10年越しの

ご無沙汰しております。

先日10年ごしに、どうしても見てみたかった、

ミハイル・プレトニョフ先生のリサイタルに先日。

東京公演に行きたかったものの日程合わず名古屋にて。


当初はオールベートーベンというプログラムで心躍ったのですが、

ベートーベンの月光と悲愴で前半、後半はグリーグにプログラム変更。

月光がどうしても聞いてみたかったので、変更ヨシ。

以前もう10年も前になるかもしれないけれども、

最推しアンスネス先生とプレ先生の月光の違いがたまたま

YouTube にて比較されていて、あげた方に感謝しかない。

実際のプレ先生の月光も、動画と全く解釈変わらず、

どう聞いていても、その解釈には、自然のみ、人が出てこない音で、

ただ明るく静かな雲ない夜の湖面に月が写っている映像しか浮かばなかったですね。

個人的には大変暖かい音で、

悲壮第二楽章は、もう、死ぬ時は彼の第二楽章で、と、

思うほど暖かい音でありました。

人生、頑張ったなあ〜・・・と思わせる音で(まだ死んでない)、

あまりに涙が止まらないので、嗚咽も音、出さないように堪えるのが大変!

どちらかというとアンスネスは、音が暖かく美しすぎて涙が出る涙、

プレ先生は、人生お疲れ様、というような、人生讃歌のような温かみですね。

プレ先生、前半は、指慣らしであって、弾いているというよりも、

練習・・・?並の音のラフさだった。

観客の方が緊張をしていて、先生が一番緊張していなかった。

不思議な事ですが、

ソリストなのに、「弾く」なんて事は、

到底考えていないような力の抜け様(良き意味)でしたかね。

月光の時だけ、上の方を見て弾いていらしたので、

おそらく月を脳裏に見ていらしたのだろうと思います。

後半は、弾きたくて弾いている感もあり、楽しそうだな、というのが印象で、

練習曲だから詳細分からないものの、さすが北欧グリーグなので大自然の音の中、

あっという間に終わってしまったのでした。

途中で本当に入り込みすぎて、魂をもっていかれました。

変な息になり、自分でも初めてでびっくりしました。

あまりに良き音で、本当にいい音楽家たちの音は、

終わった時に体の周り?細胞?の水がその音の振動で整うので、

実際に、肌が柔らかく穏やかでまあるい感じがするのですよ。

これは、本当に体感した事が無いとわからない感覚だけれども、

プレ先生の調整は、弾くというよりも、音が人に届いたあと、

どのように体に響くか、どのような感情を起こすかまで計算され尽くして、

音を出されていた感じがありました。

指揮者でもあるからか、客観視も同時にされていて、

音のお医者様かと思うくらい。

クラシックは、体の再調整をしてくれるので、本当に元気になるのです。

フワフワと柔らかな喜びの中で名古屋駅で東京への新幹線を待っていたら、

同じ便だったらしくプレ先生と遭遇。素敵でしたね〜。

もう一曲アンコールを弾きたそうだったのに、

おそらく新幹線が間に合わない感じだったようで「終わり!」だったのですね。

確かに寄り道せず移動してきた私が会うくらいなので、間に合わない。

舞台も日常もあまり変わらない、少しシャイな感じでしたね。




*****




以下は余談の事だけれども、以前もちらっと書いた通り、

2006年ごろ(もう20年前?!)Daydreamを書いた当初は、

楽曲が好きだった程度で、

誰か推しがいた訳でも無かったのであります。

蓮がピアノを弾いたら、どんな音がするだろうか?と

脳裏に響く音を頼りに、

単に性格から想像しながら書いていきました。

アンスネス先生は後日書き終わってから頭の中で鳴っていた音だと思って、

追いかけているのであります。

プレ先生は、音を聞いたら、あら、オリジナルで、「英国の先生」とした、

イメージの頭で鳴っている先生の音にピッタリ!と、思って、追っているのだけれども、

経歴も性格もやっぱり、「先生」そっくりだったのでした。

ピアニストとして、あらゆる「箔」を得ていて、

ショパンコンクール1位をはじめ、あらゆるコンテストはゴールドメダルしかない。

天才中の天才。しかしながらどうも、孤高の天才だったようで、

知った頃は特に、プレ先生は、「もうピアノは弾かない」と言って、

ピアニストとしての活動を終えていて、指揮者をやっていた。

まるで「先生」・・・と思って、10年。

日本にも何度か来ているものの、

気づいたら来ていて気づいたら去っているみたいな存在で、

しかも子育ての中で来ていても子を置いて出かけて行ける時がようやく来て、

ようやくタイミングが合い、十数年かけて会いに行った感じでありました。


私の場合は自分で書いた想像上の物語が先で、

元々は会場に足を運ぶかCDを聴くかでしかわからない時代だったために、

最近のインターネット動画のおかげで、

アンスネス先生もプレ先生も、後から知ったもので、

本当に現実にそういう人がいるものだ、と、興味深く思っています。

プレ先生も念願かなって聞きに行けて本当によかった。

またもう行きたい。

プレ先生もだけれど、アンスネス先生は特に大自然の音がするのがとても好きで、

今年も来日するので、まずは東京公演を押さえました。

今年は子の受験もあり、兵庫公演は見送り、

必ずN響と共演するので、そこは絶対に行きたい・・・!!!

しかも、2年前叶わなかった、互いに北欧出身同士で、

最も波長も組み合わせの良いであろう、

96歳ヘルベルト・ブロムシュテット先生との共演。

今年の人生のご褒美で、楽しみなのであります。

昨年はブロムシュテット先生来日しているので、

今年こそは見たい。見たい。絶対に見たい。

取れなくてもテレビでは必ずやるのでぜひ見てね。

アンスネス先生の場合は、

自身を証明するような何か「箔」のようなコンテスト優勝者ではなく、

評価が割れて、若い頃はその事で少し「ナーバス」になる事もあった様子。

ただその音で、あれよあれよとプロになり数十年、とのこと。



箔、と言えば。

最近、初めて音が好きになったバイオリニスト、ヒマリさん。

私は、本当にクラシック業界の「神童」という言葉が大嫌いである・汗

子供の純粋な意識が神に近いのは理解する。

しかし残念な事に成長と共に音が・・・なことが大半で、

かえってそんな冠つけられてしまい、祭り上げられて可哀想だな、と。

いつも非常に冷めた目でその辺を見ているのです。

だから、ヒマリさんもすでに何年も前から知っていたものの、

自分の嫌いな神童という言葉が勝り、音を聞くことも無かったのですが、

たまたま動画に上がってきて、たまたま指が押したらしく。

「ついに聴いてしまった」のであります・笑

「誰が弾いているのだろうか?」という興味で見たら、ヒマリさんでした。

びっくりしたのはその音で、ヒマリさんの音の場合は、

神からのギフトとしか言いようが無い音を出すのでありました。

天性の右腕(弓を動かす動き)。

バイオリンの場合もちろん左手も重要かもしれないけれど、

結局音が好きでなくて嫌いになってしまう事の方が大半で、

音に体を委ねても安心できる推しがいなかった。

ヒマリさんは、それでも、初めて、

「神童」を冠に持っていても良いと思った方であります。

と言っても、我が子の1歳下・・・ですが、敬意を評して、真の神童、と、呼びたい。

10才でアメリカの最難関音楽大学に最年少で入学、

先日3月には、ベルリンフィルと共演、プロ契約。

子供の頃(?)から、世界コンクールに出て、43戦43勝、すべて1位。

まだジュニアコンクールしか出られないので報道は少ないですが、

年齢が来たら、あらゆるバイオリンのコンクールで1位を取るだろうと思われます。

音楽コンクールの場合、1位が出ないという事もザラにある中、

すでに、1位よりも上の結果を得るという。

神童を超えてもはや、天才、でありますね。

2度と日本にそんな人は現れないと思います。

プレ先生も同じような経歴を持っているけれど、ひまりさんがすごいのは、

「コンテストは私のために弾くからあまり好きではないけど、コンサートとかで誰かのために弾くのが嬉しい」との事なので、

弾くことはやめないでいてくれているだろうと思うのです。

音楽大学に入った10歳の段階で、天才しかいない中で、初めまして、で、弾いて、

あまりの天才の音ぶりに、そもそも全員天才の10歳以上年上の人たちが、

頭を抱えてしまった映像が残っているのが印象的でした。

音楽界の藤井さん又は大谷さんのような人ですね。

日本で今子供たちがすごいな、と思うのですが・・・

人生何周目、という言葉がピッタリな子たちがたくさんいて、

将来が楽しみなので、まだまだ、その音を聞くため、

私は、長生きをしたいと思っているのです。

(もちろん、スキビの最後も絶対見なければなりません!)

最後に、

なんとなく最近、この世を去っていく人たちの訃報を聞く事も増え、

青春時代お世話になったB’zさんの影の立役者だった、明石昌夫さんが

お亡くなりになられました。どうか安らかに。

多分彼がアレンジした音が最も売れたし、最も好きでした。

90年代の彼らの音は今でも好きです。

色々な大人の事情があると思いますが

オンラインライブでは当初の立役者がほぼ呼ばれる中でさえ

明石さんが呼ばれなかったのがとても悲しかったです。

そして、同時期一気にですが、

ここまで病気ひとつしなかった松本さんが、ついに、

病気でライブを初めて欠席となるとのこと。

(見には行かないのだけれどもワンオクとの共演は楽しそうだなと)

どんなに売れて、どんなに有名になっても、時間が流れていき、

方丈記の、無常を思うのです。

平家物語のように、最高の繁栄をもってしても、この世からいなくなる。

音楽家の人よ、芸術家の人たちよ、この世をたのしくしてくれる人たちよ。

どうかどうか、体だけは大事にしてほしいのであります。




プレトニョフ先生の月光。

でも、まだ、若い、感じがします。

実際、もっと、もっと、もっと緩やかで、大自然の深淵でした。

アンスネス先生の月光

アンスネス先生の月光はとにかく、清潔で、「美しい」。

それに限りますな・・・。

(同じ内容@コンテスト公式の方が音がいいのですが、うまくリンクしないので解説つきぽいやつも)

ヒマリさんの公式の動画で最も好みなのは、

8歳時の、ツィゴネルワイゼンでのコンテスト一次予選の様子。

8歳。小学校2年生。どういう事なんでしょうかね。

人生何周したんですかね、という言葉が本当に当てはまる・・・

審査員も「さあ見てやろう」という様子で始まるのが、

途中で、左側の著名な先生の「ポカン😦」という魂が抜けてしまったような様子が

おかしくてなりません。

先生!!!魂、抜けてる抜けてる!!!

二次予選の動画、最終予選の動画も最高でした。

もちろん、優勝でございました。

その翌年も、オープニングセレモニーを彩るゲストとしてソリストを務めていて、

素晴らしい音が残っておられまする・・・。

一気にお姉さんになりましたね、と言っても、13歳、

中学一年生にて、ベルリンフィルデビュー。

ベルリンフィルでも13歳との共演は100年近くぶりのことだそうです。

言葉になりません・・・!おめでとうございます!

いつか観に行きたいと思っています。

なんでかなあ、ヒマリちゃんの真剣な様子のバイオリンの音を聴いていると、

涙が出るのよね。

辻井さんも時々見に行きます。

悲愴第2楽章、アンスネス先生もプレ先生も探し出せなかったので、

辻井さんの優しい音を最後に置いておきます。

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