official髭男dismさんのpritenderという曲について。
きみはきれいだ、という言葉が印象深いあの曲。
ファンの方は読まない方がいいかもしれません、という注意書きのもと、、、、
買い物に行くと必ず流れていて、特段聞いている訳ではないのでなんの気無しに聞き流していました。音楽は基本音しか聞いてなくて、歌詞は、二の次三の次。その代わり、歌詞が本当の意味で腹落ちまで意味をなして体に入って来たら、とても好きになります。
しかしある日急にpritenderの歌詞が耳に飛び込んできて、ふと、❓❓❓❓となってしまい、歌詞を眺める事になりました。
わからなくなった理由は、恋人になったはずの主人公は、恋愛しているのにすぐにひとり芝居で、観察者で冷めた目線で、君の運命の人は僕じゃない、でもきみはきれいだという、恋愛の歌なのかサイコパス的な歌なのか、すっかり混乱に陥り、好きでも嫌いでもない彼らを聞いてみるということになりました。
じっと歌詞を見ていて、主人公の男の心の中の風景を追っていくと、あれ、なんだかキョーコさんのお父さんみたいと思いまして。お父さんを美化するつもりはないのですが、歌詞を見ていて、男性の心には、運命の人じゃない、でも、きれいだとただ思うから付き合う、まるで観察者のように冷静に、そんな心境や風景が生まれるんだな、と、、、。女子にはあまり見ない風景の一つなのではないかなあ。
キョーコさんのお父さんについては未だに受け入れられず、宙ぶらりんだった人の一人です。心象を掘り下げてみようと思ったこともなかったし、お父さんの動機がわからなかったのです。なぜそのような職業?で、避妊しないでお母さんに体液を残したのだろう、と、、、信じ込ませるためだけに、避妊せず将来を思い描かせるように運命の人を装ったのだろうか、、、と。お母さんが訴えれば暴行罪で捕まえる事だってできたかも。
でも、この曲の歌詞が、お父さんを少し受け入れられるきっかけになりました。男性側の視点だけで書かれた歌詞。おそらく、彼女は主人公の彼の前でとても可愛らしく振舞っているのだろうなあとも感じるし、歌詞の主人公は一見とてもワガママで冷徹に見える歌詞なのだけれども、片方が愛していなくても恋愛は成立し、さらに、運命の人じゃないけれども、目の前のきみはただただきれいだ、と。お父さんは、お母さんに、違う設定で会えたらよかったのにと、少しでも考えたかな、とか。目の前の美しい花を見るような感情。でも生きる世界と種族が違うよね、みたいな感覚。
お母さんが、どうして、私に子供はいませんと言ったのかについては、ようやく最近になってなんとなく理解が追いついて来たところです(遅)。そう言わないと、万が一彼がテレビを見ていて探りを少しでも入れ、結婚していないのに高校生の子がいたら自分の子がいるとすぐにわかり、もしかしたら最悪の事態もある可能性がある。キョーコさんは芸能界にいるし、スキャンダルに巻き込む訳にもいかず、それならばいない事にして互いに独立しておこう的なイメージで解釈しました。守るためとはいえキョーコさんに真意が伝わるかどうかは別にして、、、。あくまで私がお母さんの動機を咀嚼するための勝手なイメージなので、真相はお母さんにきちんと聞かないとわかりませんが、、、。真意はどこかに書いてあリましたか、、、お父さんお母さん編は大好きなキョーコさんがあんなに泣いて、辛くて、、、。。°(°´ᯅ`°)°。
で(笑)、話を戻すと、pritenderの歌詞を追って行くと、お父さんは少なくとも、観察者だったけれども、お母さんの事は、きれいだと思っていたのではないか、と、ほんの少しの希望を抱いたりしたのでした。ほんの瞬間的にはとてもきれいに思えて、別の立場で会いたかったと思うこともあったのではないか、と、、、。いつか本当の事が伝わる日が来るのだけれど、愛するのも、お母さんを信じ込ませ、心を開かせるための手段のためだったのに、でもどこかの瞬間は普通に恋愛しているという。
この歌に????となり、私がそこはかとなく怖いと感じたのは、きれいだと思うのと、君は運命の人じゃない、もうちょいしたら別れるな、でも今は相手は信頼してくれているし恋愛しちゃおうというどこか打算的で、相反する感情が同時に成立してかつ罪悪感がないあたり。あ、この人と結婚したら幸せにはなれそうもないホラー感を感じるというか。少なくとも相手を幸せにしようという感情が一切読み取れず、自分にとって運命の人ではないからという使い捨てなホラー感。この主人公がいつか運命の人に出会っても、きっと、君は運命の人だと、自分主体の恋愛なんだろうな、と。相手をきれいだと感じ、関係が続くのもまた、自己投影の影かも。あ、彼ら歌う人たちが怖いのではなく、この物語を小説にしたらホラーだと感じる、という意味ですよ〜!!決して歌について言及しているわけではありません。お父さんにせめて罪悪感はあったと信じたい乙女です(^ヮ^;)
(追記:この日記を書いたあとに知ったのですが、この曲はベースに、詐欺師の憂鬱というイメージで作られたそうです・・・!何となくお父さんにイメージが重なってしまうのは、仕方ないのですね・・・!)
ということで、歌詞を許可なく載せる訳にはいかないので、歌をご存知なければ歌詞を覗いて見てください。私のようにお父さんに見えるかもしれません。
複雑な歌詞で答えのない問いがあれだけ売れるのは、今の10代20代の恋愛はこのような感覚が、わかるー!なのかな(そういう意味で売れている訳でもないの?)。あまりのめり込まず、両思いであってもどこか観察者である事、客観性を保つ事や、あ、違うな、という感覚を鋭敏に感じ取って表現するのかもしれない。私たち世代が、言葉にせずにおいた感覚を、今の若い世代ははっきり言葉にしますね。運命の人は僕じゃない、だけど、きれいだ、という、綺麗事だけではない恋愛、自分に正直でいること、そこにさらに罪悪感のない鋭敏さ。永遠ではなく目の前の彼女の瞬間的な恋愛の火花を詠む歌詞が売れる今の恋愛感覚に対して、私たちの世代が訴求できることはなんだろう。私の大好物と、源氏物語や竹取物語の時から、日本人がキュッとなる物語の型は変わらないのだから、自分の好きに忠実でいてかつ新旧の感覚を両方ミックスできたらいいなあ。
最後に、付記するとすればお父さんはこの歌詞ほど純粋では無いかもですね、もうちょい内側はブラックだったかなあ。ハニトラなので、、、。
あの時も感想に書いたけれども、それでも、お父さんが体液を残してくれなければキョーコさんは生まれず、お母さんが心身を病まなければ、ショータローの家に行くこともなく、コーンとキョーコさんはあの場で出会う事も無かったのだから、キョーコさんが途中で言っていたとおり、すべては蓮を好きになることに通じていて、すべては必然、それでいい、のでしょうね。私がキョーコさんを大好きすぎて受け入れられなかっただけで、、、。本誌のキョーコさんはとっくの昔に、すっかり自分の過去を受け入れて許して大人になっているというのにね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )。
だから、ショータローが羨ましくなってしまう蓮の気持ちもすごくわかる。普段感情的に引っかかりをほとんど持たないキョーコさんが唯一、なんだもの。蓮に対して恋愛で奪われたくないと、ショータロー以上に引っかかりができている(できていく)といいなあ!
キョーコさんも、もちろん受け入れられないモヤモヤな出来事も少しはあるかもだけど、良くも悪くもショータロー以外に他人に長時間復讐心も悪意も持たないという、大変人間のできたキョーコさんが私はやっぱり大好きで、尊敬するなあ(〃艸〃)♡