゃ叶えられない事じゃないもの・・・。ねえ、他に蓮の夢はないの????」
「・・・・・はは・・・・・夢ね・・・」
今いるこの空間、時間全てが、五年前の、夢の中のようなものだから・・・。
『明日乗る飛行機が落ちませんように』
「な、何それっ・・・。一年に一回しか無いのよ???」
「お願いなんて他力本願なのは好きじゃない。運を・・・くすくす、いや、なんでもないよ・・・オレは全ての運を、君に会うためにもう使いきってしまったから・・・。君のは?」
【蓮が、明日も元気でありますように】
「・・・ありがとう。じゃあ、付け加えないとね」
【蓮が、明日も元気でありますように】
↑キョーコちゃんが
「じゃあもっと」
【蓮が、明日も元気でありますように】
↑キョーコちゃんが、誰もが
「もうお願いじゃないね」
「でも、一番いいと思わない?元気があれば何でも出来るもの」
「ははっ・・・そうだね」
蓮は短冊に向き合いながら、リンディを思い出していた。
グレッグもリンディも・・・元気だろうか?
あの二人は今頃どうしているだろう。
「・・・グレッグとリンディ、元気かな・・・。昔ね、リンディに短冊の話をした事があるんだ」
「蓮、またロスに行きたい。二人に会いたい」
「うん・・・じゃあもう一枚、短冊に「逢いたい」って一言書いて、日付を入れて、送ろうか・・・」
エアメールを受け取ったリンディは、何を言うだろう。
「グレッグ、コレが「タンザク」って言ってね、七月七日にササに括りつけて、年に一回だけお願いするんですって。あら、何にお願いするのかしら?神様?私たちに会いたいって書いてあるわ。それってわざわざお願いする事なのかしら?二人は元気かしらね?」
そんな会話が繰り広げられるだろうか。
「毎年、もう一度君に逢いたい、とずっと願ってた。もう、オレは一生分のお願い、叶えてもらったよ」
「・・・・・蓮・・・・」
六年越しの、この日に届けたかった言葉。
キョーコの細い首元にいつもかかっているちいさなクロスにそっと口付けて、心の中で、告げた。
東京の部屋の引き出しにしまった六年前のあの日、クロスにそっとかけていた願いが、成就したことを・・・。
【いつかまた逢えますように・・・・】
2006.07.07
2019.07.07 改稿