『Under The Rose』
夏が来た。
大学が長期の休みに入り、すぐに元の家に行く支度をした。
家に飾っておいた母の昔の車、観賞用のアンティーク車だった車を、父が整備に出して使えるようにした。「乗っていくといい」と言って、その鍵も誕生日プレゼントとしてくれた。
キーを入れた瞬間、エンジンの音が懐かしく、子供の頃に戻ったようだった。それは両親も同じだったのか、車のミラー部を撫でて、「またよろしくね」と言っていた。
旧家の整備はこっそりと母がしておいたと言ったから、数日分の食料と服を後部座席に積んで、幾つかの種類のバラの苗を積んだ。
(中略)
懐かしい道が続く。少しも変わっていない。広大な畑と一本道が続く。途中たった一本だけの細い道。そこを曲がってまっすぐ行けば、通っていた学校がある。曲がらずにまっすぐ。気がせくのを抑えるようにしてそのままゆっくり進んだ。
家が、あった。そのままの姿で。門の前で車を止める。
鍵のかかった門を開けると、目の前には信じられない事に、芝は生き生きと青い色をしている。ヒマワリが咲いて、アイビーが美しく生い茂っている。そして、一箇所バラが咲いているのも見えた。
一度車に帰り車を家の端の駐車場に止めると、改めてその庭に立ってみる。
これらを長い間整えていたのは誰だろう。父だろうか。母だろうか。掃除をしている人間だろうか。そんな事を思いながら、一つ一つ、花に触れる。徐々に記憶が遡る。昔は無かった花もある事に気付く。が、そんな事はどうでもよかった。ただ、生きた庭であった事が、何よりも嬉しかった。
家の鍵を開けて中に入ると、家具は使う分だけ綺麗に整備されて、ホコリ一つ落ちていない。家も、生きている。
二階に駆け上がって、元の自分の部屋に入る。かつて小さなベッドが置いてあった場所に、今の自分用に、新しくとても大きなベッドが置いてあった。家まるごと、誕生日プレゼントにしてくれたのだ。
部屋の閉じていた窓という窓を開ける。すぅ、と入ってきた初夏のさわやかな空気が心地よくて、いっそう自分の気分を盛り上げた。
窓から、一部アイビーの茂った柵が目にとまる。それは、子供の頃枯らしてしまったバラの代わりに這わせたアイビー。懐かしいな、と思う。今ではそんな感傷など浸る暇も無いほど、季節はあっという間に巡っていく。
懐かしくて、その場所を見に行こうと、二階から階段を駆け下りた。そうそう。たしか、泣かせてしまったあの子に謝るために、とっておきのバラを切りに駆け下りた。門を越して、柵の前に行こうと。
柵を見ると、その前に、一つのプランター。
プランターなどこの家には無かったし、柵の前にもなかった。
『触らないで。絶対に動かさないで。これは約束の印だから』
プランターにそう立て札してある。
きっとあの子だ。いつでも会いにおいでと言ってあった。きっといつか会いに来たのだろう。野生のバラはプランターとはいえ順調に成長して、かなり背高く柵に絡まっていた。この柵に、また、バラが戻ってきていた。
置いて帰っただけだから、一切手入れされてない。余計なつるを切ってしまわねば綺麗な花が咲かない。ハサミを取りに一度戻って、数箇所ハサミを入れた。これで少しはマシな花が咲く。
「触らないでって書いてあるでしょ!勝手に切るなんてひどい!」
どこからか声がして、怒った顔をした女の子が立っていた。
「これ・・・・君の、バラ?」
「そうよ!私の大事な大事なバラ!」
「・・・この庭は、オレの庭なんだけど・・・」
「・・・・え・・・・・?」
女の子は、くりくりとした大きな目で、驚いたような顔をした。
「この家、売られちゃったの?」
「いいや、昔から、オレの家だよ。・・・・君は・・・・オレのバラのお姫様・・・だろう・・・?」
「・・・本当にあなたなの?ひどい!いつでも来てって言ってくれたのに!・・・・・元気だった?」
「あぁ、やっぱり。元気だったよ。きっと君だと思ったんだ、この場所にバラを置いてくれたのは・・・。このままではあまり綺麗に咲けないから、少し整えたんだけど。勝手に切ってごめん」
「セージなら許す。だって、あんなに沢山の綺麗なバラが咲いていた庭だったのに・・・久しぶりに遊びに来たら全然なくなってしまっていて、ここにバラを植えておきさえすればきっと気付いてくれるって思ってた!もう三年以上待っちゃった」
「そんなに?」
「ここのお掃除してる人に頼み込んで、置かせて貰ったの!じゃないと片付けられちゃうから。あなたのパパともお友達になったのよ?今日このうちに来ればきっと会えるって、お手紙で教えてもらったの!」
そんな話はついぞ聞いていなかったが、この家の事情は自分には内緒にしていたのだから、仕方の無かった事なのだろう。
互いに車の中から荷物を取り出して家の中に入り、まずは湯を沸かして、紅茶を淹れた。
彼女とオレは十年ぶりに再会したが、まるでいつまでも友達だったかのように話をし続けた。
(中略)
*****
蓮とキョーコは、撮影が終わり、二人で散歩に出た。
映画用に借り切った旧館を蓮がゆっくり見たいと言って、誘った。
「このセットすごいですね、全部本物のバラ」
キョーコはバラに触れながら蓮に言った。
「監督がそういう人だからね」
蓮はバラに顔を寄せて、その香りを確かめた。
「いい香りがするよ」
蓮は少し高いバラの花のつるを、少し引っ張ってキョーコに傾けた。キョーコがそれに顔を寄せてみる。濃厚な芳香。生きている感じがする。
「いいにおい!」
「どんなものでも本物がいいよね」
蓮はバラを元の位置に戻して、この家の周りを一周しようとキョーコを誘った。
「敦賀さん」
「なに?」
「この家が、敦賀さんの小さな頃のおうち、だった訳ではないんですよね?」
キョーコは誰もいない場に来ると、蓮が聞こえる程度の小さな声でたずねた。蓮の作り出した物語が、どこまでが「本当」で、どこまでが「物語」なのか、キョーコには分からないからだ。
「違うよ。コレはもちろん撮影用に借りている場所だよ。思い浮かべていた風景に近いかな。よくこんな場所みつけたなと思って・・・監督にイメージは伝えてあるけど」
「例えばコレとか」と言って、蓮は無造作に置いてあるガレージの中の素焼きの壺を指差し、歩きながら触れたポストに付いた鳥の置物に触れて「コレとかね」と言った。
蓮は楽しそうに、自分が想像した風景がそこにあるのを楽しんでいるようだった。
「不思議な気分ですか?」
「そうだね。面白い。資料は沢山渡してあるんだけど・・・的確にポイント付いてるから・・・・」
監督と蓮の相性がいいのならば、きっといい映画になる、キョーコはその言葉を聞きながら、そんな事を思った。
蓮は庭に置いてあったベンチに腰掛けて、キョーコにも腰掛けるよう勧めた。はい、と言いながらキョーコが隣に腰掛ける。
向かいには片付けているスタッフたちと、帰って行く俳優たちが目に入る。
「まだ帰らなくて、大丈夫ですか?」
「構わないよ」
「あの・・・聞いてもいいですか?」
「なに?」
「この・・・敦賀さんが演じる彼は、どうして私が演じる女の子を、こんなに長い間変わらず好きでい続けるのですか?」
「変わらず、ではないね。間に他の女の子と恋愛もしているから。それでも出会って、話してしまえば・・・。まぁ、物語だから、その辺は上手くできてると言ったらそれまでかな?」
蓮は目を伏せて、面白そうに笑う。
「盲目的に好き、という感情が男の子にあるのかどうなのか・・・って・・・」
「恋は盲目、は、別に男女を指した言葉ではなかったよね?」
「そうですけど。私、愛したいとも愛されてみたいとも思わないので、ラブミー部にいるのですけど」
「盲目的に誰かを好きになった事、無い?」
そう蓮が言うと、キョーコは一瞬表情を強張らせた後、冷めた表情で一言言った。
「ありましたけど、そんな自分をバカだったと思います」
「くすくす・・・。バカじゃないよ・・・」
蓮はキョーコの言葉を否定して、
「盲目的に好きになれるって素敵なことじゃないの?でも・・・・だからなお更こうして、男が一人の女の子を盲目的に好きなのが、実は許せなかったりする?現実ありえないって」
「ええ」
至極当然のように答えたキョーコに、蓮は笑いながら言った。
「オレが盲目的に君を愛したら、理解する?」
「は?」
と言ったキョーコは、「ハァ」と一つため息をついたあとに、
「コレは監督から伺った事ですので、何か侮辱の言葉だと思わないで貰いたいのですが・・・」
と前置きをして、
「敦賀さんが盲目的に私を愛して下さるというなら、必ず時間制限がありますから。この映画の撮影が終わったら、その盲目時間は終わるのを私は分かっています」
と続けた。そんな、映像をよくする為だけの子供だましの言葉なんて通じません、と言った風な顔をキョーコはした。そして表情だけは軽く怒ったような顔をして、頬を膨らませた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
蓮は空を見上げながら、一人何事かを呟き、伸びをしながら立ち上がると、キョーコを振り返った。
「なんて言ったんです?」
「いや、こっちの事。またいつか・・・言える時があれば、ね。でも必死だろう?オレは・・・。盲目的に、君に」
「さっきから、おっしゃる事の意味が分かりません」
「そう?」
蓮は庭の隅に咲いていたバラの花を一つ摘み、トゲを指で除いた後、キョーコに渡した。
「女の子は見た目では絶対に分からない・・・心の中に綺麗な薔薇を抱えてる。君はどんな色で、どんな香りがして・・・どんな花びらの薔薇を・・・抱えているんだろうね・・・撮影中に見られるといいんだけど・・・・いや、もう片鱗は見ている・・・かな・・・・?」
「・・・・・・・」
蓮はにっこりと笑って試すような雰囲気で言った。
キョーコは黙った。あまりいいバラではない想像をして、それを言いそうになった口をつぐんだのは、蓮に「またそんな事を」と言って怒られそうな気がしたからだった。蓮は必ずキョーコが不意に言ってしまう否定的な言葉を、かるくたしなめるなり怒るなりして必ず否定する。軽口を叩いて蓮に否定して欲しいのだとは思われたくなかった。
だから、蓮から貰ったバラに顔に近づけて、「いいにおい」とだけキョーコは言った。
蓮は「帰ろうか」と言って、キョーコと並んで旧館のすみを再び歩き始めた。
*****
「で、君は今日どうする?オレの仕事はしばらくこの撮影だけなんだ。原稿は無い。君は、来る?来ない?」
社を降ろした後、蓮はキョーコにそう言った。
「台詞の練習をするなら来てもいいし、しばらくは自分の時間を過ごすならこのまま君の住む家の近くまで送るけど」
キョーコはしばらく考えて、一言だけ「帰ります」と言った。
「うん、そうだね」
と蓮も答えた。
その後車内はごく静かな時間が流れた。が、蓮にとってはそれは居心地の悪いものではなかった。キョーコにとってはひどく居心地が悪かった、が。
「最上さん」
「はい」
「器用な君を見込んでお願いがあるんだけど・・・今度、クッションタイプの大きな抱き枕、作ってくれない?・・・・久遠が駄々こねたと思ってくれればいい」
蓮は面白そうにそう言った。
「本当に使われるんですか?」
「君が言うようにベッドに置いておこうと思って」
「わかりました、さわり心地のいい生地選んでおきます・・・」
キョーコはそんな事を言う蓮を不思議そうに見つめた。
蓮は、そっと笑うばかりだった。
2009.4.18