しばらくして、キョーコさんの玄関先に白い鳥が止まりました。
それを見たミュスカ様は、
「お前。いつ迎えに来る」
と、鳥に向かって言いました。
鳥は聞こえていないのか分からないのか、何も答えません。
ミュスカ様は、また静かになりました。
鳥は一向に動く気配も無く、ミュスカ様も一向に動く気配がありません。
何日も何日もただ、互いにそこにいました。
時々キョーコさんが羊の置物を持って泉に行き、置物に水をかけて見たりしましたが、その閉じ込められた術が解ける気配はありませんでした。ただ、ミュスカ様はその泉の水が気に入ったようで、時折連れていって欲しいと言いました。
今日もお昼を持って泉まで散歩に行き、すぐに蓮様はキョーコさんをすっぽりと腕に入れてしまいました。キョーコさんは恥ずかしがりましたが、蓮様はがっちりとキョーコさんを腕に入れてしまい、途中でキョーコさんを魔法で小さくしてしまいました。お昼を食べる時も蓮様の腕の中で、蓮様の足の上に座って食べました。食べづらいとキョーコさんが言うのに、蓮様は涼しい顔で「今日はオレの体の中でね」と言って譲りませんでした。
キョーコさんはミュスカ様を見て言いました。
「その中からでもこの泉の何かは、分かりますか?」
「ここに神がいただろう。だからまるで帰郷したような気分になる」
「神様は私が12歳になる時までいてくださいました。その後は時々神様が来て下さればお会いできますが、今はどうされているかは分かりません。でも本当に会いたい時は、この泉で、会いたいです、って言うと、すぐに来てくれます。玄関先にここから汲んだお水がためてありますから、おうちの場所、近くに移動しますね。おうちみたいな気持ちになって、ゆっくり休めるかもしれませんから」
キョーコさんはそう言って、改めてミュスカ様の家を、魔法の水のかめの近くに移動しようと思いました。
「もうすぐ収穫祭ですから!レイノ様の元へ帰れますよ」
「大丈夫だ。アイツは私をずっと見ている」
「え?」
「一応私がどんな扱いをされているのか心配なのだろう」
「どこで、ご覧になられていらっしゃるのですか・・・?」
「外の鳥が見ている。レイノの部屋の監視鳥が目の前に来ている」
「そう、ですか。ミュスカ様、やっぱりお祭りの前にお戻りになられたいですか?」
「いや?いい。どうせアイツは来る。私たちに時間はあまり関係ない」
「ずっとそこでじっとしているの、寂しいですよね?私たちの家に入りますか?」
「気にしないでいい。私はこの中にいるが、あらゆる場所を見る事ができる。退屈はしない。お前の国の城の中も今、収穫祭の準備で人が右往左往しているぞ。ふふ」
「え!何でも見える・・・んですね・・・?その、私たちは、恥ずかしいので、見ないでくださいね・・・?」
「大丈夫だ。見ずとも」
と言った所でミュスカ様は一旦言葉を切って蓮様の方を見ました。
キョーコさんも蓮様の方を見ます。
「何?」
キョーコさんの声は聞こえますが、ミュスカ様の声はかすかに何かが話している声しか聞こえません。
「いえ」
「この男が、私や妖精に、家の中の事は見えないよう、聞こえないように、家の保護をかけている。その保護を壊す気は無いし、夫婦の間の会話を見るつもりも聞くつもりも毛頭ない。毛頭も無いが、それでも伝わってくるものはある。レイノが手紙を送ってきてから、そこの王子が心配をしていることも、キョーコが大事すぎて毎晩きっちり保護をかけて、さらに自らの腕に入れて保護をして眠る事も、な」
キョーコさんは恥ずかしくて真っ赤になって両手で顔を覆い、ミュスカ様は可笑しそうに笑いました。
「キョーコちゃん?」
「あの。私たちの家の中は、ミュスカ様や妖精たちに見えないように魔法をかけてくれているのですね?」
「そうだよ。オレ以外の誰かに君との事を聞かれるのも覗かれるのも嫌だ」
それでも漏れ出てしまう何かの蓮様の強い思いがミュスカ様に伝わっているのかと思うと、キョーコさんはまた真っ赤になって、顔を両手で覆いました。
「キョーコ、夫に私を見せたいか?」
「お見せしたいです。でもお見せしたくないというか・・・」
「だから心配ないと言っただろう」
泉のほとりで、ミュスカ様は一瞬、また目がくらむような銀色の光を放ち、そして、それが収まった頃に、羊の置物の中にいるまま、蓮様にミュスカ様の姿が見え、声が聞こえるようにした。
「やあ蓮。私がミュスカだ」
「こんにちは、ミュスカ殿」
キョーコさんが心配した事とは裏腹に、蓮様はあまり顔色を変えずに、とても穏やかでにこやかに笑顔を浮かべて、静かにその様子を見守っています。
「ミュスカ様は、お美しすぎて、目がくらみませんか?」
「そうだね。お美しいね」
そう言った後に、蓮様はキョーコさんを元のサイズに戻すと、わざわざ誰かに見せつけるようにキョーコさんをすっぽりと腕に入れ抱きしめました。そしてキョーコさんの唇に唇をそっと置いて、音を立てて唇を吸ってから、
「そして君も美しい」
とキョーコさんに言いました。
キョーコさんは、ミュスカ様の前で蓮様がキスをしたので、恥ずかしくて、顔から火を噴いたようにまっかになって、そして、蓮様の腕の中でクルクルと目を回し、すっぽりとまた蓮様の腕の中に収まりました。
ミュスカ様は、また大きく高笑いをして、
「ほらな、お前の夫は私に興味など無いだろう?私を見て最初に言う事はお前への愛の賛辞なのだから。蓮よ、アイツの持ち物の私に興味など一ミリもあるまい?それともあの鳥への当てつけかな?では、後日収穫祭で改めてまた会おう」
そう言って、元の蓮様には見えない姿に戻りました。
蓮様は恥ずかしがるキョーコさんの体をすっぽりと体に抱き入れて抱きしめたまま、何事も無かったかのように泉のほとりでキョーコさんの背中を撫で続けていました。
****
その日の夜、監視鳥の視線の映像から、至極嫌な映像を見たレイノさん。
泉のほとりについてすぐに、蓮様が監視鳥の目をじっと見ました。そしてレイノさんは映像上の蓮様と目が合いました。
それからしばらくして、蓮様がキョーコさんをすっぽりと体の中に入れてしまうと、全くキョーコさんは監視鳥の映像に映っていません。
でも、途中からミュスカ様が「見える」ようになると、キョーコさんも「見える」ようになりました。
何かを話す声とともに、蓮様がキョーコさんにキスをしている映像が送られてきて、その映像の再生を止めました。ふ、と、笑いがこみあげてきました。
「お兄様?」
「脳裏に送られてきていた監視鳥の映像が面白かった」
「まあまた悪趣味な事を。一体どなたの事を覗かれていたのです」
「ミュスカと、蓮とキョーコだ」
「何ですって?蓮様とキョーコ様を?もう人の生活を覗かれるなんて本当に悪趣味」
「お前が心配するような事は見えていない。キョーコは、キョーコ自身を隠す魔法をアイツにかけられている。だから見えない」
「収穫祭にお招きいただいているのに恥ずかしい・・・私の兄がやっていると分かったらどんな顔をして蓮様たちにお会いしたらよいか」
「キョーコも含め全員全てを知っているぞ。オレがやっている事は」
そうレイノさんがいうと、妹姫は信じられないという眼差しでレイノさんを見て、至極軽蔑したような様子で言いました。
「お兄様は本当に他人の妻がお好きなのね」
「他人の妻という状態が好きなのではない。興味があると大体他人の妻なのだ」
呆れた様子で妹姫は立ち上がり、
「収穫祭では蓮様とキョーコ様にお兄様の非礼をきちんと謝らなければ」
「ミュスカも呆れ果てて、キョーコの所へ行く羊に乗ると言ってもう戻ってこないかもな」
「そうですわ。お兄様と結婚できる訳でも無いのにあんなに愛してくれる人など他にいないと思いますわ。それなのにあんまりな扱いで、私がミュスカ様なら、入れられた羊の入れ物を壊して散々この国を呪うでしょうね」
レイノさんはまた少しだけ笑って、妹姫の背中を押しました。
「今日は妙に塩らしい。何かいい事でもあったのか?」
「・・・別に・・・」
頬を染めてそういう妹を見て、やはり何かいい事が(特に異性に関して)あったのだろうと思いました。
「お兄様だってミュスカ様が部屋に来てから、殆ど誰もお部屋に入れなくなったのに、いなくなってから、私を部屋に入れるようになりましたもの。会話する相手がいなくて寂しいのでしょう?」
「寂しい?」
レイノさんは心外だというような顔をしました。
「お兄様は外側の事には本当に敏感なのに、呆れる程ご自身の事には鈍くていらっしゃるのね」
妹姫はレイノさんの事を一度じっと見て、そして、静かに部屋を出ていきました。
2019.11.02