蓮様は涙ぐむキョーコさんに、
「大丈夫?」
と優しく声をかけました。
「ミュスカ様がかわいそうで・・・」
キョーコさんはぐすぐすと泣きましたが、レイノさんは面白そうに笑っています。
「アイツはかわいそうな存在ではない。お前を育てた神も帰っただろう?」
レイノさんは一言そう言い、ミュスカ様を思って涙ぐむキョーコさんに言いました。
「そうですけど・・・でも」
キョーコさんはミュスカ様の気持ちを思うと、まるで急に蓮様が神様の元へ帰ったような気持ちがして、
「だって、大事な人が急にいなくなったらいやです。神様に言いたいです!勝手に連れて行かないでって。神様とお話しして急に私の知らないどこかに行かないでください」
そう言って、キョーコさんは蓮様をぎゅう、と抱きしめました。
ありがとう、と言いながら、蓮様は笑い、
「ミュスカ様は神様の元へ帰ったといっても別に死んでしまったわけではないから、心配することは無いよ、キョーコちゃん」
と蓮様も面白そうにキョーコさんに言いました。
「え?」
「彼は一度家に帰っただけだと思うよ」
「一度?彼?」
とキョーコさんは涙目で蓮様を見上げました。
「彼は彼だろう?彼が帰る前の二人の会話、精霊の言葉がなぜかオレにはわかったんだ。そしてその会話を聞きながら話しかけてくれた誰かがいてね。意味を教えてくれた」
「ミュスカ様は男性だったのですか?私にはとてもとても美しいまるで女神様に見えました」
「そうなの?非常に逞しい体をしたとても美しい顔をした男性に見えたけれど・・・。初めて姿を見せてくれたとき、君を彼に奪われたら嫌だと思った。でもキョーコちゃんはあまりに彼が美しくて夢中なのかと思っていたんだけれど」
キョーコさんは首を勢いよく左右に振り、
「私はミュスカ様はあまりにお美しいので、蓮がもう私との結婚をやめて、お家を出て行ってしまったらどうしようとずっと思っていました」
「無いね」
「そうですか・・・?」
その会話を聞いていたレイノさんは笑いながら、
「アイツに性別は無い」
そう言いました。
「え!!!」
驚いたキョーコさんに、
「神に属するものに性別は無い。アイツの場合、それぞれにあった姿に見えるらしい」
「レイノ様にはどう見えているのですか・・・?私には非常にこの世のものとは思えない程美しい女性に見えましたが、非常に美しい男性に見えましたか?」
そうキョーコさんが問うと、レイノさんは面白そうに笑って、「さあなこの世のものとは思えない程醜い姿だったかもしれないな」と言って、まともには答えませんでした。
「確かに、神様も、黒くてのっぺりした顔の、ナマズ、という生き物みたく私には見えていました」
キョーコさんは神様の姿を思い出してそう言いました。
「神はお前の目にはナマズに見えるのか」
レイノ様は可笑しそうに笑いました。
「いえ、中に入るために魚を使っていたと言っていました」
「ミュスカは中に入る事はしていなかった。見える姿が誰かにとっての祝福の精霊の姿だと言っていた。ミュスカは形があってそして無い。キョーコの夫が言ったとおり、大きさもあまり関係ない。大きくなろうと思えばきっとこの世界の全ての大きさになる事が出来るし、実際なっていた。あの羊の置物の中にいるように見せていたが、恐らく全世界を見ていたのだろう」
「そうですか・・・」
まったく想像もできない大きさになれると聞いて、キョーコさんは、神様にも今度話を聞いてみたいと思いました。
レイノさんは蓮様の方を見て、
「なぜオレたちの会話が分かったのだ。貴殿は精霊の言葉が理解できるのか」
と問いました。
「誰かがオレに意味を伝えるために音を変えてくれていました。もしミュスカ殿が急に帰ったらキョーコが泣くだろうと言って私に意味を伝えるために翻訳をしてくれたようです。あの感じは恐らく神がそばにいました。先ほど一緒に帰られたようですが。ミュスカ殿は「神と共に一旦帰る」と言っていましたね」
「え!神様?来ていたんですか?」
「うん。キョーコちゃんに、「久しぶりだね」と言って挨拶していただろう?」
「そうでしたか?ミュスカ様の事を考え過ぎていて聞き逃してしまいました」
「そう?ネコをかわいいと言っていたから分かっていたのかと思った」
「ネコさん!そうでしたか。ネコさんの中にいたのですね?また泉に行って、お会いしたいですって言います!神様にお願いしたら、ミュスカ様にもまたお会いできるかもしれませんし!そうしたら、レイノさんの元にミュスカ様をお返しください、と、伝えます。でも、ミュスカ様はどんなものも聞こえると言っていましたから、きっと今も見ていますね?」
キョーコさんは、すっかり元気に戻って言いました。
「そうだね。でも見える姿は神様と同じで、なまずみたいな姿でいいと思うんだけど。あんなに美しい姿でキョーコちゃんのそばにいられたら困る」
蓮様は可笑しそうに笑いました。
「私も、そう思います。ミュスカ様に蓮をとられて天に連れていかれてしまったらとても困ります!」
すっかりいつもの夫婦の会話に戻って、ハートマークを飛ばし始めた夫婦に、レイノさんはもう十分だと思って席に戻り、妹姫の横に座りました。
「ミュスカが神の元へ帰った」
「ほら、お兄様!あんな扱いをするからですわ!」
妹姫はレイノさんの事は全部分かるといった風で、まるで鬼の首を取ったかのような顔をして言いました。
でも、レイノさんは少し笑って、「そうかもな」と、敢えて妹の言い分を否定する事はしませんでした。
「そういえばお前にミュスカはどう見えていたんだ」
「え?非常に背が高くて知的で美しい男性に見えていました。この世にあんなに美しい男性がいるのかと思う程でしたけれど」
「そうなのか。お前はアイツと結ばれたいと考えたことがあるか?」
「いいえ?お兄様をあんなに愛している姿を見たら、どんなに美しくても全くそんな気は起こりませんでしたわ、人のものに興味があるお兄様と違って!ずっと私は、お兄様は気に入りさえすれば男性でも女性でも全く関係ないのだと思っていました」
妹姫の言い分に、レイノさんはすっかり笑って答えました。
「蓮には非常に美しい男性に、キョーコには非常に美しい女神に見えていたようだ。オレにはアイツは男でも女でもない姿に見えていた」
「え?見える姿が人によって違うんですの?」
「そうだ。でもアイツはオレにだけは、本当の姿を見せていたのかもしれないとずっと思っていた」
「どんなお姿に見えていらしたのですか?」
「美しい銀色の精霊だった。お前はアイツが部屋に来てから人を呼ばなくなったと言ったが、 ただ見ているのが好きだった。ただ互いに見つめているだけで時間があまりに早く流れてしまう程だった。生きる神の芸術だと思っていた」
「お兄様はミュスカ様と結ばれたいとは思わなかったのですか?」
「さあアイツは人間ではないし結婚という人間の制度など全く意に介さない存在だからな。勝手にアイツの意識をオレの中に垂れ流してオレの意識を読むだけで十分だったのだろう」
「それだけで楽しいのでしょうか?」
「さあ、楽しかったんだろう。・・・オレはずっと銀色の精霊を見ていたと思っていた。でも、それもまたオレにしか見えない姿だったのかもしれないな。ではオレもお前も、一体アイツの何を見ていたんだろうな・・・。こういうのをキツネにつままれる、というのではないのか」
と笑って言いました。
レイノさんは目の前に並ぶ山のようなごちそうの中から、緑色をしたブドウの一房を持ち上げると、一粒だけ取って口にいれました。
「アイツはこの世界の中でも特にブドウを食べた時の人の意識が好きだと言っていたな」
と、一人つぶやきました。
2019.11.05