バラの融点18

キョーコが蓮のそばで台本を読み始めてからおよそ二十分、蓮は寝返りを打とうとして、ふと目を覚ました。
身体の上には暖かいブランケットが掛かっていて、キョーコはすぐ目の前で床に座っている。


「今・・・何時?」
「敦賀さん。起きたんですね。今は、十時半です」
「一時間ぐらい、眠ってしまったみたいだ」


蓮は身体を起こし、ブランケットをたたんで、その上にクマのぬいぐるみを置いた。


「それ・・・使ってくださっていたんですね」
「・・・そばにあると、少し落ち着くね。でもいい大人がおかしいかな」
「いえ」
「君が作ってくれたものだからかな・・・」
「大事にしてもらえて良かったです」
「・・・・ね、どうして、仕事、断らなかったの?工藤先生の・・・」

蓮はキョーコの頬に手を寄せた。


「断れなかったんです。だって、先生、出来上がった原稿、私に渡すとおっしゃられて・・・」
「また、呼ばれたんだってね」
「はい。私に、興味があって、話が聞きたい、と・・・。あの、でも、工藤先生は私に女性として興味があるわけでは無いとおっしゃっていらしてですね、」
「まあ、久遠は君にセクハラばかりしているからね」

蓮は笑ってキョーコの頬から手を外した。


「で、でも・・・セクハラ、というのは、合意が無い場合の話で・・・」
「合意があれば、セクハラも、恋愛になる?」
「・・・・・・・・・」


キョーコは視線をそらした。
頭で考えて分からないから、好きか嫌いかの単純な視線に持っていこうとすれば、蓮の事は完全に受け入れて好き、なのだろう。受け入れようと決めたけれども、まだ、その雰囲気に慣れず、ただ、蓮の手を取って、その手の上にキョーコは手を重ねた。


「次の作品、久遠先生が書かれる時・・・も、誰か、イメージする女優さんがいたら、呼んで、抱きしめたり、口説いたり、するんですか?」
「・・・え?」


もう少しぐらい色っぽい話になるのかと思った蓮は、返って来た返答に少し戸惑いを覚えて、同じ事をキョーコに返した。


「じゃあ、工藤先生が君を抱きしめたり、口付けたり、愛を囁いたりして・・・君はそれを全て受け入れてしまう?」
「・・・・・・・・わかりません・・・・・・」
「できれば否定、して欲しかったけど・・・ね」


蓮はキョーコの腕を引っ張り、ソファまで引き上げ、トン、と肩を押した。
バランスを崩したキョーコの身体は倒れそうになり、蓮の腕がそれを支えてソファに横にして、キョーコはそのまま天井を仰ぐ羽目になった。

蓮が、上から覗き込む。
静かに怒っている。
キョーコの身体が様々な恐怖で小さく震えた。
蓮が随分と冷めた目で、キョーコに言った。

「工藤先生がこうしても、受け入れる?」
「・・・・わかりません・・・・・・・」
「それともそれが君の男を落とす手段?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「上等。男の感情を試すだけ試して、煽るだけ煽って・・・」

ぺろり、と、蓮の舌先は、自らの唇を一度舐めた。
ごくり、と、キョーコの喉が身構えて、鳴った。


「オレの中の嫉妬心だけ、引き出すんだな・・・」


キョーコの顎を片方の手で押さえ、唇を親指で器用に開かせた。
舌先が覗き、その舌先に蓮は親指を押し付ける。
少しの恐怖と、およそ次に来るだろう行動を予測したキョーコの身体は硬くなった。

指を外し、上に覆いかぶさった蓮は、間近でキョーコを覗き込み、


「ずるいね、君は・・・。恋をしたくない、なんて言いながら、まるで本当にオレが恋しいかのようにオレを誘うなんて・・・」


少しだけ開いたままの唇に、キョーコの唾液で濡れた親指を這わせる。キョーコの唇も少し濡れて、なおいっそうつややかに赤みが増した。


「君にこのままだまされていたいと、思ってしまうね。工藤先生に取られるぐらいなら、いっそこのまま君を抱いて、自分のものにして・・・・だまされたまま・・・・」
「つるっ・・・・・んっ・・・・・・・・」


蓮はもう一度ぺロリ、と舌先で唇を舐めて自らの唇を濡らし、、キョーコの唇に自らのそれをそっと這わせた。一度キョーコの中に入り込んでしまえば、何度も角度を変え、キョーコの中を溺れるように深く探る。

角度を変えるたびにキョーコの身体もゆるやかに開いていった。息を吐き出す時も、角度を変えようと唇を吸いながら離す時も、キョーコの指は蓮の背中を無作為に這い、身体の奥から引き出されているだろう感覚を蓮にわかりやすく伝えた。


身体は、服が無ければこれ以上無い程に密着し、蓮がキョーコを抱きたがっている事はキョーコの身体にも伝わった。少しみだらな音をわざと立てて、蓮がキョーコの唇を貪る。互いの赤く見事に膨れた唇が、互いの身体の状態を物語っていた。


キョーコは、身体の中からあふれ出す本能的な快楽感を伝えるために、その腕を蓮の首に回して、


「・・・好き・・・・」


と、目をしっかり見つめて、ようやく伝えた。



蓮は、目を見開き、そして、ごめん、と言った。
キョーコに優しく受け入れられてしまって、逆に少し理性を取り戻した。


「君の優しさにこのまま流されてしまう事ができたら、どんなにいいだろう」


と、キョーコを思いきり腕に抱きしめ、頬ずりをした。


「・・・・愛していると、この世で一番君に伝えたいのはオレなのに」


互いに溶けて昂ぶった身体と吐き出される息で理性を失ったキョーコは、蓮の言葉を半分ぐらい上の空で聞いていた。身体が蓮を受け入れたくて、ハァ、ハァ、と、浅く甘い息を吐き出していた。


「君を抱きたくて、抱きたくて、オレの腕の中で・・・オレの身体で快楽におぼれる君を見られたら、どんなに気持ちが良くていいだろうと思う。でも・・・今は君にこれ以上をしない」
「・・・・・・・・・・」
「でも、抱きしめてあげることと、こうしてキスするのだけは許して欲しいけど・・・」
「どうして・・・と聞くのは、変ですか?」
「・・・・その境界線を越える方が、楽だから」
「楽・・・?」
「オレ達の中にあるモラルだとかの道徳からはみ出だして、行為を共有して、最も強い快楽を共有して・・・まるで愛し合っているかのような錯覚が強く得られる。しかも今は共演中で、オレの方が年上で、事務所でも先輩で、監督にまでオレを恋人らしきものにしてしまえ、と言われて・・・。君が断れないことも知っていて・・・それじゃなくても感情移入しやすいのに・・・その弱みにオレが付け込んでいるだけなのも分かっているのに、どうしても口付けてしまいたかった」
「・・・・・・・・・・・・・・」


蓮はキョーコの頬を片方の手で包み、


「オレがもし君を腕にしたら、きっと、今君の中にある葛藤を全て吹き飛ばす事は可能だと思う・・・。だけど、それでは今の君の中で受け入れられない感情の解決にはならないから・・・。しばらくして快楽を受け入れることに慣れて、自分を見つめる時、もう一度必ず、後悔する」


キョーコは黙って、何度か小さく頷いた。
キョーコの持っている戸惑いは全て蓮に通じていたようだった。


蓮の持っている距離は、キョーコにとって心から心地よかった。
だから、つい、甘えてしまいたくなっていた事も思った。
もし、このまま蓮がそれ以上をしていたとしても、キョーコは受け入れていただろう。


「でもね、本当は、君が弱い子だったら、どんなに良かったかと思うんだ」
「え?」


蓮は少しだけ微笑んで、頬に置いたままの手で何度かキョーコの頬を撫でて、手を離した。



「甘えてくれたり、弱くて立っていられなかったりでもしてくれたら、オレは男らしさなんていうものを振りかざして、偉そうに、何か君のためになりたい、なんて、傲慢なことを思えるだろう?」


蓮はそっと笑って、言った。
キョーコは弱く微笑んで、首を揺らし、蓮の手を追って握った。


「もしいつか弱音を吐いても、笑わないでくれますか?」
「・・・君が簡単な事で何かを口にしない事は分かっているから」


蓮はキョーコを一度抱きしめて、頬に口付けた。



「他の男と共演したら、できればプライベートではこうしてキスしないで欲しいと思うのは、オレだけ?」


にっこり、と笑って問うた蓮に、キョーコは少し驚き、真っ赤な頬で首を振って答えた。

そんなキョーコを、再度、ぎゅ、と、蓮は抱きしめて、


「おやすみ。もう、しないから・・・。驚かせてごめん。でも、オレが君を抱きたいのは、嘘ではないよ。口では色々言っていても、身体は正直だからね」


蓮の身体の状態を見て全身真っ赤になったキョーコは、ブランケットとクマのぬいぐるみを蓮の身体に押し付けた。


「もうっ・・・・!」


しかし立とうにも身体から力が抜けてしまって、動けなかったキョーコを見て、蓮が笑い、ひょい、と、身体を持ち上げて、


「お運びしましょう、お姫様」


と言って、キョーコの部屋のベッドまで連れ、ふわりとベッドに寝かせた。


「おやすみ、キョーコ・・・」


蓮はキョーコの頬に当たり前のように口付けて、出て行った。


蓮の中に眠るとても深い熱に侵されたキョーコは、当然眠れるはずも無く、キョーコは、何度も寝返りを打ちながら、身体の奥から引き出されて覚えてしまった強い快楽感に、新たに戸惑っていた。




好き、と思わず伝えた言葉は、ただ状況に流されて出た言葉だったと蓮は思ったようだった。キョーコは心の底から思って言ったつもりだったけれども、それでもやはり蓮が欲しているだろう感情には遠いのかもしれないし、義理や同情に聞こえたのかもしれなかった。



しかし蓮の熱を少しだけ覚えて、もっと愛しい感覚が身体に流れている。
また、触れたい、と、思った。












2010.02.21